読者の要請に応じて、今回はスマホの地図を載せてみました。(右の川が賀茂川・真ん中の通りが烏丸通り・左の太い道が堀川通りです)
やっと300ⅿほど進んだ1・2回目に続いて、今回はこの青線を鞍馬口通りに沿って東へ400ⅿほど行きます。
右手に立派な門が見えてきました。
徳川家康からこの地を与えられた後藤長乗(チョウジョウ)(彫金師として知る人ぞ知る人らしいですし、近くに北区長乗町の町名札も有りました)が、前田利常や小堀遠州の助力を得て造園した庭園擁翆園(ヨウスイエン)です。
現在は医療機器会社アークレイが所有していて非公開、この写真を撮る時に守衛さんは門の前からどいてくれましたが、中には入れてくれませんでした。
さらに少し鞍馬口通りを東に進むと、道端に近衛家別邸御花畑御屋敷跡のまだ新しい石柱を見つけました。
奥の何でもないボロい古民家は、これまた知る人ぞ知る喫茶店フランジバニです。
病院に家内を見舞った帰りに、こういうことはよく知ってる次男に連れて行ってもらいました。
静かに時が流れる店です。
横の説明板によると、この辺りは近衛家別邸で、幕末には島津家が使用していました。
長生きしていたら幕末~明治の歴史が変わったと思う小松帯刀(コマツタテワキ)(NHK大河ドラマ「篤姫」で私も初めて知った人物ですが(鹿児島市内で銅像も見ました)、瑛太さんが演じていました)の寓居でもあり、西郷・大久保がここで五山の送り火を見ていますが、今ではここからでは何も見えないかもしれません。
烏丸通に出入り口の有る京都市営地下鉄烏丸線の鞍馬口駅に到着。
以前は鞍馬口駅に近づくと、「ここは鞍馬寺の最寄り駅ではございません、国際会議場駅からバスに乗り換えて下さい」と、親切なのかややこしくなるのか分からない車内放送が有りましたが、さすがに今はここで降りて鞍馬寺に行こうとする観光客はいないのか、この車内放送は無くなりましたね。
でも京都が都だった頃は、ここから鞍馬寺に行くんでしたよ。
ここまで3回で約700ⅿほど進みました。
4回目は烏丸通りを渡って、写真の鞍馬口通りをさらに東へ進みます。
駄文が長く、景色の写真も派手でなく、そもそもどこが鞍馬街道の出発点か分からないようなブログになってしまい、「もうこんなのいいよ」と言われそうですが、こんな調子で進めます。
第2の天皇陵巡りのように成るかも知れませんが、間に他の話を入れながら続けますので、末永くよろしくお願いいたします。
よく、伏見稲荷には止まりません、というアナウンスも聞いたことがありますが、今もやってるのかな?
このアナウンス、外国のかたにはわからないでしょう、というのもよくありますね。みんなスマホがあるから、あんまり関係ないんですかね。
日本人もそうですが、外国人観光客もホンマに皆スマホ見てますね。若い時は思いもしなかったスマホとマスク姿の人間、もう世界はSFの中に入ってしまいましたよ。
新旧綯い交ぜになった街並みも、京都らしいと思います。
飲食店は、外観からは想像付かない良い店もありますね。
こういうネタ、私は好きです。
次、行ってみよう!
さっさと次に行きます、ありがとうございます。