原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

明川哲也氏の回答

2007年12月13日 | その他オピニオン
 私は明川哲也氏のファンである。なぜ、私が明川哲也氏のファンになったかと言うと、そのきっかけは朝日新聞の「相談室」を愛読していることにある。
 当ブログのバックナンバー「朝日新聞相談室論評」でも既に述べているが、私はこの「相談室」を相談者の立場ではなく、回答者の立場でいつも楽しんでいる。

 明川哲也氏はこの「相談室」の相談員のひとりでいらっしゃる。私はこの「相談室」で相談員としての明川氏に出会うまでは「明川哲也(ドリアン助川)」のお名前位しか存じていなかった。ご回答から察する限り、明川氏は繊細なハートの持ち主でいらっしゃるのに心の大きな人物なのである。そして、思考回路が私と似ているように感じるのだ。(単なる私の勘違いでしたら、どうか失礼をお許し下さい。) 私は明川氏の回答ぶりに触れるにつけすっかりファンになってしまい、尊敬する人物は?と聞かれると、迷いなく「明川哲也」と答えることにしている程である。

 明川氏の回答は、いつも涙なくして読めない程私に感動を与えてくれる。なぜならば明川氏の場合、どんな相談であれまず相談者の人格を認めることが思想の根底にあるからだ。
 例えば先だっては、4歳の息子が人の死を知ったショックから大人になりたくないと言い始めたことに直面して戸惑う母親からの相談に、明川氏は回答されていた。明川氏はこの4歳の息子と相談者である母親両者の人格を認めた上で、そのショック共々子どもを抱きしめてあげよう、と回答されている。(詳細は略)

 12月8日の「相談室」の明川氏の回答内容が、これまた感動的だ。相談者の相談の趣旨からは少しずれるが、この回答内容に私は大いに賛同するため、以下に抜き出して要旨をまとめてみる。
 「人は歳をとっていくと、ちやほやされる機会が減ってくる。幼い頃はただそこにいるだけでみんなが可愛がってくれる。少年少女期、そして若い大人期も若いというだけで人は手を差し伸べてくれる。ところが若くない大人の時期になると、おっさん、おばさんと呼ばれ、ただそこにいるだけで若い人たちから睨まれたりするようになる。 愛されなくなったとき、人はどうすればよいのか。その答えはひとつ。愛することしかない。見返りなく愛すること。生きる時間を経るほどに、金、地位、健康、家族、等色々な現象面での結果が出てくるものであるが、人間の到達目標はその最高の魂、何もかもを愛する心を持つことによって「人間」になることだとボクは思う。何ら具体的財産を持たない人生だとしても、それは可能なこと。友達も家族も電柱も雑草もちくわぶも空も雨もウニもすべて愛そう。きらめきはあなたのそばにある。」
 若い世代の方がこれを読んでもきれい事にしか思えないかもしれない。だが、年齢を重ねてくるとまさにこの明川氏の回答は実感なのである。様々な経験を積み、金、地位、家族、等々、自分なりの諸財産を蓄積してきた一方で、他者から愛されなくなった高齢者が何に喜びを見出すかと言うと、それはやっぱり“愛”なのである。

 見返りのない愛…。まだまだ未熟な私はそこまで到達できてはいないし、また電柱やちくわぶを愛する力は若干弱いが、人を愛する喜びを楽しみつつ、今後も自分なりにきらめいていたいと思う。
  

 明川哲也さん、今回もまた素敵な回答をありがとうございました。
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