原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

生活保護者の面倒を今後一体誰が見ると言うのか?

2012年06月14日 | 時事論評
 今回の記事は、本エッセイ集に於いて先だっての5月28日に公開した 「生活保護者を量産する前に行政がやるべき事」 の続編の形で綴ることとする。


 一昨日だったと記憶しているが、昼過ぎからNHKで放映された「国会中継」において、「あしなが育英会」の資金問題に関する質疑が自民党 西田氏 より呈示された。
 質疑応答のメモを取り損なっているのに加えて我が記憶も曖昧なため、誤った記述をする可能性が高い事をあらかじめお断りしておくが、この質疑に対する藤村官房長官の答弁が以外や以外いつになく“面白おかしく”て、そのまま聞き入った私である。
 
 どうやら現民主党官房長官の藤村氏とは国会議員になる以前の若かりし時代に、財団法人「交通遺児育英会」(正確でない場合お詫びします)の職員をしていたらしい。
 その財団法人の実態とは藤村氏曰く(バリバリの)「天下り財団」であり、当時の天下り職員達は国からの多額の助成金を我が肥やしとして“どんぶり勘定”しつつ、「表でおかゆ、離れですき焼き」 状態だったとのことだ。  (よくぞそこまで言ってくれたよ、藤村さん!
 また、当時の交通遺児とは事実上の「天下り財団」の存在により、他種の遺児達と比較して相当恵まれた存在だったらしい。 一般的にこの時代の遺児達とは高校進学もままならない中、交通遺児のみは“どんぶり勘定”の「天下り財団」助成金に支えられて大学進学者も数多かったとの藤村氏の答弁だった。 (民主党もこういう話題を国会で暴露してくれたならば、庶民にとって親しみが持てて支持率が上がるというものなのにねえ~~)

 財団法人「交通遺児育英会」は「あしなが育英会」とはまったく別の組織であり、後者は寄付金により賄われてる財団との事である。 上記のごとく(国の「天下り財団」の恩恵を受けて恵まれた存在だった)交通遺児の“恩返し”活動によって発足したのが「あしなが育英会」であり、現在では国内外の様々な遺児を支援する非営利組織(NPO)に位置付けられるようだ。

 冒頭からこの話題を紹介したのは、藤村氏の国会での答弁がいつもテレビで見る官房長官としての、礼儀だけ正しくて没個性で何らのインパクトもない応答とは異なり“面白おかし”かった故のみではない。
 社会的弱者を救済する財団の「資金源」や環境によってその救済のされ方が段違いに異なり、例えば弱者が子どもの場合、その歩むべき将来が大幅に左右される宿命に原左都子が心を痛めたからに他ならない。


 今回の我がエッセイ集のテーマである「生活保護者」に話を戻そう。

 我が国に於いて年々急増している「生活保護者」を救済する資金源として如何なる源資を当てるべきかの私論を、原左都子はバックナンバー「生活保護者を量産する前に行政がやるべき事」に於いて述べた。
 対象が何であれ行政が一旦「社会保障」との名目を掲げさえすればそれが庶民に“正当化”されるはずと安直に判断し、それを国家政策の前面に打ち立てる政党こそが「よき政党だ」と国民に信じさせよう、とのその単純思想自体から見直すべきだと。
 
 現在においては、国及び地方財源で「社会保障対象者」救済のすべてを支えようとする事自体に限界が存在するのは当然であろう。
 ましてや「生活保護」申請者の“多様性”を鑑みた上で私が提案したのは、「生活保護」を受けている(受けようとしている)人物の法律上の近親者の財力こそを、国や地方の「社会保障財源」に優先して頼るべきではないのかとの私論であった。

 原左都子以外にも、国内に急増する「生活保護者」に関する世論が膨大化するのは当然の現象であっただろう。
 そんな社会の世論を受けたのか、先だって朝日新聞「社説」欄で「生活保護者」救済財源を「近親者」に依存するべきとの見解に対する 「反論」 が掲載されていた。
 上記朝日新聞社説によると、今回人気お笑いコンビ河本氏の話題が取り上げられたがために、巷で「生活保護者」は近親者で救済するべきとの議論が横行しているが、その論理は破綻との論旨のようだ。
 朝日新聞「社説」の言い分とは、河本氏の事例の場合「生活保護者」である母親と“懇親関係”であったにもかかわらず、その母に「生活保護」受給をさせていたからこそ氏の落ち度が認められ、今後氏が母親の生活費を負担する事と相成ったとの見解である。
 全国の「生活保護」受給者の事例に関しては家族・身内関係が崩壊状態である場合も多く、救済財源を「身内」に負担させるのは“筋違い”であるとの朝日新聞の論評だ。 
 それは少し理解可能かなと、考察したりもする原左都子であるが…。

 一方私が前回呈示した、個人の資産所有等を地方自治体が見逃して「生活保護」を承認しているのではないのか? との事案に関しては、今後もっと個人情報を徹底的に追求し、自己資産を売却させて生活費に当てる事から行政指導を始めるべきとの我が観点は譲れない思いだ。
 朝日新聞社説においては、これに関しても、自治体の職員数不足等により個人情報調査を施行することが困難などとの軟弱な見解であったようだ。

 加えて、原左都子は「生活保護者」当人への就業指導も欠かせない行政の役割であることを上記バックナンバーで綴っている。 これに関しても、朝日新聞社説は自治体現場の人員不足を理由として「困難」な状況との結論としているようだ……。
 この論説に触れたならば、朝日新聞社とは自治体支援団体なのか!と指摘したくもなる。
 この課題こそ、民間活力に頼ればよいではないか!  この種の分野にこそ国や自治体が民間力を投入すれば済む話であろう。
 今を時めく民間専門組織に、生活保護者(及び候補者)の個人情報徹底調査並びに就業指導を全面委託してはどうなのか?


 この記事の最後に原左都子が一番訴えたいのは、「生活保護者」を量産しない最善の方策とは国民に対する子どもの頃よりの「教育力」であろうとの事実だ。
 字数が多くなるため、これに関する私見に関しては後に改めて綴りたく考えているが、この国は高度経済成長期以降、明らかに学校現場に於ける「個人尊重教育」の意義を履き違え続けていると私は理解している。
 時間はかかるであろうが、この国に於いて「生活保護者」を量産し続けている事態を回避するためには、今後の学校現場における「教育」こそを大幅に改革して、国民一人ひとりに確実な生活力を身に付けさせるべく出直すべきであろうと考察する原左都子である。