どうやら原左都子とは、人からの“信頼・人望が厚い”人間であるようだ。

いえいえ、それは親族内に限った話である事を最初にお断りしておこう。
先週航空機便にて旅に出た私だが、その第一目的とは我が郷里の実母を訪ねることにあった。
そして立て続けに明日から再び旅行に出発するが、今回は義母を引き連れての親孝行目的旅である。
両方の母共々、娘(あるいは嫁)の私の存在など二の次、“可愛い孫”
の成長した姿こそを一見したいであろうとの私の配慮から、今回は娘の大学春期休暇を利用しての間髪入れずのハード旅程となってしまった。
と言うのも、可愛い孫の姿を見てこそ両母共に心底心が安らぐ事など重々承知の上である。
娘(あるいは嫁)である私が果たす役割とは、両母に成長した孫の姿を見せつつ、「要支援」の身の二人の現状を医学的及び人道的観点から観察し、今後ご両人が死に至るまで充実した人生が歩めるよう最大限の支援を実行する事に他ならないのだ。
幸いなことに、80代前半に至っている二人の母共々、心身共に比較的元気に推移しているようだ。
実母に関しては実娘の私に対する我がままからか、たった2日間の滞在にもかかわらず悪態を突いてくるのはいつもの事だ。 それでも孫である我が娘に対しては一歩退いて、成長を祝う視線に安堵させられる。
実母の場合、米国に長女(私にとって実姉に当たるが)もいる。 ところが、この実姉に老後の支援を頼ろうとの考えが一切ないようだ。 母曰く、「長女は米国暮らしだから易々と日本に戻れない」との理由のようだが、私に言わせてもらうと、航空機便が世界規模で目覚ましいまでの進化を遂げている今現在、私が住む東京と米国西海岸の距離差は母の思惑程大きくないはずだ。
なのに何故実母は私を“終(つい)の後見人”にしたいのか? それは、実母にとっては姉よりも私の方が“扱い易い”からに他ならない事ぐらい認識できている。 それでも、それは我が“人徳”と捉えることにより、実母の期待に応えつつ母の最終章を私が見守り切りたい思いでもある。
もっと有り難いのは、義母もまた“終(つい)の後見人”の位置付けとして私を頼ってくれている事実だ。
義母の場合は、それまで面倒を看てくれていた義理姉を昨年6月に壮絶な癌闘病の後に亡くすとの、突然の不運に見舞われた。
そこで義母の後見人を名目上引き継いだのが長男である我が亭主だ。 ところが義母が提案した事実とは、“実質的に”面倒を看て欲しいのは息子である長男よりも、嫁の私との事だ。
これにも大いにガッテン!
の私であったし、それこそが義母が老けていない証拠と受け取った。 何と言っても、高齢者を総合的に看る能力とは女性の方が長けていると私も感じる。
加えて義母の場合、ある程度の財産を所有していることが一番の判断材料となったと判断する。 財産管理をその学術的背景(参考のため私は「経営法学修士」を取得しているのに加えて、税理士試験税法3科目免除申請も通過している)のある私に一任したいと言ってくれたことこそが、私のプライドを呼び起こす原動力ともなった。
先週実母が住む田舎へ出発直前日に、私は義母の「青色申告」を滞りなく済ませた。
それを義母に電話にて報告した際、どれ程義母が安堵し喜んでくれた事か!
親孝行とはこういう風にしていくことが、原左都子なりの特性や人生経験に応じた生き様なのであろう。
そんな私を頼ってくれる高齢者が身内に複数存在する事実こそが、我が今後の“幸せ”を紡ぎ続けてくれることと信じ、明日から再び旅に出ます。



いえいえ、それは親族内に限った話である事を最初にお断りしておこう。

先週航空機便にて旅に出た私だが、その第一目的とは我が郷里の実母を訪ねることにあった。
そして立て続けに明日から再び旅行に出発するが、今回は義母を引き連れての親孝行目的旅である。
両方の母共々、娘(あるいは嫁)の私の存在など二の次、“可愛い孫”

と言うのも、可愛い孫の姿を見てこそ両母共に心底心が安らぐ事など重々承知の上である。
娘(あるいは嫁)である私が果たす役割とは、両母に成長した孫の姿を見せつつ、「要支援」の身の二人の現状を医学的及び人道的観点から観察し、今後ご両人が死に至るまで充実した人生が歩めるよう最大限の支援を実行する事に他ならないのだ。
幸いなことに、80代前半に至っている二人の母共々、心身共に比較的元気に推移しているようだ。
実母に関しては実娘の私に対する我がままからか、たった2日間の滞在にもかかわらず悪態を突いてくるのはいつもの事だ。 それでも孫である我が娘に対しては一歩退いて、成長を祝う視線に安堵させられる。
実母の場合、米国に長女(私にとって実姉に当たるが)もいる。 ところが、この実姉に老後の支援を頼ろうとの考えが一切ないようだ。 母曰く、「長女は米国暮らしだから易々と日本に戻れない」との理由のようだが、私に言わせてもらうと、航空機便が世界規模で目覚ましいまでの進化を遂げている今現在、私が住む東京と米国西海岸の距離差は母の思惑程大きくないはずだ。
なのに何故実母は私を“終(つい)の後見人”にしたいのか? それは、実母にとっては姉よりも私の方が“扱い易い”からに他ならない事ぐらい認識できている。 それでも、それは我が“人徳”と捉えることにより、実母の期待に応えつつ母の最終章を私が見守り切りたい思いでもある。

もっと有り難いのは、義母もまた“終(つい)の後見人”の位置付けとして私を頼ってくれている事実だ。
義母の場合は、それまで面倒を看てくれていた義理姉を昨年6月に壮絶な癌闘病の後に亡くすとの、突然の不運に見舞われた。
そこで義母の後見人を名目上引き継いだのが長男である我が亭主だ。 ところが義母が提案した事実とは、“実質的に”面倒を看て欲しいのは息子である長男よりも、嫁の私との事だ。
これにも大いにガッテン!

加えて義母の場合、ある程度の財産を所有していることが一番の判断材料となったと判断する。 財産管理をその学術的背景(参考のため私は「経営法学修士」を取得しているのに加えて、税理士試験税法3科目免除申請も通過している)のある私に一任したいと言ってくれたことこそが、私のプライドを呼び起こす原動力ともなった。

先週実母が住む田舎へ出発直前日に、私は義母の「青色申告」を滞りなく済ませた。
それを義母に電話にて報告した際、どれ程義母が安堵し喜んでくれた事か!
親孝行とはこういう風にしていくことが、原左都子なりの特性や人生経験に応じた生き様なのであろう。
そんな私を頼ってくれる高齢者が身内に複数存在する事実こそが、我が今後の“幸せ”を紡ぎ続けてくれることと信じ、明日から再び旅に出ます。


