ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

京王百貨店で

2010年01月29日 16時09分42秒 | 日常

今日、午前中に洗濯、布団干し(取り入れは夫に依頼)をしたあと、またもハローワークにでかけました。ネットで検索した事務のパートの相談でした。

 その帰りに、聖蹟桜ヶ丘まで行き、冬物一掃バーゲンセール中の京王百貨店で、ようやく面接用のジャケットを見つけました。やはり、京王百貨店は「おばさん」の味方!

 タキヒョーのブランドで、ミスパリとisinで、グレーと黒でいいのがありました。セールの金額だから2着でも1万円しなくて、気に入ったのが買えてよかったです。

 月曜日の午後、面接があります。それがだめでも、時間をかけて、ゆっくり自分にあった就職先を見つけます。

 私は正社員は目指しません。若い人がなればいいのです。子どもがいない50代の女性には、パートで十分。それすらも難しい現実です。でも、よーく考えてみると、所詮、パートだけでは一人の人間が、自分の収入で自立できることは難しいはずです。なのに、そういう仕事しかないとしたら、この社会は間違っているのではないでしょうか?会社が正規雇用をやめて派遣やパートばかりに頼るのは、絶対に間違っている。そんな「ゆとり」のない会社は、あってはならないのです。倒産して当然でしょう。

 グローバルだかなんだか知らないけれど、アメリカ的な能力主義を持ち込んだおかげで、日本のゆるーいゆったりした社会全体がおかしくなりました。呑気にサラリーマンやっていた時代が終わったのがいいのか悪いのか?私は悪いと思います。終身雇用、年功序列に、日本のよさが少しはあったと思います。きっちりと能力だけで判断するようなシステムは日本人には向いていないのではないでしょうか?常にダンボール抱えてビジネス街をうろうろするなんて、そんなこと、できますか?それだって、アメリカは失業保険の期間が相当長いと聞きました。

 人を時間をかけて育てるのが会社のつとめです。それができない会社はおかしいです。即戦力ばかり望む会社に、いいことなんてあるでしょうか?正社員を雇い、雇用保険、厚生年金、健康保険を会社も負担するのは当然のことです。

 今、オバマがこの公的医療保険制度を導入しようとして不人気になっていますが、日本は、不完全ながらもこの制度をきちんと持っています。自助制度がない国なんて、すべてを自己責任にする社会なんて、おかしいですよ。

 福祉が、医療制度が、年金制度がきちんとしていたら、少ない賃金でも心にゆとりを持って生活できるはずです。ゆとりのない社会は、夢も、未来も、希望もなくしてしまいます。

 昭和の時代を懐かしむというのは、怠け者のサラリーマンが結構いてそれでもみんな幸せそうだったからじゃないかな。

 今の社会のゆとりのない空気が、自分勝手な人間を増殖し、さらにいやな社会にしていっているのではないでしょうか。 払えるのに給食費を払わないモンスターペアレンツや、だれでも良かったという無差別殺人を起こす殺人鬼。少なくとも、昭和の人たちは、人にされていやなことは絶対にしなかった。おそらく、町内全体が家族とか、会社が大きな家族みたいなところが今はないからなのでは?

 私は見つかるまで、自分に合う場所を探します。きっとどこかにあるはず。

コメント
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