本日昼間NHKテレビを見ていると、先だって開業した世界一の高さを誇る東京スカイツリーの「音響」の話題が取り上げられていた。
我が在宅時にこの番組を何度か視聴した事があるものの、いつも昼食中のためテキトーに流して見ているため、残念ながらそのタイトルを記憶していない私である。
毎週木曜日NHK昼のニュースの後に、働く人々や著名人の“ランチ”の実態を追跡した放送内容で、なかなか興味深い番組であると認識している。
本日その番組のトップに取り上げられたのが、上記東京スカイツリーの「音響」を担当しているとの若き男性であった。
職名の“肩書き”を何と名乗っておられる人物なのか承知しないし、そういう職種がこの世に存在する事自体を本日初めて知った。 それにしても元々音楽好きな私にとって興味深い内容であり、昼食を中断してその話題にのめり込んだ。
そもそも東京スカイツリーが「音響」に凝っている事も、初めて耳にする話題だった。
開業初日はエレベーター停止措置を取る程のあいにくの悪天候で、展望台からの視界が最悪だったようだ。 そんな場合でも観光客が楽しめるようにと、現地展望台では「音響」を工夫しているとのことだ。
例えば、寒い日の朝の「音」、曇り空の午後の「音」、雨の日の夜の「音」等々…… 2000種類(だったかな?)にも及ぶ「音響」が用意されているらしい。 ただし、お天気の良い昼間にはこの「音響」は流れないとのことである。 なぜならば、視界が良好で観光客が十分に展望を楽しめる場面に於いては、バック音響など邪魔になるだけ、との論理に大いに納得である。
この人物は要するに「音楽家」の範疇と解釈できよう。 現在は都会を離れ“自然界の音”を求めて静寂な森林等がある環境下で田舎暮らしをしつつ、ご自身が欲する音源を探り収録活動をしている様子の影像が映し出された。
本日のテレビ番組内で当該“音楽家”氏が録音機器を持参して出かけた先は、森林の中だった。 そこで氏が収録した「音」とは“風の音”である。 今回の撮影場所は森林だったが、これがもしも“竹林”の場合“風の音”はまったく異質との話だ。 相手は“自然”であるため自分が欲する音を採集している時に急激に雷雨に襲われたりして、残念ながら収録を中断せざるを得ない時も多々あるようだ。
ここで話題を中断して、同じく「音」には敏感な原左都子の私事を述べさせていただく事にしよう。
確かに「風の音」とは各種様々存在していて、例えば吹いてくる方向による違いを嗅ぎ分けられる私だ。??
と言うのも、我が亡き父が生前 「“まぜ”(これは我が出身地方独特の方言であろうが、春夏期に南方から吹いてくる風の事と私は解釈している)」 を嫌い続けていたからである。 子供心に父がこの風が吹くたび機嫌が悪かった記憶が今尚鮮明に脳裏に刻まれている私も、その後“まぜ”を嫌い続ける人生だ。 春から夏にかけて南からべとべとした湿気を運んでくる強風が吹くと、洗濯物を外に干す事すら抵抗を感じ大いなるストレスとなる。(それでもやむなく外に干しているのだけどね…)
この“まぜ”風を私が実際に「音」として認識出来ているのかどうかは不審点もあるが、北方からの風は澄んだ音色がするように感じ取れ実に心地良いのだ。
原左都子がこのように「風の音」を感じ分ける原点とは、もしかしたら私が南の地方出身である故かもしれない。 毎年台風をもたらす南からの強風被害を自ら体感しつつ育った私は、それを忌み嫌っているという事なのかもしれない。
同じく北国で毎年大雪被害を経験されている人々にとっては、日本海やオホーツク海方面より押し寄せる北風の音こそが、一生聞きたくもない“元凶”とのイメージなのであろうか……??
そんな風(ふう)に考察すると、自然界がもたらす「風の音」とて、人の生業(なりわい)や日々の営みやその心情に触れつつ、実に奥深いものがありそうだ。
今回、東京スカイツリーの「音響」を担当した“音楽家”氏に話を戻そう。
この“音楽家”氏のランチが凄い!
何故それを“凄い”と表現させてもらったかと言うと、30代後半頃より時折胃痛に悩まされている原左都子が、こんな激辛食材は絶対に受け付けられそうにない炎のごとくの“激辛ランチ”であったためだ。
NHKテレビ影像によると、この“音楽家”氏は自身の想像力が旺盛な時にこそこの“激辛ランチ”を食することにより、自らの音楽家としての音のイメージを活性化しているとのことだ。
そして本人が食事は残さず食べるべき!とおっしゃる通り、このランチをお米一粒に至るまで隅々まで完食してその場を去るところがこれまた美しい!
