知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『「三国志」の世界のこと 1(読んで・解かったこと)』―長江の緩い河床勾配が、両軍合わせて数十万の『赤壁の戦い』のドラマを― 

2021-01-25 23:09:31 | 読書

     『「三国志」の世界のこと 1(読んで・解かったこと)』

―長江の緩い河床勾配が、両軍合わせて数十万の『赤壁の戦い』のドラマを―  

ウキペデイアから引用

 

ウキペデイアから引用

 

中国では『「三国志」は年寄りに読ませるな、「水滸伝」は若者に読ませるな』と言われるそうです。 『三国志』を読むと権力争いに夢中になり、『水滸伝』を読むと革命の血が騒ぐからと。  今日の中国はやはりこれらの書の影響が大きいのでしょうか?

 

香港では『「金瓶梅」は女性に読ませるな』と言われますが、この言葉、男社会の中国で生まれたことに納得です。 これに頷ける自分も、男社会の育ちです。

 

これらの物語に『三国志演義』を加えて、元から明にかけて、『四大奇書』と言われ、明時代には『金瓶梅』に代わって『紅楼夢』になり『四大名著』と言われてます。 

 

さて、『三国志』の世界のことです。

 

❶中国北部と中央を占めた、後の『魏』の曹操は孟子の提唱した王道・覇道に、敢えて覇道を求めた。『全国を制覇し漢王朝に代わって新王朝建国』を目指したが、間に合わず、幕閣の将軍・司馬懿仲達(後の西晋国王)に代わられた。

 

中国南東部の、後の『呉』の孫権と周瑜は『赤壁の戦い』の勝利の後、『当面の狙い』の天下二分の二強時代を目指したが途上で没した。 映画『赤壁の戦い・レッドクリフ』の周瑜の最適役者、トニー・レオン(梁朝偉)の秀麗な顔が記憶に焼き付いています。

 

中国の南西部、四川盆地の、三国の中で最小国力、後の『蜀』の劉備と孔明は、やむなく『三国鼎立』を選んだ。 劉備亡き後も、軍師のままで孔明は、念願の漢王朝復活目指し、中原進出を上記の仲達と戦略勝負『五丈原の戦い』を繰り広げたが、命運つたなく戦陣で没した。  今でも涙を誘う『死せる孔明、仲達を走らす』です。 

 

後に司馬懿仲達曰く『私は生者に対することは得意だが、死者に対することは不得手だ』この仲達、日本の戦国時代を終焉させた家康を彷彿とさせます。

 

ここで余談・自慢話です。

昔、香港の現地会社の大宴会で、現地のスタッフと現地語で「『三国志』中で最強は誰?』と意見百出になりました。 自分のアンサー『赤兎馬に跨り方天戟を使い、関羽と張飛を同時に相手にした呂布でしょうと』、 本社からのお客様が現地社長に『隣のテーブルの話題は何ですか?』と、社長曰く『三国志の最強英雄は誰か?』ですと。

 

❷長江の河床勾配は、四川盆地の重慶の海抜240m、上海―重慶間、2,400kmで、0.010、船舶の所要  日数、16-20日。 途中に三峡ダム。

 

この長江の緩い河床勾配こそが、両軍合わせて数十万の『赤壁の戦い』の壮大なドラマを生んだのかと、想い巡らせます。 この戦いの時期は、北風(曹操軍には順風)が吹く時期であったが、たまたま南東の風に変わる日を、孔明も周瑜もよんでいたと。 これが勝因です。

 

また、余談です。

因みに、世界最長のナイル川、上流のスーダンのハルツームの海抜340mでカイロ―ハルツーム間2,950kmで、河床勾配0.011 途中にアスワンハイ ダム。

 

続く、アマゾン川は、3,800km遡っても海抜80mで、河床勾配は0.002%と極端に小さく、これでも支流に超巨大ダム『ベロモンテダム』を建設中。 人類は地球規模で自然破壊等問題多発の『三峡ダム』『アスワン・ハイ・ダム』を忘れています。

 

