今年も最後の1ヶ月を残すのみとなりました。国内のコロナ感染は減少傾向ですが、新たに見つかった変異種のオミクロン株が非常に気になります。これが第6波の引き金にならない事を祈るばかりです。
さて、近畿の道の駅全駅制覇≪兵庫県編≫第4回は、兵庫県の日本海側の道の駅を目指す事にしました。出掛けたのは、前回淡路へ行った翌週の12月5日です。
最初に目指したのは、我が家から距離的に一番遠くに位置する「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」です。Googleマップでの最短ルート(阪和道海南IC起点)は上の通りですが、なぜか妻の車のカーナビでルート検索すると、鳥取県側からアクセスするルートが選択されてしまいます。この日の運転は妻に任せていますので、ちょっと遠回りのように思いながらもカーナビの指示に従って朝6時過ぎに我が家を出発しました。
まさか兵庫の道の駅に行くのに鳥取県を経由するとは思っていませんでしたが、国道29号線を走行中です。この場所、黒猫2号殿ならご存じかもしれませんね。(多分、国体道路交差点だと思います。)
国道29号線から国道9号線を経て、国道178号線で兵庫県に入りました。山陰海岸の風景を左に見ながらのドライブとなりました。
かなり遠回りになりましたが、久々に鳥取県に行く事が出来たし、それはそれで楽しめました。途中の休憩を挟んで約5時間弱でこの日最初の目的地「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」に到着です。
兵庫県美方郡新温泉町にある兵庫県道47号線の道の駅です。登録は2016年10月7日で、オープンしたのは2017年9月21日と比較的新しい道の駅です。山陰海岸という名が付いていますが、海沿いにはなく海も見えません。山陰海岸ジオパークについてはWikipediaをご覧下さい。
この辺は但馬牛が有名な地域のようで、この日訪れた道の駅の至る所に但馬牛のモニュメントや看板を見ることが出来ました。こちらの道の駅にも但馬牛の模型が飾られています。マスクはご時世を反映していますね。こちらのレストランで但馬牛を食せるようですが、但馬牛入りのコロッケで我慢しました。物販施設も充実しています。この日最初のスタンプをゲットして次の道の駅を目指すことにしました。
この日2ヶ所目は、兵庫県内の道の駅の中でも一番行って見たいと思っていた道の駅で、ここに行きたくて今回の道の駅巡りのルートを決めました。やっと念願だった道の駅に行けます。
走行中に写した画像をトリミングしました。少々ブレていますが、目の前に見えている高架橋梁はJR山陰線です。いよいよ念願の道の駅(と言うより、駅舎)が近付いて来ました。
この日2ヶ所目となるのは「道の駅 あまるべ」です。鉄道ファンには道の駅よりもJR山陰線餘部駅の方が有名な所ですが、私も一鉄道好きとして、この場所は以前から来てみたいと思っていた所です。
「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」から山陰近畿自動車道(浜坂道路)を走行し、余部ICから県道4号線、国道178号線を経由して約10数分で到着しました。
道の駅のスタンプゲットは後回しにして、先に餘部駅を見学に行く事にしました。休日(土曜日)と言う事もあり、遠くからの観光客もちらほら見掛けました。
旧餘部鉄橋の鋼製トレッスル橋梁の一部が展示されています。ご存じだとは思いますが、旧餘部鉄橋で1986年(昭和61年)12月28日、強風に煽られた回送列車が転落すると言う事故が発生し、12人の死傷者が出ています。旧餘部鉄橋は撮り鉄にも人気のスポットでした。
新しい橋梁の下に事故の犠牲者を悼んで慰霊碑が設置されています。悲惨な事故は二度とあってはなりません。
新しく作り変えられた橋梁はエクストラドーズドPC橋と言われるコンクリート製となっています。旧橋梁の南側に沿うように立っています。
駅舎は高架駅で、現在はエレベーター(余部クリスタルタワー)で行く事が出来ます。上の写真は駅からの帰りに、エレベーターの無い時代に使われていた駅までのアクセス道路の途中で写したものですが、昔は急な坂道を利用する以外にルートはなく、当時の苦労が偲ばれる思いがしました。
駅に上がって来ました。駅名表はこんな感じです。右が京都方面、左が鳥取方面です。隣の鎧駅も海の見える駅として鉄道ファンにはけっこう人気の駅のようです。
トンネルとトンネルとに挟まれた形で駅舎(無人駅)があります。上が上り(京都方面)下が下り(鳥取方面)です。列車が来ないか期待していたんですが、残念ながら列車を見る事は出来ませんでした。
現駅舎のホーム北側に「余部鉄橋空の駅」として旧線路の一部が残されており、歩いて見学できるようになっています。左に見えているのが、昔から使われている駅へのアクセス道で、帰りはこちらの道で降りて来ました。
山道を降りて行く途中、餘部の集落と海岸を見ることが出来ます。この日の日本海は穏やかです。季節は冬。もう直ぐこの辺は雪景色となります。渋柿も雪を纏うのでしょうか?
