“左都子の市民講座”の今回のテーマ「近代市民法の基本原理とその修正」はいよいよ最終回です。本記事においては基本原理の残りのひとつ「過失責任の原則とその修正」について解説します。
○過失責任の原則とその修正
まず、法律用語の意味から説明しよう。
①故意…自己の行為が違法な結果を生ずるであろうことを認識しながら
あえてその行為にでる場合の心理状態。
②過失…不注意のため、違法な結果が生ずるであろうことを認識しない
場合の心理状態
③無過失…故意も過失もないこと
さらに、現在注目されている法律用語に“未必の故意”という概念がある。
未必の故意…自分の行為からある結果が「発生するかもしれない」と
知りながら、「発生してもしかたがない」と認めていた
場合の心理状態
例: 子どもが病気で寝ている。このまま放置しておくと死ぬかも
しれないと認識しながら、死んでもしかたがないと思って何の
手立てもせず放置しておいた結果死んでしまったような場合
近年では、飲酒運転による事故がこの“未必の故意”に準ずる
とされる場合もある。
近代市民法は、個人の“自由な意思”を法律関係の前提とする。
↓
故意、過失により他人に損害を与えた場合のみ、加害者に損害賠償責任を
負わせる。 → 民法第709条(不法行為)
※参考※ 刑事においては…
例:刑法第38条(故意・過失)
故意犯を原則とし、過失犯は例外としている
「過失なければ責任なし」 = “過失責任の原則”
すなわち、非難されるべき者に対してのみ責任を負わせるという原則
これに対し、アンシャンレジウムの時代は
「結果責任主義」 無過失でも責任を負わせた
過失責任の原則により人々は自由に行動できるようになり、これにより
資本主義経済が今日のように発展した。
しかし、例えば、
公害をもたらしている企業が、公害を出すことにより地域住民に損害を
与えているにもかかわらず、企業の経営者には故意も過失もないという
理由で責任が問われなくて済むのか。
↓ 正義と公平の観念に反し、それで済むはずはない
「無過失責任論」の登場
特定の加害者と被害者間の法律関係においては、過失がなくても
加害者に責任を負わせるべき、とする考え方
経済高度成長期には、企業の公害により多くの人々の尊い命や健康が犠牲に
なった。
例:「イタイイタイ病事件」(富山)1971年
企業から流れ出た鉱毒によるカドミウム中毒により123名が
死亡
「新潟水俣病事件」1971年
企業が排出した有機水銀による中毒により55名が死亡
両者共、原告(患者、遺族)側の勝訴が確定した。
1972年に、大気汚染防止法
水質汚濁防止法 が改正され、
事業所の無過失責任が認められるようになった。

○過失責任の原則とその修正
まず、法律用語の意味から説明しよう。
①故意…自己の行為が違法な結果を生ずるであろうことを認識しながら
あえてその行為にでる場合の心理状態。
②過失…不注意のため、違法な結果が生ずるであろうことを認識しない
場合の心理状態
③無過失…故意も過失もないこと
さらに、現在注目されている法律用語に“未必の故意”という概念がある。
未必の故意…自分の行為からある結果が「発生するかもしれない」と
知りながら、「発生してもしかたがない」と認めていた
場合の心理状態
例: 子どもが病気で寝ている。このまま放置しておくと死ぬかも
しれないと認識しながら、死んでもしかたがないと思って何の
手立てもせず放置しておいた結果死んでしまったような場合
近年では、飲酒運転による事故がこの“未必の故意”に準ずる
とされる場合もある。
近代市民法は、個人の“自由な意思”を法律関係の前提とする。
↓
故意、過失により他人に損害を与えた場合のみ、加害者に損害賠償責任を
負わせる。 → 民法第709条(不法行為)
※参考※ 刑事においては…
例:刑法第38条(故意・過失)
故意犯を原則とし、過失犯は例外としている
「過失なければ責任なし」 = “過失責任の原則”
すなわち、非難されるべき者に対してのみ責任を負わせるという原則
これに対し、アンシャンレジウムの時代は
「結果責任主義」 無過失でも責任を負わせた
過失責任の原則により人々は自由に行動できるようになり、これにより
資本主義経済が今日のように発展した。
しかし、例えば、
公害をもたらしている企業が、公害を出すことにより地域住民に損害を
与えているにもかかわらず、企業の経営者には故意も過失もないという
理由で責任が問われなくて済むのか。
↓ 正義と公平の観念に反し、それで済むはずはない
「無過失責任論」の登場
特定の加害者と被害者間の法律関係においては、過失がなくても
加害者に責任を負わせるべき、とする考え方
経済高度成長期には、企業の公害により多くの人々の尊い命や健康が犠牲に
なった。
例:「イタイイタイ病事件」(富山)1971年
企業から流れ出た鉱毒によるカドミウム中毒により123名が
死亡
「新潟水俣病事件」1971年
企業が排出した有機水銀による中毒により55名が死亡
両者共、原告(患者、遺族)側の勝訴が確定した。
1972年に、大気汚染防止法
水質汚濁防止法 が改正され、
事業所の無過失責任が認められるようになった。