❸数万を動員する戦いでも『奇襲』には、兵にも、馬にも『枚(バイ)』という口木を着けさせた。 夜討ちの時などに、兵の声や、馬の嘶き、をさせぬように、兵馬の口にくわえさせた、大きな箸のような道具。 ひもで首に結び付けた。 さらに、馬には『馬の藁草履』を履かせた。

 

『気象と戦い(赤壁の戦い)』、『潮・川の流れと水上戦(壇ノ浦では潮の流れの反転で源氏が勝利に)』、等、益々興味が湧いてきました。

信長の桶狭間の奇襲は、これも『気象と戦い』雷と暴風に幸いされ『枚(バイ)』も『馬の藁草履』不要であったのでしょうか。 日本では『枚(バイ)』も『馬の藁草履』もあったかどうか今後の調査課題です。

 

竹村公太郎氏のベストセラー3部作『日本史の謎は「地形」で解ける』がありました。 次は誰かの『日本史の謎は「気象」で解ける』が出てくるような気がします。

            (20160730纏め、20190219追補、20210125追補 #077)

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『まだ間に合うこと 1(寝たきりにならないために散歩と体操を)』―心臓は、一生に20数億回打つ、ゾウはゆっくり、ネズミは早く、筋肉は?― 

2021-01-25 17:58:54 | 健康

  『まだ間に合うこと 1(寝たきりにならないために散歩と体操を)』

―心臓は、一生に20数億回打つ、ゾウはゆっくり、ネズミは早く、筋肉は?―    

ウキペデイアから引用

数年前のことですが、身長173㎝、76㎏が『寝たきり』になったらと、想像をしました。 少しでも、そうならないようにしようと日課として運動を始めました。

 

昔『ゾウの時間ネズミの時間』本川達雄著にありました。哺乳類の心臓は一生に20億回打つ、ゾウはゆっくり、ネズミは早く、したがって寿命に大差がと。しかし、心臓はいつも動いていますが、ほかの部位はどうでしょうか、意志をもって動かさないと動かない部位があります。筋肉の動きが血管に酸素を運ばせ、関節の軟骨の維持、成長までさせます。 これを信じます。

 

ここは余談ですが、こんな説もあります。 運動の仕方にも頭を使えと。 最近、アメリカの学会で発表され、偏見っぽく、それでも納得の『実証実験の結果、直線運動のストレッチ準備運動として意味がない』とありました

 

日課のラジオ体操前の運動(ストレッチなし下記は、あるラジオ体操グループから『メモ書き』で頂戴と言われたので、メールで差し上げました

 

最近は、合計約7km余りの散歩が、かなり負担になってきたので、毎日から隔日に、散歩コースの一部にバスの使用もします。

 

1.   ラジオ体操 830開始の会場へ、

三ツ池ツ池公園まで2.5kmの速歩散歩、園内散歩と帰路を入れると、約7kⅿ余りの散歩になります。

 

2.ラジオ体操前の運動

体の中心の心肺から離れたところから、中心部位に進めます心肺を拡張する動きで空気をめいっぱい吸い、心肺を圧縮する動きでめいっぱい空気を吐く。あのイチロー選手が打つとき、息を吐き続けます。 これができる選手はあまり居るとは思えません。 余計なことでした。 最近では米国でメジャーリーグの大谷選手がやっています。

 

(1)足首の回転、ひざを揚げて、親指先〈靴先〉を地につけて、親指先を軸に、かかとで円を描きます。 

        これを左右各10回。

2)足首の回転、ひざを揚げて、親指先で、地面すれすれの円を描きます。

    これを左右各10回。 (この(1)(2)は足首捻挫・骨折予防に有効) 

3)膝の回転、左右回し各4回。

4)腰の回転、左右回し各4回。コツは腰に当てた手で押して回転を大きく。

5)体の前屈、4回。 

       コツは空気をめいっぱい吸い込んでから、静かに吐きながらお尻を後ろに突き出し、下腹の臍を前に出す        感じで。 足を肩幅か、ちょっと広めで、前屈レベルもすぐ改善されます。何事も『達成感最優先] で。

