太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「いっさいがっさい捨ててよろしい」

2017-08-23 08:25:46 | 日記
思い出の記録に、私はこだわらない。

昔の私はそうではなかった。

最初に結婚した相手と交際し始めた頃、相手が喫茶店の紙ナフキンに「吉本ばなな」と書いた。

私はその紙ナフキンをスクラップブックの最初のページに貼った。

それからその相手と結婚するまでの7年間、

食事をした店の箸袋から映画のチケット、切符などなんでもとっておいた。

それは結婚してからも続き、何冊もの分厚いスクラップブックができた。

なぜそんなことをするのかと聞かれたら、うまく答えられなかったろう。

いつか年をとったときに二人で眺めたいと思っていたのも確かだけれど、

そうやって形に残しておかないと、不安でしかたがなかったのかもしれない。

その不安は、相手とかかわっている間、ずっと影のようにつきまとっていた。



結局、年をとって二人で眺めることもなく、スクラップブックがどうなったかさえ私は知らない。

あんなに繋ぎとめておきたかったのは、いったい何だったんだろう。

スクラップブックの最初のページに貼った紙ナフキンを見るたびに、私は自分が誇らしいような気持ちになったものだけれど

気がついたら、そんなものたちは私にとってどうでもいいものになっていた。

紙ナフキンを貼ってから、18年の歳月がたっていた。




それから、私は記録することにこだわらなくなった。

そして年々、思い出を残すことに淡白になっている。

夫と出かけたときの飛行機のチケットも、美術館の案内も、本の栞なんかにしていつのまにかどこかにいってしまう。

写真も、撮ることは撮るけれど、撮りっぱなし。

アルバムにパンフレットも一緒に貼って、コメントも添えたらいいだろうなァ、とは思う。

けれど、そうして残したとて何になる。

人生の晩年に、ふたりでアルバムを繰ることがあるかどうかもわからない。それに・・・





私も夫も死んだら。




ここ数年、よくそんなことを思う。

50歳を過ぎて、死ぬことが漠然とした意味から、にわかに現実味を帯びて感じるようになった。

陸上の、長いトラックを走っている。

この先のどこかにゴールがあるのは知っているが、まだまだ先は長いので、必死に走る。

ちょうどコーナーを曲がって、直線上にゴールが蜃気楼のように見えている、今はそんな感じだ。

今だって、走ることに夢中だし、夢も希望もたくさん持っているのだけれど。




死んだ瞬間から、その人のものは『遺品』になる。

遺品の整理ほど困るものはない。

子供がいない私達は、誰がそういうことをしてくれるのかわからないが、

その誰かのために、私達が残してゆくものの行き先を決めておくべきだと思っている。



実は、記録を残すことにこだわらなくなった私でも、捨てられないものがある。

それは、夫や家族、友人がくれた手紙やカードである。

夫と初めて会った日の夜に、申し合わせたわけでもないのに、互いに相手にあてて手紙を書いた。

どのぐらい時間をかけて書いたのか、あて先は全部きちょうめんに漢字で書かれている。

11年分のそういう手紙やカードが、一つの箱に入っている。

家族や友人がくれた手紙も、別の箱に入っている。

こういうものは、写真同様、読み返すことはないだろうけれども捨てられない。

自分では捨てられないが、人が捨ててくれるぶんにはかまわない。




『写真、手紙も含め、いっさいがっさい捨ててよろしい!』


英語と日本語で、どこかに残しておかなくてはと思う。

数年前、夫の両親が弁護士の立会いで遺書を書いた。

そういうやりかたもあるにはあるが、そこまでするほどのものを残すわけでもなし。



問題なのは、いつ、それをやるか。

直線状にゴールが揺れてみえていても、

だからといって今日、そんな書置きをしたってなァー、と私はまだ思っているのである。









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エステ体験

2017-08-22 08:04:54 | 日記
同僚が、エステサロンを自宅に開いた。

折に触れ、エステに行ったらどうかと私にすすめる夫に言うと、

「ぜひぜひ、行ってきてください」

と懇願する。

日本に住んでいたとき、夫が探してきたエステに行ったことがあったが、

劇的になにかが変わるというのでもなし、しばらく通ってやめてしまった。

だからこれは人生で2度目のエステである。

家から近いし、フルーツを使った自然化粧品だというし、

同僚は明るくて楽しくて素敵な人で、なにより彼女の肌がすばらしくツヤツヤだから

夫の懇願がなくても行ったと思う。




家の前は海。




入り口。



予約が入っている人の名前が、ウェルカムボードに書かれている。

KOKOというのは、私の名前をじょうずに発音できない彼女が決めた私の呼び名だ。

それと同じく、私も彼女のメキシカンな名前を正しく呼べたことがなく、呼びやすい名前を作って呼んでいる。

今日は、ココナツとパパイヤの日。




