原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校は生徒の命を守る体制を整えよ

2010年06月19日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」において学校関連の記事が続いている。 
 そろそろ別カテゴリー記事の公開を予定していたところ、またまた学校現場において生徒の死者を出すという不祥事が発生してしまった。
 
 報道でご存知の方も多いと思われるが、昨日(6月18日)浜松市の浜名湖において、梅雨前線の活発化に伴い大雨強風波浪注意報が出されている悪天候の真っ只中、野外教育活動中の中学生が乗った手漕ぎボートが大波に煽られ転覆し、生徒の死者1名と負傷者数名の犠牲者が出たというものである。

 昨日昼間の天気予報で西日本・東海地方では風雨が強まると私も見聞していた。 その後午後より外出したのだが、私が住む東京地方においても一時雨足が強まり強風で傘が煽られそうになったものである。
 夜テレビのニュースで浜名湖において上記中学生達が乗った船が転覆したと見聞して、嵐のような悪天候の中、学校は年端もいかない生徒達に一体何の訓練をさせていたのかと呆然とした。 ボート部等の熟練者の訓練ではなく、一般の公立中学の校外学習の一環と知りさらに愕然とさせられた。 後に1名の死者が出たと聞き、子を持つ親として学校現場における取り返しがつかない事態の無念さに涙せずにはいられなかったものだ。


 私論に入ろう。

 学校の危機管理体制の甘さにはほとほと呆れるばかりだ。 学校には常識的判断が可能な大人が誰一人として存在しないのかと考えるより他にない程に、非常識極まりない今回の事故である。
 新政権の文科省は教師の権威の失墜を避けるため、教師に「学位」を与える新制度の構築に現在躍起になっている様子であるが、学校内における児童生徒の死者、犠牲者が後を絶たない近年の教育現場の惨憺たる現状を直視した場合、「学位」へったくれより何よりも、子どもへの愛情の最大表現である“命の尊さ”を最優先に思考判断可能な人材の育成に、文科省は早急に尽力するべきであろう。


 学校に通う子どもを持つ親として、子どもを義務教育である小学校へ入学させた当初より不可解に思い続けている事象がある。 それは、上記の惨事を引き起こした“校外学習”をはじめとする学校の正規のカリキュラム“以外の行事”に関してである。 (正規のカリキュラムに関しては教員経験もある私には子どもを通じて目に届きやすい事象であり、家庭での軌道修正等のフォローが可能であるためさして問題はないと言える。)

 我が家の場合、義務教育である中学校は私立を選択した。 私立においては、義務教育範囲内の正規カリキュラム以外の私立独自の行事等についての詳細の説明は入学前に十分になされており、保護者としてはその内容を承諾した上で子どもを入学させるに至ることとなる。(例えば、我が家の場合子どもが公立小学校でとことん苦しめられた“プール指導”だけは金輪際避けたかったのだが、我が家が選択した私立中学校においてプール指導が一切ないことも学校選択の一つの基準であった。)

 これに比し、公立中学において現在「学校選択制」が採用される自治体が増えているとはいうものの、多くの家庭においては自宅の近隣に位置する中学校へ子どもを入学させるのが実情のようである。
 その義務教育学校が、今回の事故のごとく例えば大雨強風波浪の嵐の湖でボート指導をするのを、一保護者の立場で異論申し立てする手立てがないのが現状でもある。 そこで保護者が信じるべくは引率者である教職員とそれを指導する学校の責任者、そしてそれを管轄する教育委員会の適切は判断でしかないのだ。
 このような生徒の命がかかわる意思決定の重要な役回りが、学校の教職員や教育委員会、ひいては文科省の大臣を含めた学校関係者には“自らの責任の範囲”であることを、今一度肝に銘じて欲しいものである。 
 それにしても新政権の川端何某とやらの文科省大臣は昨年9月以降教育に関して何の働きも国民に披露していないのにもかかわらず、今尚大臣としてのさばり続け、昨今は大相撲の不祥事にしかコメントをしないのはどうしたことか、との“薄ら寒い”感想を抱いているのは原左都子だけなのであろうか…… 


 最後に私論でまとめよう。

 義務教育の公立学校において、今回のような一種“特殊分野”とも言えるボート訓練を、(一部を除いて)今後一般人として生きていく公立学校の全生徒に課す意味がどれ程あるのだろうか。
 視点を変えると、これは単に教員をはじめとする教育行政にかかわる“どなたか”の一趣味、あるいは“個人的利益”に過ぎない範疇の話なのではなかろうか?? 
 今回事故を起こした公立中学が校外学習を行っていたとされる浜松の「青年の家」の施設も、現在では民間企業が管理者となっているそうである。 もしかしたら、政府とその民間企業との“癒着”が存在するが故に義務教育の公立学校生を全員強制的にその施設を利用させているとも推測出来得る話である。

 
 我が子が公立小学生だった頃にも、正規カリキュラムであるプール指導を筆頭に、学校の“特殊分野”の各種行事や課外学習のあくまでも専門性に欠ける“中途半端な指導”に関して、一保護者としては「百害あって一利なし」感覚の大いなる抵抗感を抱いたものだ。
 “特殊分野”の指導に関しては、部活動等希望者が選択して実施するものを除き、今後は是非共子どもの適性を一番見抜いている各家庭の自治に全面的にお任せいただきたいものである。

 その上で義務教育に於ける公立学校が果たす役割とは、在籍する生徒全員に愛情を注ぐことであるのには間違いないのだが、その基本中の基本とは「生徒の命を守る」ことである。 下手に余計な素人もどきの指導は一切してくれなくてよいので、とにかく何が何でも在校中の子どもの命のみは保障していただきたいものだ。
 学校行政には、今一度その原点に帰って欲しい思いの原左都子である。 
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