ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

BS1「ノーベル文学賞作家アレクシェービッチの旅路」

2017年02月19日 20時59分18秒 | 社会

 とてものんきに食事しながらというようなドキュメンタリーではありませんでした。でも、旧ソ連での原発事故チェルノブイリに興味があったし、「チェルノブイリの祈り」を書いた彼女が福島に来たというので、チェルノブイリとフクシマをテーマに前後編に分けたスペシャルドキュメンタリーを見たのでした。

 チェルノブイリからもう30年以上経ちました。いまだに後遺症があり、様々な問題が残っています。30年経ってもまだまだ汚染が続いていて、除染作業の人たちが働いている、というのが現実でした。その著書に出てきた人たちに再度、彼女が会って話を聞いていました。消火にあたった消防員の妻が、転院先のモスクワの病院で看病しているときの様子、彼女は新婚だったそうで、夫の死後、出産した女児もすぐに亡くなったそうです。看病の時に夫の放射能をあびた分、胎児がすべて引き受けたから自分が殺したようなものだと。彼女は再婚して男児を出産し、その後離婚。夫の実家に住む少年は肝臓と心臓に重い病気があるとのこと。消防員たちの原発事故での死亡者は放射能のせいで特別な墓に埋葬されたそうです。

 後半のフクシマでも、最初の避難指定など、混乱もあったようで、避難したから助けられなかったというようなこともあったのでは、という話も驚きました。津波で流されて漂流していた人たちがたまたままたたどり着いても、住民避難で助けられなかったのでは・・、というもの。

 酪農も大打撃でした。牛舎で餓死した写真を見たことがあっりました。避難する前は、出荷できない牛乳を毎日廃棄処分していたって。そして、絶望した酪農家が自殺しました。「原発さえなければ」

 彼女が言った「全体主義の国でも資本主義の国でも、国は人の命の責任を負わない」という言葉が、印象に残りました。そして、日本人には「抵抗の文化がない」と。

 諦めの文化、なのかな。

 投票率が低いのも、この諦めの文化なのかもしれません。でも、あきらめちゃ、だめですよ。一人が声を上げれば、世の中は変わるかもしれない。

 チェルノブイリでも、いまだにきのこは線量が高いそうです。森の汚染はなかなか消えない。

 人間が制御できない恐ろしい原発は、もう作ってはいけないんです。誰もが、NOと言わなくては!

 東芝の赤字も、そういうことでしょ?何かあったときの賠償は、お金だけで済むものではない本当に恐ろしく膨大なものだからです。もう、やめましょう。今、引き返さないと、更に恐ろしいことになります。

 原発さえ、なければ!

 

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