これこそ今の時代を支えて動いている新しい人種のパワーである、と堪能させてもらえたからこそこの記事を我がエッセイ集の「時事論評」カテゴリーに位置付けた。
このような若きスタッフ達に支えられ、世界一の高さを誇る 東京スカイツリー が開業したことを今さらながら感慨深く感じた事も事実である。
さてさて、では一体いつ原左都子が 東京スカイツリー を訪れたいのかと言うと、その希望が今のところ全くないのも現実だ。 やはり混在している処は是が非でも避けたいから故だ。
と言うことで申し訳ないが、この“音楽家”氏が静寂を求めてとことん追求した音響が果たして吉と出たか凶と出たかの我が判断は、ずっと未来に先送りされそうである……
我が在宅時にこの番組を何度か視聴した事があるものの、いつも昼食中のためテキトーに流して見ているため、残念ながらそのタイトルを記憶していない私である。
毎週木曜日NHK昼のニュースの後に、働く人々や著名人の“ランチ”の実態を追跡した放送内容で、なかなか興味深い番組であると認識している。
本日その番組のトップに取り上げられたのが、上記東京スカイツリーの「音響」を担当しているとの若き男性であった。
職名の“肩書き”を何と名乗っておられる人物なのか承知しないし、そういう職種がこの世に存在する事自体を本日初めて知った。 それにしても元々音楽好きな私にとって興味深い内容であり、昼食を中断してその話題にのめり込んだ。
そもそも東京スカイツリーが「音響」に凝っている事も、初めて耳にする話題だった。
開業初日はエレベーター停止措置を取る程のあいにくの悪天候で、展望台からの視界が最悪だったようだ。 そんな場合でも観光客が楽しめるようにと、現地展望台では「音響」を工夫しているとのことだ。
例えば、寒い日の朝の「音」、曇り空の午後の「音」、雨の日の夜の「音」等々…… 2000種類(だったかな?)にも及ぶ「音響」が用意されているらしい。 ただし、お天気の良い昼間にはこの「音響」は流れないとのことである。 なぜならば、視界が良好で観光客が十分に展望を楽しめる場面に於いては、バック音響など邪魔になるだけ、との論理に大いに納得である。
この人物は要するに「音楽家」の範疇と解釈できよう。 現在は都会を離れ“自然界の音”を求めて静寂な森林等がある環境下で田舎暮らしをしつつ、ご自身が欲する音源を探り収録活動をしている様子の影像が映し出された。
本日のテレビ番組内で当該“音楽家”氏が録音機器を持参して出かけた先は、森林の中だった。 そこで氏が収録した「音」とは“風の音”である。 今回の撮影場所は森林だったが、これがもしも“竹林”の場合“風の音”はまったく異質との話だ。 相手は“自然”であるため自分が欲する音を採集している時に急激に雷雨に襲われたりして、残念ながら収録を中断せざるを得ない時も多々あるようだ。
ここで話題を中断して、同じく「音」には敏感な原左都子の私事を述べさせていただく事にしよう。
確かに「風の音」とは各種様々存在していて、例えば吹いてくる方向による違いを嗅ぎ分けられる私だ。??
と言うのも、我が亡き父が生前 「“まぜ”(これは我が出身地方独特の方言であろうが、春夏期に南方から吹いてくる風の事と私は解釈している)」 を嫌い続けていたからである。 子供心に父がこの風が吹くたび機嫌が悪かった記憶が今尚鮮明に脳裏に刻まれている私も、その後“まぜ”を嫌い続ける人生だ。 春から夏にかけて南からべとべとした湿気を運んでくる強風が吹くと、洗濯物を外に干す事すら抵抗を感じ大いなるストレスとなる。(それでもやむなく外に干しているのだけどね…)
この“まぜ”風を私が実際に「音」として認識出来ているのかどうかは不審点もあるが、北方からの風は澄んだ音色がするように感じ取れ実に心地良いのだ。
原左都子がこのように「風の音」を感じ分ける原点とは、もしかしたら私が南の地方出身である故かもしれない。 毎年台風をもたらす南からの強風被害を自ら体感しつつ育った私は、それを忌み嫌っているという事なのかもしれない。
同じく北国で毎年大雪被害を経験されている人々にとっては、日本海やオホーツク海方面より押し寄せる北風の音こそが、一生聞きたくもない“元凶”とのイメージなのであろうか……??
そんな風(ふう)に考察すると、自然界がもたらす「風の音」とて、人の生業(なりわい)や日々の営みやその心情に触れつつ、実に奥深いものがありそうだ。
今回、東京スカイツリーの「音響」を担当した“音楽家”氏に話を戻そう。
この“音楽家”氏のランチが凄い!
何故それを“凄い”と表現させてもらったかと言うと、30代後半頃より時折胃痛に悩まされている原左都子が、こんな激辛食材は絶対に受け付けられそうにない炎のごとくの“激辛ランチ”であったためだ。
NHKテレビ影像によると、この“音楽家”氏は自身の想像力が旺盛な時にこそこの“激辛ランチ”を食することにより、自らの音楽家としての音のイメージを活性化しているとのことだ。
そして本人が食事は残さず食べるべき!とおっしゃる通り、このランチをお米一粒に至るまで隅々まで完食してその場を去るところがこれまた美しい!
これこそ今の時代を支えて動いている新しい人種のパワーである、と堪能させてもらえたからこそこの記事を我がエッセイ集の「時事論評」カテゴリーに位置付けた。
このような若きスタッフ達に支えられ、世界一の高さを誇る 東京スカイツリー が開業したことを今さらながら感慨深く感じた事も事実である。
さてさて、では一体いつ原左都子が 東京スカイツリー を訪れたいのかと言うと、その希望が今のところ全くないのも現実だ。 やはり混在している処は是が非でも避けたいから故だ。
と言うことで申し訳ないが、この“音楽家”氏が静寂を求めてとことん追求した音響が果たして吉と出たか凶と出たかの我が判断は、ずっと未来に先送りされそうである……