集落の広場に旧余部橋梁のガード部分が残されています。人との対比でその大きさが伺い知れますね。(餘部の「餘」は、橋梁に書かれている「余」にしました。)※「余部駅」は姫新線にも同じ駅名表記の「余部駅」がありますが、こちらは「よべえき」となります。
餘部鉄橋と餘部駅に関しての詳しい内容はWikipediaのリンクを貼って置きますので、興味がございましたらアクセスして見て下さい。
餘部駅見学に夢中になり、本来の目的である道の駅の方が疎かになってしまいましたが、下界に降りて来て、無事にスタンプをゲットしました。兵庫県美方郡香美町にある国道178号線の道の駅で、2012年3月26日登録、同年7月8日にオープンしています。餘部鉄橋のほぼ真下(南)にある道の駅です。JRの駅と併設されている道の駅としては、和歌山県の「道の駅 なち」もそうですね。私鉄では近鉄(奈良県)の飛鳥駅と「道の駅 飛鳥」があります。
規模的にはそれほど大きな道の駅ではありませんが、食堂、特産物直売所、鉄橋資料展示、休憩コーナーなどがあります。余部駅観光の休憩所としての役割を担っている道の駅と言った所でしょうか?
時間があれば近くの灯台にも行きたい気持ちもありましたが、そこは我慢して次の道の駅を目指す事にしました。時刻は正午を過ぎた辺りで、そろそろお腹の虫も騒ぎ始めたようですが、この日の続きは次回と言う事で、お楽しみに! 今回はここまでです。
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さて、近畿の道の駅全駅制覇≪兵庫県編≫第4回は、兵庫県の日本海側の道の駅を目指す事にしました。出掛けたのは、前回淡路へ行った翌週の12月5日です。
最初に目指したのは、我が家から距離的に一番遠くに位置する「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」です。Googleマップでの最短ルート(阪和道海南IC起点)は上の通りですが、なぜか妻の車のカーナビでルート検索すると、鳥取県側からアクセスするルートが選択されてしまいます。この日の運転は妻に任せていますので、ちょっと遠回りのように思いながらもカーナビの指示に従って朝6時過ぎに我が家を出発しました。
まさか兵庫の道の駅に行くのに鳥取県を経由するとは思っていませんでしたが、国道29号線を走行中です。この場所、黒猫2号殿ならご存じかもしれませんね。(多分、国体道路交差点だと思います。)
国道29号線から国道9号線を経て、国道178号線で兵庫県に入りました。山陰海岸の風景を左に見ながらのドライブとなりました。
かなり遠回りになりましたが、久々に鳥取県に行く事が出来たし、それはそれで楽しめました。途中の休憩を挟んで約5時間弱でこの日最初の目的地「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」に到着です。
兵庫県美方郡新温泉町にある兵庫県道47号線の道の駅です。登録は2016年10月7日で、オープンしたのは2017年9月21日と比較的新しい道の駅です。山陰海岸という名が付いていますが、海沿いにはなく海も見えません。山陰海岸ジオパークについてはWikipediaをご覧下さい。
この日2ヶ所目は、兵庫県内の道の駅の中でも一番行って見たいと思っていた道の駅で、ここに行きたくて今回の道の駅巡りのルートを決めました。やっと念願だった道の駅に行けます。
走行中に写した画像をトリミングしました。少々ブレていますが、目の前に見えている高架橋梁はJR山陰線です。いよいよ念願の道の駅(と言うより、駅舎)が近付いて来ました。
この日2ヶ所目となるのは「道の駅 あまるべ」です。鉄道ファンには道の駅よりもJR山陰線餘部駅の方が有名な所ですが、私も一鉄道好きとして、この場所は以前から来てみたいと思っていた所です。