6)肩の回転、左手を真直ぐ前方に水平に揚げ、右手首を左手首の外側に当て、

        右手で引っ張り、右に回転させます。(ゴルフに有効)左右各4回。

7)首の前後倒し、交互に4回。

8)首の左右倒し、交互に4回。

9)首の左右回転、各4回。

(⒑)左手で左の肩越しに延髄・背中の真ん中摩り、各4回。コツは反対の手で、耳近くの肘を強く押す。

 

3. ラジオ体操

 

4.準備運動としてのラジオ体操の後の運動(量は体力に合わせを加減)ここは、ほとんどがストレッチ 

(1) ぶら下がり、

         前後揺れ一周期が約一秒で、202回(以前は402回)身長縮み防止と、身長維持に有効、若ければ            身長が伸びます。 鉄棒又は木の枝に飛び付き動作を入れればベスト(両手を上に伸ばし指先から30㎝          の高さで精一杯)

2)腕立て伏せ、102セット(以前は202セット)

3)スクワット、302セット(森光子さんは毎日150回、女性でお歳でも)

4)脚の裏筋肉伸ばし、

        足を手すりや柵に乗せ、両手で膝を抑え、上半身の体重を両手にかけて、足の裏の筋肉を伸ばす。これ           もコツはお尻を後ろに突き出し、背筋を伸ばし、下腹の臍を前に出す感じで。

5)大木蹴り、前と横、左右各4

合計所要時間は、散歩、花・木・猫観察も含めて約2時間です。

               (20151205纏め、20190217追補、20210125追補、#076)

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『健康で長生きしたい 1(マインドフルネスと瞑想)』―日本語訳に『念』、よくできていて念という漢字は、『今の心』と書く―

2021-01-25 17:30:56 | 健康

    『健康で長生きしたい 1(マインドフルネスと瞑想)

―日本語訳に『念』、よくできていて念という漢字は、『今の心』と書く―

 

某テレビ局がマインドフルネスを『脳疲労がなくなり頭が冴、える最高の休息法』と紹介していました。 東洋人でもある日本人はマインドフルネスより、座禅・瞑想・念等は、相応に解っています。 瞑想が科学どうかの論争もあり、且つ『マインドフルネス瞑想』が生まれ、これはマインドフルネスを養うための修練という説明です。 いろいろな新語は、国内でも、海外でも、どんどん生まれます。

ウエブ情報(日経BP)から引用

 

座禅は、禅宗という宗教の修行で、『目的は持たないのが目的、目的をもったら座禅ではない』と、何か『禅問答』のようです。 座禅は自分の全てを削ぎ落した先の悟りを得ることにあると(この悟りが目的では?)。  瞑想は目的があると理解しています。 これを機会に瞑想について勉強してみたいと思いました。

 

先ずは、ウェブ情報です。 

マインドフルネスとは仏教用語でいうところのSati(サティ)にあたり、日本に仏教が入ってきた時に、日本語として訳された言葉に『念』があります。これがまた、よくできていて念という漢字は、『今の心』と書き、『今、この瞬間の自分の体験に注意を・・』と。

 

瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈り、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思い・・等。 瞑想は東洋・西洋共に行われてきたが、ユダヤ教やキリスト教では宗教的実践の中心に据えられることはなかったため、欧米に広く知られるようになったのは、東洋の瞑想伝統の流入以降である。

 

マインドフルネスのこと、

過去・未来を考えずに『今のこと』に集中すると脳が休まる。 これが自然出来ている人もいます。 自分(既に後期高齢者)の周りの物心両面で頑健な、先輩の方々は、皆様がマインドフルネスを実践できているようです。

 雑念から解放されずに『意識すればするほど』マインドフルネスの、実践ができない人が自分も含めています。 できる人、できない人の判断は客観的な第三者の見立てが良いと、言われます。 できないと思う人はいろんな方法で指導者のいる訓練の機会を持つのが良いと思います。

 

