ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

古巣で式典

2018年06月11日 10時17分21秒 | 日常

 土曜日、元八王子市民センターで創立30周年記念式典に出席してきました。もと職員としてです。

   北条氏照まつりの面々

八王子に住んでいたころは、その仕事について最初の赴任先でした。一年目が業務員として、そこで主任が定年退職されたため、2年目は主任として。ちょうど東日本大震災をまたいで2年間の勤務、とても印象に残っています。その後は、夫のがん闘病のために自宅近くのセンターに移動願を出し、そちらで2年、そこで夫が病死、その後異動で別のところで1年、体の不調で結局その仕事を5年間でやめました。

 自宅から遠い元八王子へは、バスを乗り継いで通いました。今回は、JR八王子駅からバスに乗って、いつものバス停で降りて徒歩10分。バスで眺める景色も、6年経つと変わるものです。そして、バス停を下りたら、コンビニだった場所が別の店になっていてびっくり!ただ、バス停から脇道への道路はきれいに舗装されていました。

 懐かしい顔ぶれに会えてよかったけれど、一番合いたかった元館長に会えなくて、、残念でした。ほかのスタッフは6年経っても変わらないくらい元気。いいことです。

 またね!といったけれど、たぶん、もうお目にかからないでしょう。私はもう、八王子市民じゃないから。

 福生の公民館分館の祭りが土日とあり、私は日曜日の午後、他凹版で待機していました。俳句の会創立からずっと所属している先輩は、地元でたくさんの知り合いがいて、来る人たちと話しているうち、なんだかみんな、他のサークルやなんやかんやで、あの人!知ってる!てな具合に、みんなつながっていくのが面白かったです。昨日は午後から雨が降り、最後は土砂降りだったので、ちょっと残念でした。それでも人に見てもらうことって、励みになるものですね。私は自分の俳句ブースのお隣の、お子さんのアート教室の当番の女性(彼女はお子さんが教室に参加)といろいろ話し込みました。自由に工作したり絵を描いたりして遊ぶことは、とても素敵です。

 5歳の女の子が虐待を受けて亡くなったことも話しました。本当に、信じられないことです。5歳って、チコちゃんと一緒。夫婦そろって虐待なんて、どうして?母親は、自分な子供のころ、そういう虐待を受けていたのでしょうか?同性の子供をなんで愛せないのか、夫の実の子供じゃないから?だったら、せめて施設に預けてほしかった。

 いじめや虐待って、している方が罪の意識なんかないんですよ。彼女は、それがどれだけ罪なこと鴨わかっていないんじゃないか?親って、子供を育てていくうちに子供に親にさせられるものなんだと思います。子供は自分のものじゃない。好きにできるものじゃない!5歳で死んでいったお子さんが、本当にかわいそう。

 朝ドラ、最近はなんだか怖いことになってきました。律の恋人がものすごく怖いです。女性は人を好きになると、そんなに独占欲が強くなるのか??そう、恋人も友達も、自分のモノじゃない。律は、そんな毒のある彼女をずっと恋人として接していられるのでしょうか?

 綿h氏も若いころは3か月ごとに大恋愛しては失恋で幽霊のようになっていましたから、なんとなくわかる。まあ、人間はそういうことを繰り返して大人になっていくのでしょう。それにしても「さや」役の女優さん、ちょっと気の毒。友人は「石投げられちゃうよ」なんて心配していました。

 人はそれぞれ。個体差があるし、価値観は同じじゃない。同じ環境で育ってもそうでしょ。別の時間があって当然。独占するなんて、ストーカーみたいじゃないですか、おかしい。ま、それがわかったのも私はいくつかの大恋愛を経験してからです。うちの母方家系は情熱的すぎるので、父は相当苦労したんだと思います。私は自分をコントロールするようになりましたから、大丈夫。結婚してもそうれ程運命共同体にはならなかった。結婚相手に望むものは、紀州のドンファンとは全く真逆です。容姿ではなく、価値観と性格。

 スマホばかり見て自分の成長の努力をしない人間には、男女ともに明るい未来なんかないと思います。ただつながっているだけの友人なんて、人生においてそんなに意味ないでしょう。意味のない人生なんて、ああ、もったいない!5歳で餓死したあの女の子の人生の方が、濃密だったと思います。もっと生きたかったでしょう、本当にかわいそう。

 この世の中は生まれて決まるのでしょうか。どの親のもとに生まれてくるかも、運です。親の意向で学校を決められるけれど、それも運。むしゃくしゃしたからと切りつけられる事件に会うのも、運といえるかもしれません。大学入学した日に担任の助教授が言ったことが、「よく生きてここに来ましたね、それも運です」のようなこと。がんになるのも、運かもしれない。

 問題は、その先です。リスクにどう立ち向かうか、リスクをどう受け止めるか。

 友人はがんになり、そしてうつ病になりました。去年の暮れに自殺しました。担任の助教授のあの言葉を並んで聞いていたのに・・・。10月のクラス会には、私は行きません。でも、彼女は生きていたら行きたかったかもしれない。

 運悪く刺された女性をかばって亡くなった男性を、運が悪いと片づけることはできません。彼の勇気に感動します。それでも助けるという行為が、彼の人生だと思います。だから、助かった女性は自分を責めないでください。

 

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