太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

記念日

2017-12-30 21:24:37 | 日記
数日前、結婚11年目の記念日だった。

あんなこともこんなこともあって、過ぎてしまえば早いけれど、あっというまとは思わない。

振り返れば、やはりそれなりに長い道のりではあった。

最初の結婚は11年間だった。

同じ11年でも、今の結婚の11年はなんと幸せな11年だろう。

私と夫は記念日を忘れない。

初めて会った日も、一緒に暮らし始めた日も覚えている。

誕生日には、贈り物をしたり食事に行ったりすることもあるけれど、

結婚記念日にどこかで食事をするとか、プレゼントを贈り合うとかいったことは滅多にしなくなった。

そのかわり記念日には、お互いに手紙を書く。

今年、夫がくれたカードには、ユニコーンやハートのシールがいくつも貼ってあった。


「これ、懐かしいでしょ」


11年前、私の美容師に夫を紹介されて初めて会った日の夜、私は夫にあてて手紙を書いた。

二日後、丁寧に日本語で宛名を書いた手紙が届いた。

私が手紙を書いていたのと同じ時間に、夫も私に手紙を書いていたのだった。

最初に会ったその時に、「この人!!」と直感でわかったけれど、

会ってすぐに手紙を書く、この暑苦しさがたまらなく私は嬉しかった。

私と同じぐらいの暑苦しさを持っている人にやっと出会えた。

どこでさがしてくるのか、かわいい便箋やシールを使って、夫はとてもたくさんの手紙を書いた。

その時のシールが、まだ残っていて、それをカードに貼ったのだった。




まだ独身の頃、女性ばかりの異業種交流会に所属していたことがある。

私は20代だったが、40代がほとんどで、みんな一癖も二癖もある元気な人ばかり。

中に、子供がいない人がいて、結婚記念日にだんなさんから豪華な薔薇の花束をもらったことを

何人かがおおげさに囃したてた。

「子供がいない夫婦は、記念日とかきっちりやらないともたないのよねぇ」

その人が言ったことを、そんなものかもしれないな、と私はなぜか納得した。

前の結婚時代、記念日はきっちりやっていたが、そのたびに私はその人の言ったことを思い出したものだ。




今になって、思う。

きっとあれは、あの人の照れ隠しだったのだろう。

それを本音と思って納得した私の若さ。

見かけがきれいな箱ばかりを作り続けた結婚生活の空虚さに気づきつつ、蓋をしていた愚かさ。

子供がいないから、努力しないと夫婦の関係が保たれないだなんてことがあるはずがないと私は思う。

ただ、子供という共通の関心ごと、かつクッションがないので、

24時間365日、アナタとワタシがガッツリと向き合って逃げ場のない辛さは、ある。





花束がなくても、素敵なお店で食事をしなくても、宝石がなくても、

何日も前から「もうすぐ記念日だね」と言い合い、記念日には1日中記念日のことを話し、

毎日気持ちを言い合っているけど、手紙に書いて渡しあう。

宝石がいくつあったって、首はひとつ、指だって限りがあるし、私が死んだら、あげる人もいないし。

もちろん、素敵なお店で食事をする年もあるけど、そうでなくても構わない。

なんだかこの感じがとても好きだ。


結婚記念日には、なぜか結婚する前の思い出も必ずついてくる。

出会いから結婚まで半年しかなかったが、夢のように楽しいことばかり思い出す。

「雨の夜にローソンまで歩いて行ったことあったよね」

「あった、あった。なぜ車で行かなかったんだろう」

「わからない、けっこう遠かったよ」

「土曜に仕事が終わると電車に乗って」

「改札で待ってると頭ひとつ高いガイジンがにこにこしながら降りてきて」

「うんうん、デイパックに花束が入ってるんだけど満員電車でしおれちゃってさー」

壊れたレコードのように、いつも同じ話を繰り返して飽きることがない。

なんだかこの感じもとても好きだ。

来年も再来年も、きっと同じことを話して、同じ場所で笑って、「たのしかったねえ」と言うのだろう。








                        

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