太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

河津桜

2018-03-14 20:14:41 | 日記
父が昨年、車の運転を断念して車を手放したので、今回日本でレンタカーを借りた。

伊豆半島の河津桜が早咲きで、ちょうど桜祭りをやっており、それを両親に見せたかったからだ。

混雑する週末は避けたかったし、天気予報はその日を逃すと雨模様だったので、曇天で寒かったけれど行くことにした。

ハワイから予約した車椅子を2台受け取ってトランクにいれ、

毛布や飲み物やお菓子を買って両親を乗せ、伊豆にむかって出発。

およそ2時間半で河津町に到着。



川の両側に、桜並木が延々と続く。





平日だったからか、人出も思ったほどではなく、車椅子に両親を乗せて遊歩道を歩いた。

両親は長い距離を歩くのは無理があるので車椅子にしたのだけれど、抵抗するかと思いきや、

「楽だ、楽だ」と案外楽しそうに車椅子を楽しんでいた。

食べ物を売る屋台がいくつも出ていて、いちご大福を買ったり、焼き芋を買ったり。

私達も桜を見るのは7年以上ぶりで、桜がもつ、他の花にはない趣をしみじみと味わった。



「私が子供の頃、お父さんは休みになるといろんな所にドライブに連れて行ってくれたよね」

「そうだったなあ。それが楽しみだったからなあ」



父の記憶が曖昧になってしまったら話せなくなることを、車の中でいろいろと話した。

あの頃の父は、当然今の私よりもずっと若くて、溌剌としていた。

ちょっとドライブに行こうかと言って、姉と私を乗せて出かけ、気がついたら琵琶湖だったこともあった。

家族で出かけると、時々寄るレストランがあった。

そこはジャンボエビフライが看板で、私たち子供はエビフライ、母はいつもカニクリームコロッケを頼んだ。

たまに行ったのは経済的な理由だっただろうが、東名高速を降りて、かがり火が焚かれた店の駐車場に車が入ってゆくと

私は嬉しくて胸が躍ったものだ。


ふとルームミラーを見ると、父も母も眠っていた。


父は若い頃からずっと痩身だったが、このごろめっきり痩せて、体重は40キロを切った。

先月から父は週に1回、姉がむりやり押し込む形で隣町のデイケアに行くようになった。

最初は「行ってもヨイヨイの年寄りばかりでつまらない!」と言っていた父が

だんだん素直に行くようになり、お習字を書いたり、車に乗せてもらってどこかに出かけたりしているらしい。

車の運転を諦めたことも、

デイケアに素直に行くようになったことも、

私が用意した車椅子に喜んで乗ることも、

そうなってよかったと思う一方で、そういう父がなんだかとても寂しいと思ってしまう。

父が入院したときに、いかに父が看護士さんたちを困らせる問題患者であるかという話を姉妹に聞いて、

姉妹や病院関係者に申しわけないと思う反面、父はそうでなければ、という勝手な思いがあった。



日本を発つ時、玄関で両親を抱きしめた。

日本人は、とくに両親の世代は抱きしめられることに慣れておらず、体を固くしてしまうのはわかっていたが

そうせずにはいられなかった。


「おとうさん、おかあさん、ありがとう」


そう言っただけで涙が出そうになって困った。

その数日前に父をMRIの検査に連れていったとき、待合の椅子で父が

「おとうさんはもうそんなに生きられないと思う。理由はないけど、そんな気がする」

と言ったことを思い出した。

「そんなこと言って、検査の結果も異常ないし、あと軽く5年は大丈夫なんじゃないのォ」

妹はそう言って笑った。

そうかもしれない。

私にとって、元気な両親という存在は、切れそうで切れない、切れなそうでいていつ切れるかわからない、

もろくて頼りないものなのである。



「そんなすぐには死なないよ」

私の気持ちを察したか、父が言った。

今回の帰省は、父の86歳の誕生日もあって、父だけには黙って帰って驚かせるつもりだった。

それは成功したのだけれど、私たちが帰る数日前、ソファでうたたねしていた父を母が起こしたら、

「今、シロ(私)が帰ってくるのを待っているからもう少しここにいる」

と半分寝ぼけて言ったのだという。

私の帰省を知らないはずが、父の潜在意識では知っていたということなのだろうか。










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