ガレージを改装したというサロン。

キャンドルが灯され、静かな音楽が流れて心地よい。




Mirna

メキシコ人。

「あんなテカテカな顔の写真載せたの!!嘘でしょーー!」

と怒っていたけど、このときは力仕事のあとで汗びっしょりだったのだ。

それでもじゅうぶん彼女はきれいだと思う。

ファンデーションを塗らないという肌は、どんなに近くで見ても毛穴が締まっていて滑らか。





きゅうりをのせて、美しくなるのを待つアタシ。

ハワイに住み始めて、けっこう日に焼けてしまった。

1度焼けたら、もう元にはなかなか戻らない。

だから日焼け止めを塗るのだけど、ハワイの紫外線には追いつかないのだ。

丁寧にクレンジングをして、ココナツとパパイヤのマスクをして、それが浸透するのを待つ。


何度も温かいタオルで包みながら、顔と首、鎖骨の下までマッサージをする。

頭皮と両腕のマッサージも気持ちがいい。


施術後。

てのひらに吸い付くような肌のできあがり。

キンキンに冷えたミネラルウォーターを、一気に飲み干した。

9時半に始めて、終わったのが10時半、でも家を出たのは12時すぎ。

ほとんどくっちゃべっていたというわけ。



フェイシャルが、1時間で$50

睫毛のエクステンションもやっている。

他の同僚が睫毛をやったら、ものすごく自然で、素敵だった。

両目の手術をした私は、こわくて睫毛はできないけれど、出来る人はいいなと思う。

翌日になっても、肌がキュッとしているのがわかる。

来月、また行く。





MiniSpa by MiniPit
Mirna Munoz Pittinger

MiniPitt7@gmail.com

Facebook もやっている。







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ハワイ島 ハプナビーチ

2017-08-21 13:44:51 | 旅行
金曜日の夜、仕事が終えてからハワイ島に出かけた。

今回はコナ空港に降りて、ハプナビーチに行く。

夜に発ってもらくらく行ける距離にあるハワイ諸島は、狭すぎて行く所がないハワイの人には

いい気分転換ができる小旅行だ。日本でいうと、ちょうど新幹線でどこかに行く感覚。




泊まったのは、ハプナビーチプリンスホテル。



ラナイ(テラス)からの眺め。







翌朝7時に、ホテルのプライベートビーチでシュノーケルをする。

早朝は引き潮で、波もなくて海底が静かなのだ。


と、ベテランのふりをしているけれど、私はライフジャケット、ヌードル、ボディボードという三種の神器がないと

シュノーケルができないというテイタラク。(その辺の記事はコチラへん

それを、ライフジャケットのみ持参していったのだから、ヤル気がみえる。





意を決してライフジャケットのみで海に潜ると・・・・

まるでそこはウルトラ巨大な水族館のタンクの中のよう。

海底は、えんえんと続く砂浜で、その砂紋も美しく、ひたすら透明な水の中で輝いている。

フムフムヌクヌクアプアアや、ニードルフィッシュ、フグやさまざまな魚達が泳ぐ。

岩にはいろんな形のヒトデや、たくさんのウニ、一抱えもあるような巻貝。

ところでこのウニ、日本のウニと何か違うんだろうか。

日本人の私には、上物の寿司ネタがそこいらじゅうに転がっているように見えるんだけど。


足がつかないどころか、6,7mはあるだろう深さのところに行っても、私はまったく怖くなかった。

波がなくて、海底が砂で、これだけ透明だと怖くないのかもしれない。

私は初めてシュノーケルを楽しい、と思った。

30分以上は水の中にいたと思う。


「シュノーケルのマウスピースを、力をいれずにそっと口にくわえて、ダースベーダーのように呼吸してこらん」


夫に言われるまで、私は水が入ってこないように思い切り力を入れてくわえていた。

言われたように、力を抜いても、水は入ってこなかった。


「ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐く。リラックスして。肺に空気が入ると浮くんだよ」


やってみると、らくらく息ができる。

水の中で瞑想しているような、そんな気分にさえなってくる。

オアフ島の海もきれいだと思っていたけれど、ハワイ島の海はもっともっと健康的で透明度が高い。

オアフ島ほど汚染されていないのだろう。

この日は、早朝と夕方、2回も水に潜った。信じられないことだ・・・




ホテルのプールサイドでは毎日生演奏が行われている。



音楽を聴きながら、ピナコラーダをすすり、夕日が沈むのを待つ。




水平線に雲がないから、グリーンフラッシュ(落日した瞬間に緑の光を一瞬放つ)が見られると期待したけど、

太陽が水平線に隠れるほんの数秒前に雲が現れて、見られなかった。










ワイメアのファーマーズマーケットに行く。

標高が高いワイメアは、ぐっと涼しい。




毎週土曜日に、ワイメアではいくつもファーマーズマーケットが開かれていて、

街中にあるここが1番充実している。(全部はしごしてみた)



ジャカランダの樹を発見!



