何かの間違いか、閉店セールや廃線になる列車が賑わうのと同じなのか、この天皇陵巡りも最終回に近づいた今、天皇陵巡りでは初めての、1日のアクセス100越えになりました。ありがとうございます!!! と思ってたら今日はいつもの数字に戻ってましたが、
九条尚忠(ヒサタダ)の長女九条夙子(クジョウアサコ)(1834~1897)は、12歳で統仁親王(オサヒト)の妃となり、統仁親王が第121代孝明天皇(1831~1866)(在位1846~1866)となったので、入内して女御宣下されました。
孝明天皇陵の後月輪東山陵と同じところにある後月輪東北陵(ノチノツキノワノトウホクノミササギ)です
1850年に第1皇女を1858年に第2皇女を夙子は産みましたが、いずれの皇女も夭折してます。
それで、1860年典司中山慶子(ヨシコ)(1836~1907)が産んだ孝明天皇の第2皇子祐宮陸仁親王(サチノミヤムツヒト)を実子としました。
一部木の塀と門に囲まれています
夫孝明天皇が急死し、この陸仁親王が第122代明治天皇(1852~1912)(在位1867~1912)として即位したので、夙子は皇太后に成り、64歳で亡くなると英照皇太后の追号もうけて、後月輪東北陵(東山区今熊野泉山町)に葬られました。
残りあと3代になりましたよ!
ここから、大正、昭和と激動の時代に入りますね。
見る方も力が入ります。
長い間のご清聴ありがとうございます。
もう少しですし、次回の連載予定もそろそろ固まってきました。