このマインドフルネスは、独断的で・自己流に・優しく考えると、

❶食事もじっくり見てから、ゆっくり嚙みながら、考えながら食べると『今のこと』に集中でき、過去・未来を考えずに済む。

 

❷住宅『今のこと』に集中できる。

 

❸住宅街散歩で、摺り足は避け『踏み出す足は反対の足の親指の先へ踵から着地を、左右繰返す』ことを意識しながらやれば、過去・未来を考えず『今のこと』に集中できる。 この歩き方が、すでに習慣化できている人は別です。

 等々、いろいろありそうです。

 

余談です。

武術・武道・舞踊・能・相撲、その他格闘技等にも、大事な摺り足があります。 蹴躓きの原因になる高齢者の摺り足は、別物で、避けたいものです。  この摺り足の回避に日々苦労しています。

 

この度、気が付いたことは、このマインドフルネスは、普通に、日常生活の中で出来ることですが、『継続は力なり』とは、よく言ったものです。 継続することは、習慣化であり『日常生活のなかでのルーチン化』です。 是非共、実践したいものです。

 

一般的に、過去・未来を考えずに『今のこと』に集中できる、物心両面で『ゆとり』のある人々は、他に心配事がなく、『今のこと』に集中でき易い環境に恵まれていることです。 さて精神的か、物質的か、そのどちらに、ゆとりが大きいか、又は両方に『このゆとり』が沢山あるかですが、これは自分の心の持ち様次第かと・・。

(20170204纏め、20190204追補、2021125追補、#075)

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『「華麗なる一族」なければ「大地の子」は生まれず』ー開明的政治家、胡耀邦が居らなければ、大地の子は生まれなかったー

2021-01-25 15:57:44 | 読書

『「華麗なる一族」なければ「大地の子」は生まれず』

ー開明的政治家、胡耀邦が居らなければ、大地の子は生まれなかったー

 

表題を『開明的政治家、胡耀邦が居らなければ、大地の子は生まれなかった』と言い換えたい心境です。

ウキペデイアから引用

余生の読書計画の『本と著者選び』を、勝手気ままに、時々更新しています。 自分の選んだ一人が山崎豊子氏です。

 

今回、氏の一冊の本からのヒントを得て、これからは、著者の取材状況も『勉強しながら』本選びをしたいと思います。 小説が『これほど凄いもの』ということ、今回知りました。 ノンフィクションに偏っていた自分に反省の機会を与えてくれました。

 

同氏は、著名な大学の医学部という聖域を暴いた『白い巨塔』を書きました。 大作を執筆中のヤマ場を越えると、『次の聖域』は何と進めるそうです。

 

『華麗なる一族』中国語版浮華世家(一見華やか、精神的に貧しい世襲家族)で金融界を描きました。 初版で10万部、その後再版のベストセラー、これが中国へのパスポートになった。 この映画版は中国で五千万人が観賞したそうです。 この反面教材は、後の首相李鵬さんも『反面教材に使いたいくらいだ』といわれたそうです。

 

この後に、「不毛地帯」では商社を、『二つの祖国』では戦争を、『大地の子』で戦争孤児を描きました。司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が構想期間5年半、連載4年半を含めると、約10年を費やした作品です。

 

一方『大地の子』ですが、取材開始から連載開始まで約3年、連載約4年、約7年を費やした作品です。 著者は取材期間中、中国の未開放区の農村でホームステイもしています。 残留孤児の育った環境の悲惨さに泣きながらの取材の日々だったそうです。

 

この作家、作品が書き終える度に、その開放感から『完結!万歳!出獄だ(執筆室から)!』といったそうですが、『大地の子』を書き終えた時だけは、喜びが込み上げてこなかったそうです。 こんなことがあるのに驚きました。 

比較できる例ではありませんが、自分も何回試みても、最後まで見切れない映画に『火垂るの墓』があります。 あまりにも悲惨で可哀そうすぎるからです。

さて胡耀邦との出会いがなければ、取材はできず『大地の子』は世に出なかった。 まさに『事実は小説より奇なり』です。 これが『華麗なる一族』の引き合わせでした。 

 

