原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

DV恋愛相手からは何が何でも逃げ切るべき

2012年06月04日 | 時事論評
 少し前、インターネット初期画面の片隅に、女形として現在人気がある大衆演劇一座の某若手男優の話題が掲載されていた。

 何でも、夜中に公道路上で彼女であるタレント女性と“喧嘩”をしたとのことだ。
 それがチラリと視線に入ってきたものの、「よくある芸能人同士の痴話喧嘩になど全然興味ないわ~~」とダレた私は無視を決め込んだ。

 そんな話題など当の昔に忘れ去った後、先週美容院を訪れた。
 美容院につきものと言えば、女性週刊誌である。 待ち時間を潰すにはこれをペラペラとめくるしか方策がない。

 そして週刊誌の最新号を手に取って開いた私は仰天した。
 トップニュースとして、この2人の“喧嘩”現場の激写が掲載されている! その写真を見て、私は咄嗟に判断した。
 これは“痴話喧嘩”などとの生易しいものではなく、立派な“暴力事件”ではないか!

 写真の影像を言葉で説明するのも難しいが、要するにタレント女性が男優に殴り飛ばされてガードレールに激突する瞬間の影像が激写され、公開されていたのだ! (これでよく命が持ったものだ…  彼女の骨や歯が折れたのではないか??  少なくとも彼女は相当の打撲傷を負ったはずだ)等々、私の想像は尽きない…

 急いで本文ページを開いて、その2人の“暴力事件”一連をレポートした本文を読んだ。 (週刊誌の記者もこんな凄まじい暴力事件の瞬間を激写したりレポートしている場合ではなく、その場で女性を助けに入るべきだったろうに、と思いながら……)
 どうやら2人は、昼間ボーリングデートを楽しんでいた時には熱々のカップルだったらしい。 その後飲み食い処に入り彼女がベロンベロンに酔っ払った後、男優の部屋に2人でタクシーに乗って帰ったとのことだ。 さらにその後男優の部屋から彼女が逃げるように飛び出してきて、それを追いかけてきた男優と公道路上で上記の“暴力事件”が繰り広げられたとのいきさつのようだ。 
 写真は他にも複数枚公開されていて、彼女はガードレールに殴り飛ばされた後も執拗に男優に路上に蹴倒されたり、それでも逃げようとするのを追いかけられてさらなる暴力を受けている…

 原左都子が判断するに、上記のごとくこれは決して男女の痴話喧嘩の範疇で片付けられる問題ではなくそれをはるかに超える暴力事件、すなわち男女恋愛関係者間に於ける「DV事件」に他ならない。


 その後メディア上でこの“事件”の続報に触れる機会がないのだが、彼女の怪我の具合はどうなのか、2人の関係はどうなったのかと密かに心を痛めていた私である。
 女性週刊誌の記事内容に信憑性があるとは思えないため、この場ではあえてその内容を紹介する事を割愛するが、その記事の中に彼女側にこの交際を続行する意思が薄いとの情報があった事だけは印象的である。 
 「DV」絶対反対派の私としては、是非共この事件を機会にタレントの彼女側が男優との別れを切り出す段取りとなることを祈っていた。

 ところが、どうしたことか!?
 今回の記事を綴ろうとして先程ネットを検索したところ、なんと、タレントである彼女の方から交際相手である男優との関係は“修復された”、とメディアを通して語ったというではないか!

 片や、男優側よりの情報は一切なく、一見何もなかったがごとくの様相だ。


 この事件にたまたま触れる機会が持てた私は、かつて 若手人気歌舞伎俳優 市川海老蔵氏 が“暴飲の挙句に起こした暴力事件”を思い起こした。
 さすがに日本に名立たる歌舞伎俳優、何処から“助っ人”が出たのか一般市民には事件の真相解明の程がよく理解できないものの、少しの謹慎期間の後に既に歌舞伎界にカムバックしているようだ。

 今回の大衆演劇一座の売れっ子女形男優が起こした“DV事件”にも、同様の裏の力が働いたのであろうか?
 真相を心得ない立場で下手な推測は差し控えるべきものの、どうも無名の女性タレント側に男優組織側から何らかの圧力がかかった思いが否めない私である。


 今や「DV」とは一般用語化しているため皆さんもその意味をご存知であろうとは心得るが、少しその言葉の説明をしておこう。
 DV(ドメスティック・バイオレンス)とは、配偶者や恋愛関係者等男女近親者関係内で勃発する暴力行為のことである。 
 夫婦や恋愛関係等“親しい間柄”に於いては、普段懇親な男女関係が築かれていればいる程、一旦暴力沙汰が発生しようが、その行為が相手に出ない普段の生活内では被害者側がその行為の恐ろしさを忘れ許してしまい勝ちとなるのが人間の人情と言うものであろうか。
 ところが「DV」を起こす気質の持ち主とは、その歪んだ気質を一生持ち続ける傾向があるものと私は判断する。
 特に若い世代間の“DV事件”に於いては、若気の至り故の恋愛感情にかまけてそれを許していたら、とんでもない結果となろうかと私は懸念するのだ。

 暴力が人間に与える打撃とは、その人格を変えられてしまう程の破壊性がある事を認識せねばならない。
 例えば、この地上に今尚存在する「独裁国」に思いを馳せよう。 あの地の国民達は貧しい生活を強行し続けている指導者様を何故に今尚仰ぎたてているのだろう。 それは「独裁」という暴力により人民の不自由を正当化される長年の年月を生き抜き、人間としての尊厳や思考力を失わされているからに他ならない。

 これは極端な例だと感じる若い世代も存在するのかもしれない。
 もしも今貴方が恋愛相手に暴力を振るわれているとして、彼氏との“いい時間”を共有できることの方がそれにも勝っていると言うのだろうか?
 たとえそうだとしても、「暴力」とは必ずや徐々に自分の心身を蝕むものである。


 繰り返すが今回の事例の場合、大衆演劇男優側から力なきタレント女性側に外圧がかかり、女性が置かれている無名タレントとしての立場では、別れようにも別れられないがんじがらめの窮地を余儀なくされているのかもしれない。

 そうであっても「DV」恋愛相手からは自分自身の意思ですべてをかなぐり捨て、何が何でも逃げ切って欲しい思いを持って、今回のエッセイを綴った原左都子である。