「道の駅 山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」から山陰近畿自動車道(浜坂道路)を走行し、余部ICから県道4号線、国道178号線を経由して約10数分で到着しました。
道の駅のスタンプゲットは後回しにして、先に餘部駅を見学に行く事にしました。休日(土曜日)と言う事もあり、遠くからの観光客もちらほら見掛けました。
旧餘部鉄橋の鋼製トレッスル橋梁の一部が展示されています。ご存じだとは思いますが、旧餘部鉄橋で1986年(昭和61年)12月28日、強風に煽られた回送列車が転落すると言う事故が発生し、12人の死傷者が出ています。旧餘部鉄橋は撮り鉄にも人気のスポットでした。
新しい橋梁の下に事故の犠牲者を悼んで慰霊碑が設置されています。悲惨な事故は二度とあってはなりません。
新しく作り変えられた橋梁はエクストラドーズドPC橋と言われるコンクリート製となっています。旧橋梁の南側に沿うように立っています。
駅舎は高架駅で、現在はエレベーター(余部クリスタルタワー)で行く事が出来ます。上の写真は駅からの帰りに、エレベーターの無い時代に使われていた駅までのアクセス道路の途中で写したものですが、昔は急な坂道を利用する以外にルートはなく、当時の苦労が偲ばれる思いがしました。
駅に上がって来ました。駅名表はこんな感じです。右が京都方面、左が鳥取方面です。隣の鎧駅も海の見える駅として鉄道ファンにはけっこう人気の駅のようです。
現駅舎のホーム北側に「余部鉄橋空の駅」として旧線路の一部が残されており、歩いて見学できるようになっています。左に見えているのが、昔から使われている駅へのアクセス道で、帰りはこちらの道で降りて来ました。
集落の広場に旧余部橋梁のガード部分が残されています。人との対比でその大きさが伺い知れますね。(餘部の「餘」は、橋梁に書かれている「余」にしました。)※「余部駅」は姫新線にも同じ駅名表記の「余部駅」がありますが、こちらは「よべえき」となります。
餘部鉄橋と餘部駅に関しての詳しい内容はWikipediaのリンクを貼って置きますので、興味がございましたらアクセスして見て下さい。
規模的にはそれほど大きな道の駅ではありませんが、食堂、特産物直売所、鉄橋資料展示、休憩コーナーなどがあります。余部駅観光の休憩所としての役割を担っている道の駅と言った所でしょうか?
時間があれば近くの灯台にも行きたい気持ちもありましたが、そこは我慢して次の道の駅を目指す事にしました。時刻は正午を過ぎた辺りで、そろそろお腹の虫も騒ぎ始めたようですが、この日の続きは次回と言う事で、お楽しみに! 今回はここまでです。
兵庫県の道の駅、残り25ヶ所。
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思います。旧餘部鉄橋の写真も撮りに
行けなかった思いも強い場所です。
知らない所を紹介してもらえて
嬉しいです。
鉄道ファンならずとも、写真愛好家にとってもこの餘部鉄橋(旧鉄橋)は人気のスポットで、私も以前から行って見たいと思っていた場所です。ちょうど今から1年前になりますが、暖冬で雪がなくて助かりました。(逆に雪の景色でなくて残念に感じた人もいたかもしれませんが…。)今年は既に雪が積もっているようです。
あまるべの道の駅は、この鉄橋の直ぐ下にあるので、ロケーション的にはベストの場所だと思います。
近畿の道の駅151ヶ所を回り切った後ですが、もう一度行って見たい道の駅の一つでもあります。
餘部鉄橋はもの凄く有名なところです。
事故当時は私は既に東京に住んでいましたが、事故のニュースは憶えています。
古い鉄橋も一部残っているんですね。
事故の記憶を残していくためには大切な遺産です。
ところで、今朝の地震は大丈夫でしたでしょうか?