さて、山崎豊子氏の名言・キーワードです。 

 

『小説はスローガンではありません。 私は日中友好のために小説を書くと報道されていますが、それを前提にしては書けない。 結果的に日中友好のためになればと思っています』これに対して胡耀邦氏『中国を美しく書いてくれなくても良い。 中国の欠点も暗い影も書いても結構。それが真実であるならば』

後に失脚する改革派だから言えたのでしょうか。

 

『連載小説は、第一回から第三回で勝負つく』という持論で第一回に使ったタイトルが文化大革命に変えて『小日本鬼子(シャオリ―ペンクイツ)』でした。

昔、香港で見た広東映画では、いつも字幕で見ていたのは『日本鬼子』の文字でした。

 

井上靖氏曰く『川端康成さんのような特別な人を除けば、作家同士そんなに極端な差はない。 だとすれば、大切なのはテーマだ。 山崎豊子さんの小説はいつもテーマだけで50点をとっている』と。

その所為か、昨今の若手作家の小説のタイトルの難しいこと。

 

作家深田裕介氏の質問、『不毛地帯の主人公のモデルは、関東軍がソ連軍の追撃を阻むため橋・道路を破壊し、開拓団を放棄した。 関東軍の参謀の一人、瀬島隆三氏ですか』と、山崎氏のアンサーは『軍人でソ連に抑留されて帰ってきて商社に入ったという履歴を頂いた』と。 

 

小説のモデルのことも、又難しい課題です。

五木寛之氏と塩野七生氏が対談で言っていました。 書いたもので残ってない歴史上の人物の『心の中は、自由に書かせてもらう』と。  昔の人の心の中の真実追及の『術』あるのでしょうか?

           (20181104纏め、20190208追補、20210125追補、#070)

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『日本の城郭 4(江戸城は当時、世界レベルの巨大城郭)』ー城郭・宮殿の巨大化競争の終焉、大筒・大砲の性能向上と絶対王政の限界ー

2021-01-25 15:51:18 | 城・城郭・城塞

    『日本の城郭 4(江戸城は当時、世界レベルの巨大城郭)』

ー城郭・宮殿の巨大化競争の終焉、大筒・大砲の性能向上と絶対王政の限界ー

ウキペデイアから引用

  中世の終りから近世始めに築城された世界の巨大な、城郭・宮殿の大きさ(最大時)の比較をすると、この時代の大筒・大砲の射程距離46kmと命中精度を考慮してか、城郭・宮殿はどんどん大きくなった。 

 

  巨大化は、大筒・大砲攻撃に備えると、同時に権威の象徴でもあった。 武田流軍学の、『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』とあり、城を強固にしても、人の心が離れてしまえば世の中を収めることができないと。 これとは、真逆で、どこかの集団(イスラムの一部)がやる『人間の盾・ヒューマンシールド』には絶句です。

 

城郭・宮殿の大きさランキング

1位:フランス・ベルサイユ宮殿、107平方km周囲約42km

2位:中国・紫禁城、内城・外城合計、63平方km周囲約33km

3位:日本・江戸城、25平方km、 周囲約18km

4位:トルコ・コンスタンティン―プル、15平方km周囲約21km

5位:日本・小田原城、4平方km周囲約9km

6位:日本・大坂城(豊臣)、4平方km周囲約8km

   本来の外堀の、外側の惣濠(川・空堀含む)は、❶北の大川・寝屋川、➋東の猫間川、❸南の空堀、

   ❹西の東横堀川で、周囲約8km 

 

番外:英国・ヨーク城 0.2平方km周囲約4.5km

番外:中国・万里の長城 総延長8,852km

 