いつかこれを絵にしたいなあ。


手作りパイで有名なパイ屋さんで、ルバーブストロベリーパイを購入。



いろとりどりの人参も買った。




こんなかわいい花も売られていた。





日曜日のお昼のフライトでオアフ島に帰るというのに、その早朝、またシュノーケルをした。

あんなに水が怖かった私が。

人はいくつになっても変わることができるのである。






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ラニカイの丘の岩の家

2017-08-15 19:53:56 | ハワイの自然
カイルアのラニカイの丘の上に、ヒルトップハウスがある。

この家は、自然の岩をそのまま利用して造られた家だ。





先週、その家の持ち主であるペギーが95歳で他界した。

ペギーの娘さんと私の夫の叔母は友人で、この家と家族の話はよく聞いていた。

これはその家の物語である。





この家が造られたのは1930年。

ペギーの父は、子供の頃から丘のてっぺんに家を建てて住むのが夢だった。

そして、ラニカイの丘にたつ巨大な岩を見た瞬間、全身に鳥肌がたち、「ここだ!」と心が叫んだ。

彼は家族を連れて丘に登り、そこでピクニックをした。

そこから眺める海はすばらしく、偏西風が心地よかった。

「天国の海」という意味の名前をもつラニカイは、多くの人の心を魅了する。


その土地の持ち主も、実はその丘に家を建てたかったのだが、妻が海岸に近い場所がいいと言うため

建てずにいた。しかし、けして開発業者には売らなかった。

誰かがそこに家を建てて住んでくれるのを待っていたのだ。


そこに現れたペギー一家。

ハワイでは、昔から岩は神聖なものとされている。

岩は絶対に削ったり壊したりしないことを条件に、ペギー一家はそこに家を建てることになった。

予算も限られていたので、友人らの協力を得て自分たちだけで建て始めた。

しかし丘の上は風が強く、どうやってそれに耐えられる家にするかは素人には難しい問題だった。

たまたま近所に、日本で台風に強い家を建てたことがあるという年配の日本人男性が住んでおり、

「窓にも屋根にも庇をつけるな。風が入り込んで家を壊すから」

と助言してくれた。

彼らがその男性の家まで毎日迎えに行くと、彼は通訳として孫息子を連れてやってきて、

専門的な助言をあれこれしてくれたのだった。

そうやってできた丘の家に、 Puuhonua という名前をつけた。

Puuはハワイ語で丘、Honuaは地球の上にあるもの、という意味だ。






ギャラリーにつづく階段。両壁は岩を利用している。



2階に続く階段。岩の隙間を利用して本棚が作られている。



2階のリビング。岩の上にマットを敷いてソファにしてある。



寝室。ベッドにいるのがペギーと娘さん。この娘さんが叔母の友達だ。1952年ごろ。



テラスからラニカイの海を眺める。




日本が真珠湾を急襲した、あの日。

ペギーはこの家の2階の窓際にいた。

飛行機の轟音に窓の外を見ると、低空飛行してきた日本の戦闘機が丘をかすめてゆき、

そのときパイロットと目が合った、という。




ペギーはその家Puuhonuaを愛し、その家で95年の生涯を閉じた。

ペギーの父がその丘と岩に恋をしてから90年近い歳月が過ぎ、

丘の家はまだ同じ顔をして丘から海を見下ろしている。








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裏の元締め

2017-08-15 07:59:11 | 日記
うちの2匹の猫、チーズケーキはごはんモンスターである。

読んだ本によると、偏食や食が細い猫も多いらしいが、そういうものとは無縁だ。

カウチに座っていた夫が立ち上がっただけで、ごはんがもらえるチャンスとばかりに色めき立つ。


ニャー ニャー ニャー


ごはん催促するのは決まってガールのほうだ。

鳴いたことがない寡黙なボーイは、いつのまにか近くにいてガールのお相伴にあずかる。

とにかくいつでも食べたいので、欲しがるだけあげていたら肥満猫になってしまう。

だから心を鬼にして無視。

ごはんが好きで助かることもある。

彼らを庭に出したあと、家に入れたいときに、まだ遊んでいたくて走り回るのを追いかけるのは大変だが

ごはんの入ったタッパーを持って振り、

「ごはん、ごはーーん」(我が家では ごはん は日本語である)

と叫ぶだけで、庭のどこにいても一目散に走ってくる。

体調が悪いのも、食欲でわかる。



さて、鳴いて催促してもダメだとわかると、ガールはパントリーの前に陣取り、なにかの拍子に扉があくのを待つ。




「この中にごはんが入ってるにょ、知ってるにょー」


そしてその隣にはいつのまにかボーイが・・・・



控えている。

これはもしかすると、ボーイが元締めで、ガールはパシリで催促させられているのでは。

いつだって、催促するガールのすぐ近くにひっそりといて、

もらえないとわかるとゆっくりと去ってゆくその背中は、いかにも元締めらしく余裕がある。






元締め、シモジモの者を睥睨す。





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