かなり強い揺れだったようなので、ご無事をお祈りしています。
こちらも夜中に2度、地震で起こされ、起き抜けにも結構強い地震がありました。
なんだか不気味です。
まずは今朝の地震ですが、一瞬南海トラフ地震かとヒヤッとしましたが、大きな被害などは発生していないようで、ホッとしています。自宅の棚に置いてあるCDなどが少し落下しましたが、我が家も全員無事です。ご心配頂き有難うございます。関東の方でも、山梨県を震源とする地震が発生しており、この先、大きな地震が発生しないか不安が募りますね。
さて、道の駅ですが、兵庫県は瀬戸内側と日本海側で、それぞれ違った顔を持っているので、興味深いですね。雪が降ると行き辛くなるので、その前に行こうと言う事で、山陰側に行く事にしました。
今回アップした中では餘部ばかりが目立ってしまっていますが、浜坂の郷は兵庫県と鳥取県の県境近くにある道の駅で、良い所でした。
餘部に関しては、何も言う必要もないほど、鉄道ファンや写真愛好家には有名な所で、旧鉄橋からの転落事故も当時大きく取り上げられていましたね。私がちょうど埼玉に転勤になった年で、着任して直ぐの事故でした。(昭和61年12月16日付での辞令でしたので、埼玉移動は14日でした。事故は2週間後の28日発生。)事故を風化させないためにも、こう言う遺物はいつまでも残して行って欲しいものです。お気付きかと思いますが、道の駅の看板の支柱は、旧鉄橋の一部が使われています。
この日の道の駅巡りは、ここから内陸の方に向かいました。次回もお楽しみに!
ロングドライブお疲れさまです。なかなかの強行軍ですね。
私が大阪に居た頃は高速道路がまだ堺までしかなくて大阪⇔和歌山間はたいへんだった覚えがあったり・・・。
それはともかく餘部鉄橋はあの事故の後架け替えられていたのですね、知りませんでした。
行ってみたい場所のひとつでもありますが、0-sen(零銭)さんの写真で行った気になってたりして(笑)。
興味深い写真をありがとうございました。
出掛けたのはちょうど去年の今頃で、それを今になって紹介するとは、どういうこっちゃ!と言われそうですが、お許し下さい。
この日の運転は妻に任せました。(スタッドレス装備は妻の車だけなので。)まさか鳥取から回る事になるとは思ってもいませんでしたが、妻は運転は苦にならない性格ですので、ナビ任せでこうなってしまいました。
≻私が大阪に居た頃は高速道路がまだ堺までしかなくて大阪⇔和歌山間はたいへんだった覚えがあったり・・・。⇒仰る通りで、昔は和歌山から大阪に行くのは大変で、高速(阪和自動車道)は海南ICから阪南ICまでしかなく、一旦阪南ICで降りて国道26号線を北上し臨海(もしくは工事中の第2阪和国道)に入り、阪神高速堺ICから阪神高速で名神や中国道方面に行っていました。豊中ICの混雑振りや高速の渋滞は慢性的に起こっていましたね。今は近畿道や第2京阪が完成して、便利になりました。妻と付き合ってた頃が懐かしいです。その当時、妻は堺市鳳でアパート暮らししていて、第2阪和を良く使っていました。今は滅多に通らなくなってしまいました。
≻それはともかく餘部鉄橋はあの事故の後架け替えられていたのですね、知りませんでした。
行ってみたい場所のひとつでもありますが、0-sen(零銭)さんの写真で行った気になってたりして(笑)。
興味深い写真をありがとうございました。⇒餘部には以前から行って見たいと思っていましたが、そこに道の駅があると言うのは今回の企画で初めて知りました。兵庫県の山陰側は風光明媚な所も多く、瀬戸内とは違った風景が楽しめて興味深いです。兵庫県はその両方が楽しめるので、良いですね。瀬戸内には瀬戸内の良さがあり、今後瀬戸内沿いの道の駅も紹介しますので、お待ち下さい。
餘部鉄橋は、旧鉄橋の事故後、新しく生まれ変わりましたが、旧鉄橋の写真なんかは今も多く見ることが出来ますね。四季折々の風景がありますが、冬の景色も良い所です。和歌山県人にとって雪道を走行するのは命がけになるので、冬の餘部を見る機会は今後も写真だけになりそうですが…。
私の下手な写真で行った気になって頂けたのでしたらアップした甲斐があったと言うものです。写真のサイズを小さくしているがちょっと残念かもしれませんね。この後も興味を引いて頂けるような写真をアップ出来たら良いのですが…。
兵庫県の道の駅巡りはまだ暫く続きますが、今後は山間部の方に向かいます。次回もお楽しみに!