この時代には、城によっては、城下町を取り込んで、城も大きくなった。

  しかし豊臣の大坂城は、秀吉の『秀頼・兄弟のない一人っ子の世継ぎを守る不落の城郭』の期待も及ばず、大坂冬の陣では、大砲を天守閣に、一発撃ち込まれただけで、淀殿のみならず籠城派の精神的ダメージが 大きく和議となった。  それを反面教師に徳川江戸城は完成当時は世界トップクラスの規模であった。 大坂城は周囲約8kmのほぼ正方形江戸城は周囲約18kmのほぼ円形で、砲撃に備えた縄張り。

  大坂城の弱点は、水堀のない南側だったが、期待された強固な守りの北側は自然の地形を利用した大川の守り。 攻める徳川方は約2百門の各種の大筒・大砲の大半をこの大川の対岸(天守閣まで距離約2km)に並べた、これが豊臣側の脅威となった。

 

 大坂冬の陣に備え、下記の最新式大砲まで装備していた。

  • カルバリン砲 家康が大坂の役に備えてイギリスから4門購入。鋼鉄製。射程6300m
  • セーカー砲 大坂の役に備えてイギリスから1門購入。カルバリン砲以上の射程距離

 

これで徳川の大川対岸の大筒・大砲陣地から天守を砲撃したが、家康の作戦通り、威嚇攻撃であった。 家康は『攻城』を『野戦』の延長と考え殲滅作戦は、とらなかったと思われる。 秀吉は『野戦』よりは、いつも『攻城』であった。 例外は、家康との『小牧長久手の戦い』くらいが野戦であったが、それは引き分けより負けに近かった。 その城攻め得意の秀吉の大坂城の規模は、何故か、徳川江戸城と比較、面積で1/6、周囲で1/3と小さかった。 大坂に築くには小田原城規模で精いっぱいだった。

 

繰り返しになりますが、大阪冬の陣(1614年)での大筒・大砲の効果は、破壊力より精神的ダメージを与えることに有効で、徳川方に有利な和議に持ち込まれたのは歴史の事実(この時代、大筒・大砲で城は落とせなかった)。  

 

似ても似つかない大型化・小型化の余談です。 本川達雄氏の『ゾウの時間ネズミの時間』の引用です。 大陸では大きな動物はどんどん大きくなる。 

 

フランスのベルサイユ宮殿と、英国のヨーク城の比較での極端な差は、納得するも、 何故か、島国日本の江戸城の巨大さは特別で、他の島国にはこのような巨大な城郭・宮殿は、歴史上存在せず、不思議なことです。 

 

更なる不思議は、ウェブ情報からです。

 

 日本列島には、3万とも4万ともいわれる城跡が存在する。 それらの大半は14世紀から17世紀までの間に築かれたものである。 わずか300年間にこれだけの城が構えられたことは世界史的にみても日本だけであり、日本の中世は、まさに大築城時代であった。                                             

 

 ヨーロッパの城郭は、山や丘の天辺が多いと思ってましたが、丘を中央に周囲の街を取り囲んだ城壁で城郭ができているケースが多い。 ヒトの考えることは、いつも同じところに着地点です。 

再びウェブ情報です。

 

 ヨーロッパには、周囲を城壁で囲まれた都市が多い。例えば、ブランデンブルク(Brandenburg) やフライブルク(Freiburg)、フランスのストラスブール(Strasbourg, ドイツ語ではシュトラス ブルク(Straßburg))のように、-burg という語尾を持つ都市の名を聞いたことがある方は多いだろう。 ドイツ語のブルク(Burg)は中世の城砦から転じて、都市や町という意味であり、ドイツ 語のビュルガー(Bürger)やフランス語のブルジョワ(bourgois)は、そこに住む都市民のことを指す。  英語に目を転じれば、古英語の burgess は、自治都市の市民という意味である

 

日本の群雄割拠の戦国時代は畿内五ヶ国の覇者を狙うだけであったが、その後の築城も含め城跡は34万、あの広い中国でも『戦国七雄』だが、『都市、イコール、城市』で、あるので城跡・城壁の街を含め十数万か。 ヨーロッパの中世にも城跡が多く存在しやはり数万以上、それでも日本の城跡数は多いです。 

                (20170526纏め、2120125追補、#064)  

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