毎日顔を合わせる人たちは、夫を含め、ガイジンという気がしなくなる。
ここではむしろ私の方がガイジンなのだが、
私から見て、ということで。
英語しか通じなくても、同僚も友人も夫も人種を超えて、
なに人でもない、同僚、夫、友人、という存在になる。
ところが、何かの折に、
ああ、ガイジンなんだなー、と思うことがある。
先日、日本に行った時のことである。
畳の上に布団を敷いて寝た。
「ああ、布団大好き!!」
そう言って布団にもぐりこんだ夫を見て驚いた。
布団に白い、ゴムの入っていない平たいシーツがかけてあったのだけれど、
夫はそのシーツの下にもぐりこんだのだ。
つまり、裸の敷き布団とシーツの間に体を入れたのである。
アメリカはシーツは必ず2枚で、1枚は敷くものであり、もう1枚は肌に直接掛ける。
夫はカタコト日本語もわかるし、
日本文化を理解し、日本人寄りの心を多く持っているほうだと思うのだが、
迷わずシーツの下にもぐりこむのを見て、やっぱりガイジンなんだなあと思う。
にほんブログ村
ここではむしろ私の方がガイジンなのだが、
私から見て、ということで。
英語しか通じなくても、同僚も友人も夫も人種を超えて、
なに人でもない、同僚、夫、友人、という存在になる。
ところが、何かの折に、
ああ、ガイジンなんだなー、と思うことがある。
先日、日本に行った時のことである。
畳の上に布団を敷いて寝た。
「ああ、布団大好き!!」
そう言って布団にもぐりこんだ夫を見て驚いた。
布団に白い、ゴムの入っていない平たいシーツがかけてあったのだけれど、
夫はそのシーツの下にもぐりこんだのだ。
つまり、裸の敷き布団とシーツの間に体を入れたのである。
アメリカはシーツは必ず2枚で、1枚は敷くものであり、もう1枚は肌に直接掛ける。
夫はカタコト日本語もわかるし、
日本文化を理解し、日本人寄りの心を多く持っているほうだと思うのだが、
迷わずシーツの下にもぐりこむのを見て、やっぱりガイジンなんだなあと思う。
にほんブログ村