今回はどちらかと云うと餘部鉄橋編ですね
鳥取道ではなく29号線を通ってこられたのですか?
こちらの方が距離が短く時間も掛からないとは驚きでした。
余部という地名、今まで「アマリベ」と読むのかと思っていました(恥)
近くに余子(餘子)という地名が有り、これが「アマリコ」と読むので、そう思い込んでいました
ワタシは県の極西部(伯耆国)居住なので、東部(因幡国)は土地勘がありません
国体交差点は一度通った記憶が有ります、ってその程度なのですが(^^;
但馬牛もなかなかですが、もう少し西に足を延ばされて、賀露港に寄られたら蟹が安く入手出来たのかも知れませんね。
それにしても高い!高架駅なんてものじゃないですバンジーが出来そう、これは脚がすくみます(冷や汗)。
何だかコメントを強要してしまったみたいで申し訳ございません。
≻今回はどちらかと云うと餘部鉄橋編ですね
鳥取道ではなく29号線を通ってこられたのですか?
こちらの方が距離が短く時間も掛からないとは驚きでした。⇒一番上のGoogleマップのルートは無視して下さい。位置関係を見て欲しくてマップを載せましたが、実際の走行ルートではありません。出掛けた時のルートは、妻のカーナビの指示で中国道佐用ICから鳥取自動車に入り、29号線経由で最初の道の駅浜坂の郷に向かったと記憶しています。マップ下写真が29号線を走行中の写真です。実際はGoogleマップのルートの方が早く到着したと思いますが、この日のドライバーは妻でしたので、任せる事にしました。(そのルートをブログに貼ろうとしましたが、なぜかうまく行かず諦めました。)
餘部は鉄オタや写真マニアには有名な場所で、私も以前から行ってみたいと思っていた所でした。ですので、今回のブログではどうしても餘部の方に目が行ってしまいましたが、浜坂の方も兵庫県の山陰側最西端の道の駅と言う事で、印象深い道の駅でした。(兵庫県全体の最西端の道の駅は瀬戸内側になります。)
≻但馬牛もなかなかですが、もう少し西に足を延ばされて、賀露港に寄られたら蟹が安く入手出来たのかも知れませんね。
それにしても高い!高架駅なんてものじゃないですバンジーが出来そう、これは脚がすくみます(冷や汗)。⇒道の駅制覇が目的と言う事もあり、名所観光はなるべくスルーする事にしていますが、餘部駅だけは避けられませんでした。もし今後再訪する機会があれば紹介して頂いた場所にも足を延ばし、本場のカニを堪能したいですね。
コメント有難うございました。
あれ、零銭様も鉄道好きであらせられますか!飛行機(ミリタリー)好きで鉄道好きも意外と多いですよね。実は自分もそうでして、鉄道趣味歴50年、飛行機趣味歴40年になります。余部橋梁は、架け替え前に行きました。観光船で海から眺めたこともありました。あの転落事故は衝撃でしたね。仕事でJR鷹取工場へ出張したら、転落した客車のスクラップ片が残ってまして、思わず合掌いたしました。転落を免れたDD51ディーゼル機関車は、岡山県の津山まなびの鉄道館で保存されてます。ではまた。
コアな鉄道好きと言う訳ではありませんし、どちらかと言うと乗り鉄の方で、以前、拙ブログで阪和線や紀勢線などの乗り通し記事をアップしたこともあります。息子の影響もあるんでしょうね。その息子が仕事で海外へ行ったきり帰って来ないし、コロナの影響で乗り通しも難しくなっています。18切符で山陽線から山陰線で中国地方を一周しようと話していた矢先の出張(と言うより、考えようでは転勤?)でしたので、実現していませんが…。息子の帰国はまだ当分先になりそうです。逆に妻は電車に乗るのが嫌いな方で、もっぱら車での移動派です。
餘部橋梁の直ぐ傍に道の駅があるので、今回は餘部駅の方まで足を延ばしてみましたが、もし道の駅がなければ行っていなかったと思います。ちょうど去年の今日、今時分の時間(お昼ごろ)に餘部にいました。貴殿は旧鉄橋をご存じとの事で、いい思い出になっていらっしゃるようで羨ましいです。観光船なんてものがあったとは知りませんでした。
岡山県の津山まなびの鉄道館へは行って見たいですが、両親の介護で長時間家を留守に出来ないので今は動く事が出来ません。