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『新建材CLTは、日本の林業と住宅事情を変えられるか 2(首里城)』—無垢の巨木調達の難しい時代ですので、CLTの併用も良いのでは—

2024-09-19 09:09:14 | 技術

『新建材CLTは、日本の林業と住宅事情を変えられるか 2(首里城)』

—無垢の巨木調達の難しい時代ですので、CLTの併用も良いのでは—

 

 首里城被災は、歴史上5度目となります。 写真は20191031日未明の激しく燃え上がる首里城の正殿です。 この首里城の復元の木材調達は大変なようです。

 

ウエブ情報から引用

 

 森林ジャーナリスト・田中淳夫氏の首里城復元に使うべき木材はスギだ。 琉球の歴史をひもとけば見えてくる木材事情』の記事の中に『新建材CLT(Cross Laminated Timber)のを使ったらどうだろう。 いくらでも太くできる。』とありました。 無垢の巨木調達の難しい時代ですので、CLTの併用も良いのではと素人は考えてしまいます。

  本来の木造建築は火災にさえ遭わなければ、数百年以上も持ちます(質の悪い鉄筋コンクリートの寿命と桁が違います)。 その間の大修理とその後の再建に、宮大工の継承と維持の困難さは大変なようです。 それでも昔の人は、木材の確保の長期計画は見事です。 伊勢神宮の例ですが、現在は大部分が木曽の神宮備林からの調達で、その他にも伊勢神宮に供する備林として九州の熊本、宮崎両県にまたがる一帯に1081ヘクタールの神宮林『明治百年記念林』などがあります。 

 最近は、関係者の目先のこと、私利私欲ばかり考えて、『箱もの行政』になり、どこかの巨大なスタジアムのように、後のこと(活用・維持・補修・再建)などはあまり、考えておらず、当面の一時利用だけ考えた『入れ物ファースト』が、多いことです。 

  

 

 さて本テーマに戻ります。 

首里城の場合ですが先述の日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト・田中淳夫氏のウェブ情報抜粋です。

 焼失した首里城(那覇市)は、早期の復元を望む声が湧き上がっている。すでに寄付金集めが全国で行われているという。 

 首里城が最初に作られたのは14世紀末頃と推定されている。ただ史書に記録されているだけでも4度にわたり焼失している。一度目の焼失は、1453年。王の崩御後に発生した王位争いの際による。2度目の焼失は、1660年。失火によるとされ、再建には11年もの歳月を要した。 

 3度目の焼失は、1709年に起きた火災が原因。1715年に再建されて、明治維新(琉球王国から沖縄県へ)を経て1925年に特別保護建造物、1929年には国宝に指定されている。しかし1945年の沖縄戦で破壊された。 

 この4代目の首里城を復元の原形として建てられたのが、今回消失した首里城だ。つまり5代目となる。しかし正確な姿はわからなかったので、推測と想像で建てられた部分が多い。  さて、これらの首里城は何の木で建てられたか。 

 琉球の林政書の一つ『杣山法式仕次』(1747年成立)によると、首里城の正殿はこれまでカシを用いて普請していた」とある。そして「イヌマキを第一とし、次にモッコク、イジュシイを用いる」。

 ただし、これらの木々も、琉球では枯渇しつつあった。とくに大径木材はほとんどない。そこでさまざまな木を輸入している。樹名にキリやヒノキ、ツガ、クスなどが上げられているが、杉と杦(木偏に久しいスギ)の文字も見える。

 林政書『樹木播植方法』(1747年成立)にはスギの挿し木や種子の植樹方法が図入りで示されている。そして御用木とした。 『山奉行所公事帳』(1751年成立)には「スギはイヌマキと並んで首里城の正殿の改築に使う、そうすれば数十百年も保持される」旨、記されている。  薩摩藩が首里城の木材を提供していた。

 さて、今後復元しようとする城は、5代目に基づくことになるだろう。それは4代目が原形である。では、この城にはどんな木材が使われただろうか。 実は、スギの可能性が高いのである。なぜなら1700年代の琉球王国では、全土にはげ山が広がり森林資源が危機的状況だったからだ。しかも財政が逼迫していて自力で木材を調達できず、薩摩藩から2万本近い原木を提供されたと伝えられている。薩摩藩の木となると、やはりスギが多かっただろう。もしかしたら屋久杉も混じっていたかもしれない。 

 このような歴史を追うと、首里城の再建にスギを使ってもおかしくないことになる。なんならコウヨウザンも使えるかもしれない。こちらは中国に多く植林されており、大径木もあるだろう。日本でも成長が早いからと新たな造林樹種として有望視しているから取り入れても違和感がない。だから首里城復元に今更タイワンヒノキやベイヒを求めるべきではない。 

 幸いスギの大径木は、日本国内の人工林にもそれなりに残されている。調達はなんとかなるかもしれない。 ヒノキの無垢材に固執する必要なし。 ただ、日本人は建築にはヒノキという思い込みが強い。しかも無垢信仰が根強く残る。張り合わせて太くした材を好まないのである。しかし、無垢の大径木を求めることが、世界各地の森林を破壊してきたことを自覚すべきだ。 

 たとえば江戸時代に再建された東大寺の大仏殿は、世界最大級の木造建築物であるが、使われているのはヒノキだけでなくスギやマツ、ケヤキなどが混ざっており、とくに太い柱は寄木だ。ケヤキを芯にヒノキの板で包んで鉄環で締めている。当時、大径木が手に入らなかったからだが、決して無垢材にこだわったわけではないのだ。 現代なら、いっそのこと林野庁イチオシ建材のCLT(直交集成板)を使ったらどうだろう。いくらでも太くできる。 

 2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。「世界遺産だから~」という言い訳も必要ないだろう。 

 首里城は、14世紀末に築城された、築城主不明の山城ですが、周辺に四つの支城、三重城・屋良座森城・御物城・硫黄城を持った琉球王朝の城塞ネットワークの王城でした。 日本の城とは異なり、中国の城の影響を大きく受けており、曲線の石垣、建築物には朱塗り、屋根瓦には高麗瓦、各部の装飾には国王の象徴である龍が多用されています。 中国と日本のハザマで堅持されてきた首里城の早急な復元を期待しています。

(記事投稿日:2019/12/23、最終更新日:2024/09/19、#136)

                   


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