日本にいる母に、毎日電話をする。
一緒に住む姉が、母の認知症が進んでいるようだと言う。
電話で話しているぶんには、そういうふうには思えないのだけれど、
姉は、電話や人と挨拶するときはすごくしっかりして見える、と言うのだ。
数年前から脳細胞の病気がある母は、服用している薬の副作用で幻覚が見える。
目の前に家族がいて、話しかけても返事をしない、と母が言う。
それが、いるはずのない私だったり父だったり、遠くに住む孫娘だったり。
返事をしないときは本物じゃなくて幻覚なんだよ、と言うと、そうだよねえ・・とその時は言うのだが
母は、どこからどこまでが幻覚で現実なのか混乱してしまうようだ。
先週、電話したとき、母が
「今、人が来てるからかけなおしてくれる?」と言う。
母に来客なんて珍しいなと思って、しばらくたってからかけ直した。
まだ来客は家にいるというので、誰がいるのか聞くと、孫娘だという。
「それでこれからコンビニに行くんだよ」
妹の子供が、そんな時間にいるはずがない。
でも母にそれを言っても混乱するだけだ。
「コンビニ行くなら気をつけていってね」
そう言って電話を切った。
母が履いているズボンの裾がほつれて、それを直そうとしたらしいものが放ってあったのを姉が見つけた。
まつり縫いどころか、裾を半分縫い付けてあって、足が入らない状態になっていた。
「お母さん、洋裁あんなに得意だったのにね・・」
姉が言った。
私達の洋服やセーターや、母は何でも器用に作ってくれた。
学校に着ていくと、よく褒められたものだ。
生のお米とお茶葉を混ぜていたり、料理も怪しくなってきた。
読書家だったのに、本を読みたくて買っても、読む気力が続かない。
ハイハイしかできなかった子供が、歩くようになり、言葉を話すようになり、
みるみるいろんなことができるようになってゆくのに比べ、年をとると、できていたことができなくなってゆく。
それが、私にそれらを教えてくれ、励ましてくれてきた人であれば、切なさよりも寂しさが募る。
どうすることもできない。
それを見ているしか。
7月に行った時に、新聞紙で箱を作る簡単な折り紙を、母に何度教えても一人で折れなかった。
新しい情報は、なかなか頭に入らないようなのだ。
しかし、昔のことは驚くほどよく覚えている。
たとえば私が小学生の時に作ってくれた緑のジャケットの、素材も柄も形も、生地を買った店まで覚えている。
5年生の夏休みに担任の先生にハガキを出す宿題を忘れて、父の車で先生の家まで行ったことも、
先生の家がある場所まで覚えている。
幼稚園のときに少しだけ通った英語教室の、教科書に使った本や、私は忘れてしまった先生の顔まで覚えている。
だから、電話で話すときは、昔の話をする。
あのときは、ああだったね、こうだったね、お母さん、よく覚えてるね。
何でもできて、しっかりしている母のままでいてほしいというのは、私の我儘だろう。
衰えてゆく母を見たくないというのも、私の我儘だろう。
「親を弱らせてあげるのは、子供の役目」
いつか友人が言ったことが、今さらのように思い出される。
電話をかける。長い呼び出し音のあと、母が出る。
10分ぐらい、とりとめのない話をする。
それがどんなに幸せなことか、私は知っているつもりだ。
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一緒に住む姉が、母の認知症が進んでいるようだと言う。
電話で話しているぶんには、そういうふうには思えないのだけれど、
姉は、電話や人と挨拶するときはすごくしっかりして見える、と言うのだ。
数年前から脳細胞の病気がある母は、服用している薬の副作用で幻覚が見える。
目の前に家族がいて、話しかけても返事をしない、と母が言う。
それが、いるはずのない私だったり父だったり、遠くに住む孫娘だったり。
返事をしないときは本物じゃなくて幻覚なんだよ、と言うと、そうだよねえ・・とその時は言うのだが
母は、どこからどこまでが幻覚で現実なのか混乱してしまうようだ。
先週、電話したとき、母が
「今、人が来てるからかけなおしてくれる?」と言う。
母に来客なんて珍しいなと思って、しばらくたってからかけ直した。
まだ来客は家にいるというので、誰がいるのか聞くと、孫娘だという。
「それでこれからコンビニに行くんだよ」
妹の子供が、そんな時間にいるはずがない。
でも母にそれを言っても混乱するだけだ。
「コンビニ行くなら気をつけていってね」
そう言って電話を切った。
母が履いているズボンの裾がほつれて、それを直そうとしたらしいものが放ってあったのを姉が見つけた。
まつり縫いどころか、裾を半分縫い付けてあって、足が入らない状態になっていた。
「お母さん、洋裁あんなに得意だったのにね・・」
姉が言った。
私達の洋服やセーターや、母は何でも器用に作ってくれた。
学校に着ていくと、よく褒められたものだ。
生のお米とお茶葉を混ぜていたり、料理も怪しくなってきた。
読書家だったのに、本を読みたくて買っても、読む気力が続かない。
ハイハイしかできなかった子供が、歩くようになり、言葉を話すようになり、
みるみるいろんなことができるようになってゆくのに比べ、年をとると、できていたことができなくなってゆく。
それが、私にそれらを教えてくれ、励ましてくれてきた人であれば、切なさよりも寂しさが募る。
どうすることもできない。
それを見ているしか。
7月に行った時に、新聞紙で箱を作る簡単な折り紙を、母に何度教えても一人で折れなかった。
新しい情報は、なかなか頭に入らないようなのだ。
しかし、昔のことは驚くほどよく覚えている。
たとえば私が小学生の時に作ってくれた緑のジャケットの、素材も柄も形も、生地を買った店まで覚えている。
5年生の夏休みに担任の先生にハガキを出す宿題を忘れて、父の車で先生の家まで行ったことも、
先生の家がある場所まで覚えている。
幼稚園のときに少しだけ通った英語教室の、教科書に使った本や、私は忘れてしまった先生の顔まで覚えている。
だから、電話で話すときは、昔の話をする。
あのときは、ああだったね、こうだったね、お母さん、よく覚えてるね。
何でもできて、しっかりしている母のままでいてほしいというのは、私の我儘だろう。
衰えてゆく母を見たくないというのも、私の我儘だろう。
「親を弱らせてあげるのは、子供の役目」
いつか友人が言ったことが、今さらのように思い出される。
電話をかける。長い呼び出し音のあと、母が出る。
10分ぐらい、とりとめのない話をする。
それがどんなに幸せなことか、私は知っているつもりだ。
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