『「三国志」の世界のこと 1(読んで・解かったこと)』
―長江の緩い河床勾配が、両軍合わせて数十万の『赤壁の戦い』のドラマを―
ウキペデイアから引用
ウキペデイアから引用
中国では『「三国志」は年寄りに読ませるな、「水滸伝」は若者に読ませるな』と言われるそうです。 『三国志』を読むと権力争いに夢中になり、『水滸伝』を読むと革命の血が騒ぐからと。 今日の中国はやはりこれらの書の影響が大きいのでしょうか?
香港では『「金瓶梅」は女性に読ませるな』と言われますが、この言葉、男社会の中国で生まれたことに納得です。 これに頷ける自分も、男社会の育ちです。
これらの物語に『三国志演義』を加えて、元から明にかけて、『四大奇書』と言われ、明時代には『金瓶梅』に代わって『紅楼夢』になり『四大名著』と言われてます。
さて、『三国志』の世界のことです。
❶中国北部と中央を占めた、後の『魏』の曹操は孟子の提唱した王道・覇道に、敢えて覇道を求めた。『全国を制覇し漢王朝に代わって新王朝建国』を目指したが、間に合わず、幕閣の将軍・司馬懿仲達(後の西晋国王)に代わられた。
中国南東部の、後の『呉』の孫権と周瑜は『赤壁の戦い』の勝利の後、『当面の狙い』の天下二分の二強時代を目指したが途上で没した。 映画『赤壁の戦い・レッドクリフ』の周瑜の最適役者、トニー・レオン(梁朝偉)の秀麗な顔が記憶に焼き付いています。
中国の南西部、四川盆地の、三国の中で最小国力、後の『蜀』の劉備と孔明は、やむなく『三国鼎立』を選んだ。 劉備亡き後も、軍師のままで孔明は、念願の漢王朝復活目指し、中原進出を上記の仲達と戦略勝負『五丈原の戦い』を繰り広げたが、命運つたなく戦陣で没した。 今でも涙を誘う『死せる孔明、仲達を走らす』です。
後に司馬懿仲達曰く『私は生者に対することは得意だが、死者に対することは不得手だ』この仲達、日本の戦国時代を終焉させた家康を彷彿とさせます。
ここで余談・自慢話です。
昔、香港の現地会社の大宴会で、現地のスタッフと現地語で「『三国志』中で最強は誰?』と意見百出になりました。 自分のアンサー『赤兎馬に跨り方天戟を使い、関羽と張飛を同時に相手にした呂布でしょうと』、 本社からのお客様が現地社長に『隣のテーブルの話題は何ですか?』と、社長曰く『三国志の最強英雄は誰か?』ですと。
❷長江の河床勾配は、四川盆地の重慶の海抜240m、上海―重慶間、2,400kmで、0.010%、船舶の所要 日数、16-20日。 途中に三峡ダム。
この長江の緩い河床勾配こそが、両軍合わせて数十万の『赤壁の戦い』の壮大なドラマを生んだのかと、想い巡らせます。 この戦いの時期は、北風(曹操軍には順風)が吹く時期であったが、たまたま南東の風に変わる日を、孔明も周瑜もよんでいたと。 これが勝因です。
また、余談です。
因みに、世界最長のナイル川、上流のスーダンのハルツームの海抜340mでカイロ―ハルツーム間2,950kmで、河床勾配0.011% 途中にアスワンハイ ダム。
続く、アマゾン川は、3,800km遡っても海抜80mで、河床勾配は0.002%と極端に小さく、これでも支流に超巨大ダム『ベロモンテダム』を建設中。 人類は地球規模で自然破壊等問題多発の『三峡ダム』『アスワン・ハイ・ダム』を忘れています。
❸数万を動員する戦いでも『奇襲』には、兵にも、馬にも『枚(バイ)』という口木を着けさせた。 夜討ちの時などに、兵の声や、馬の嘶き、をさせぬように、兵馬の口にくわえさせた、大きな箸のような道具。 ひもで首に結び付けた。 さらに、馬には『馬の藁草履』を履かせた。
『気象と戦い(赤壁の戦い)』、『潮・川の流れと水上戦(壇ノ浦では潮の流れの反転で源氏が勝利に)』、等、益々興味が湧いてきました。
信長の桶狭間の奇襲は、これも『気象と戦い』雷と暴風に幸いされ『枚(バイ)』も『馬の藁草履』不要であったのでしょうか。 日本では『枚(バイ)』も『馬の藁草履』もあったかどうか今後の調査課題です。
竹村公太郎氏のベストセラー3部作『日本史の謎は「地形」で解ける』がありました。 次は誰かの『日本史の謎は「気象」で解ける』が出てくるような気がします。
(20160730纏め、20190219追補、20210125追補 #077)