Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

行基寺 其の一(2018年9月16日参拝)

2018年10月13日 | 西美濃三十三霊場
白山登山から早くも二週間が経った。

まだまだ暑い日が続くので、
寺社仏閣巡りは控えている。

しかし、今日は名古屋で所用があり車で行くので、
岐阜へ立ち寄り神社仏閣を巡ることにした。

本来ならガッツリと参拝したいものだが、
時間が無いので二、三社で参拝は終わりそうですけどね。

まずは東海地方屈指の古刹である行基寺へ。


所在地:岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平年間
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三霊場


【縁起】
約1300年前の天平年間、当時、大仏建立の勧進の為、
諸国を行脚していた行基菩薩が聖武天皇の勅願を得て、
美濃・尾張・伊勢の三国の守護霊場山として、
この地に七堂伽藍を尽くした菩提寺が建立されたのが始まりです。

当山内には行基塚があり、天平宝字元年(757)二月二日に行基菩薩が、
八十二歳でご入寂されたと伝えられる場所には重要文化財の板碑と、
七重石塔が今も残っています。


南北朝の動乱期、当山は戦乱の際の兵火により全山焼失。

尾張津島の領主並びに信徒らが、
再びこの臥龍山の地に伽藍を建立されました。

東山天皇の元禄年間、尾張藩二代藩主徳川光友公の次男で、
徳川家康公の曾孫である松平義行公が、美濃高須藩の藩主として封ぜられ、
当山を松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を城郭に見立てて改築し、
宝永2年(1705)に再建しました。

その後、行基寺は明治維新に至る160年間は、
一般庶民の登山参詣は禁止されていました。

今もなお、松平公ご使用のお駕籠、調度品等々がそのまま残っており、
中でも当時使用されていた約2m大の櫓時計は今も時を伝えています。


【林道】


行基寺は山寺なので林道を走ることになる。

ここは広いですが、段々と狭くなっていきます。




進めば進むほど狭い道になっていき、
対向車よ来ないでくれ!と願わざるを得ない道が続く。


【風景】


林道の途中から見えた濃尾平野はなかなか良い。


【林道】


石垣が見えてきて、ようやく到着出来て安堵した。(^^;


【御山の燈台】




無料駐車場というか広場のような場所に車を停めると、
このような燈台があった。


【風景】




駐車場から眼下に見える大きな川は揖斐川です。


【石垣】


このお寺の威容が分かる立派な石垣です。

黒門から入ることは出来ません。




長い石垣が続きます。

この石垣を新たに造ろうと思ったら、
余裕で億単位の費用が必要でしょうね。


【山門】




やっと山門が登場。

さすが古刹の大寺の威厳を感じる山門で、
文政3年(1820)再建されたもの。

二階には松坂屋社長であった伊藤治郎左衛門より寄進された、
釈迦如来・千手菩薩・弥勒菩薩が安置されているそうです。


【葵の御紋】


美濃高須藩主松平家の菩提寺であります。


【境内】




私が好きな良い雰囲気です。(^^


【石仏】





【涅槃像】


仏様というより修行僧のようですね。

行基菩薩なんでしょうか。


【観音堂】


山門入って左側にあります。






立派な宮殿に観世音菩薩が祀られていました。


【山門】



【境内】


お庭も綺麗に手入れされています。


【寿の泉】



【石仏】



【蹲踞】


真ん中の四角を漢字の口に見立てて、
吾唯知足と四文字刻まれています。

これと同じような蹲踞を龍安寺で見た記憶があります。


【手水鉢】



【刻紋石】





【七重石塔】


こちらは重文の七重石塔ではありません。


【行基堂】


3年ぐらい前までは近くまで行けたのに、
今は立入禁止になっていました。

高台に登ると行基堂、松平家廟、重文の七重石塔があるようです。

是非とも近くで見たかったな。


【本堂】


現在の本堂は天保3年(1832)に再建されたもの。




拝観料400円を支払い堂内へ。




本堂は外陣と内陣に別れ、
内陣は三室ありました。






まずは御本尊にお参りです。








左右の部屋の奥には色々な諸仏が祀られていました。


【葵の御紋】


本堂の参拝を済ませ次は庭園の見学です。

長くなりましたので続きはまた明日。


最新の画像もっと見る