富江から福江に行くいつもの道を、いつものように海岸に沿って走り、一つ目のトンネルを抜けると、そこは富江町の田尾地区。
その田尾の一番端までが富江町で、その向こうは福江です。
この道路沿いにこの看板が立っています、牛瀬・馬瀬と書いてある名所説明文。
海岸から眺めると、この写真の左半分は富江町の田尾、右半分は旧福江市の福江町です。
先ほどの看板は、この写真のちょうど真ん中あたりの道路沿いに立っていて、中央黒っぽい岩が写ってるのが分かりますね、ここが馬瀬・牛瀬。
*看板は牛瀬・馬瀬の順に書いてありましたが、病院職員の富江住民に聞くと、皆が馬瀬・牛瀬と言います。
読み方は「ばせ・ぎゅうせ」と言う院長、「うませ・うしせ」と子供は学校で習ってきたと言うお母さん看護婦さん、「うまんぜ・うしんぜ」や「うっぜ・うんまんぜ」もありました。
元々富江藩は、ひと騒動あっって福江藩から分藩され出来た藩。
その境界を定めるにあたって、富江藩は牛に福江藩は馬に乗ってそれぞれの城下を出発し、その出会った場所がここだったので、ここを両藩の境界としたそうですが、牛と馬ではえらく富江藩には不利な境界の定め方だったようですね。
その時の牛が富江よりのこの左側の岩(確かに牛です)、右の福江よりの小さな岩が馬(これはせいぜい見えて寝そべったラクダ)だそうで、そこからここを馬瀬・牛瀬と呼ぶようになったそうですよ。
これで納得したらいいのに、なんか馬の岩の形が気に入らないので、今度は湾の反対側に回って眺めてみると、牛だった岩さえ牛に見えなくなっています。
船から眺めることが出来ないのは残念ですが、科学者?としてはなんか不満が残ります。
看板の所に戻って、道の上から海岸の岩を眺めると、牛の岩と思っていた岩は2個の岩に別れて並んでいました。
右側富江側が牛の岩(サイにも見えますが)、左の福江側が馬の岩(馬の背という感じ)に見えませんか?!
これが真相なのでは?!馬瀬・牛瀬の名の由来岩はこれのことでは?!
富江の読者(まだ少ないか?)の人で、知っていれば教えて下さい。
返事
花水木さん:奈留島でも、しけで船が来ない時に真っ先に無くなるのは菓子パン。
福江島でも、パンの棚からパンが無くなってるのを目にします。
島の生活にいつからパンの文化が入ってきたのでしょうかね?
大雪男さん:昔よく買った、袋を持った黒人の太ったおばさんの絵が付いた干しぶどうの袋、
あの袋一杯分ぐらい干しぶどうが入ってる気がします。
商家の嫁さん:ジャパンカップは買えたのに失敗しました。
息子からは自慢げに、馬連で大もうけしたと電話がありました。
和さん:つばき屋さん系のスーパーです。
みかんやさんからブドウパンとアップルパイのリクエストがあって、家内が予約に行くと、
普通は5個ずつぐらいしか作らないと言われたそうですが、その後希望の10個ずつ作りますと電話があって、
前日に買い占めて奈留島に持っていきました。味はみかんやさんに聞いてください。
和みさん:あのスーパーまだ新しいのですね。
ブドウパンの方は、モールの店に行かないと、なかなか有りません。
福山市さん:私の子供たちは、干しぶどうも焼きりんごも好きではないようです。
この二つが好きなのは、我々世代ぐらいですかね。
しかしその母親が祖母と会話する時『うまんぜ…』と言っていたような記憶が微かに残っています。
そして大人になって、職場で貰った観光資料にも「牛瀬•馬瀬」
富江の殿様は馬を持っていなかったと記述があったような…
私は名前の事よりも、岩と岩の間(たしか50㎝位あると思いますが)が富江なのか福江なのか…幼い頃から気になってしょうがないです(๑>◡<๑)
以前はそう見えたのかもしれませんが、長年の浸食により形が変わったのかもしれませんが。
家の夫が干しぶどうとアップルパイが異常に好き。
お菓子もオールレーズン見ると必ず買います。
ラミーチョコも。その年代が好きと言うことで納得しました。アップルパイには苦い思いでがあります。
船旅で酔い、何も食べられない私を尻目に涼しい顔で、ランチの後、大きなアップルパイ食べてた夫。37年経っても忘れません。
他の読みは五島っぽくないです。
蕃境と言っても海の方が大事だったので、船から一目で分かる大岩にしたのでしょう。
ラミーチョコのレーズンも数年前に質が落ちましたね。
アップルパイも好きですが、「名犬ラッシー」に二つとも出てきてましたか?
あのブドウパンは入れ方が異常過ぎです。