原左都子のこれまでの人生を思い返してみるに、他人に“陰で”悪口を言われた経験はない(あるいは、覚えていないと言った方が正確か?)ような気がする。
いえいえ、現在の私はこのようにネット上でブログなどを公開している関係で、特に「原左都子エッセイ集」開設初期段階に於いては、「悪口」(というよりも「誹謗中傷」と表現するべきか?)が届くことを少なからず経験している。
ただ私の場合、“陰で”コソコソとそれを実行する読者とはほんの一握りであり、ほとんどが直接私にその思いをぶつけてくれることが幸いしているとも言える。
要するにそれらは決して私に対する「悪口」や「誹謗中傷」ではなく、「議論」と解釈するべきだろう。 それ故に、現在に至っても我がエッセイ集宛に頂戴した「議論事項」に関しては、必ずや個別にご返答申し上げる事を実行している。
このように陰で「悪口」を言われた記憶がない私であるが、我が今までの人生に於いて他者から面と向かって 「あなたが嫌いだ!」 と直言された経験は何度かある。
それら“直言”に関しては今尚我が脳裏に鮮明な記憶があるため、以下にその経験の一つを記そう。 (本エッセイ集バックナンバーでも紹介しているので、ご記憶の読者の方々が存在することを承知しつつ…)
我が第二次反抗期、小学6年生頃の出来事である。
当時より既に大いなる“天邪鬼批判気質”を内に秘めていた私は、早くも学級担任先生批判を展開した。 その批判の手段とは国語の時間に課せられた作文内なのだが、私は「学級担任とは“えこひいき”をするべきでない」なる表題の作文を仕上げて提出した。
作文提出直後に私は担任から教室内全生徒の面前で“吊し上げ”措置を食らったのに加えて、一男子生徒より「お前が嫌いだ!」なる直訴を受ける事態と相成った。 男子生徒曰く、「クラスの皆が仲良くしようとしているのに、何でお前だけが反発ばかりしているのだ! お前のような奴がクラスにいるのは迷惑だし、先生が可愛そうだよ!」 この一男子生徒よりの暴言に、私は敢えて反論はしなかった。 幼き頭で“自分の論理こそが正しい!”と信じていたから黙って耐えた。
その後の教室内では、特に目立った動きはなかった。 クラスの誰かがどちらかに迎合するでもなく卒業式の日を迎えた。 ただ大人であるはずの担任だけは、私に対する“憎しみ”の思いが卒業後も募っていたようだが…
本日このエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞3月8日別刷「be」 “悩みのるつぼ”を見たことによる。
中学3年生15歳女子による相談内容とは、「人から悪口を言われたくない」とのことだ。
その内容を紹介する以前に原左都子が疑ったのは、この少女は本当に周囲から「悪口を言われているのか?」との真相部分である。
ご本人の投書曰く、「昔は今よりも静かで人付き合いも悪く、周囲からの印象もよくなかったかもしれない」 「小学4年の時に転校したのを機に努めて明るくしユーモアをもって話すことができるようになった」 「それでも他人からあることないこと悪く言われる」…… 春から高校生だし、今後は他人から悪口を言われない高校生活を謳歌したい……
ここで原左都子が上記女子中学生を評価するならば、“感受性が強く周囲の反応を推し量れる頭脳も持ち合わせているが、反面、繊細過ぎるが故に自分自身の総合評価が出来ていないのかな?” 加えて“例えば親からの評価はどう処理しているのだろう? 未だ中学生段階では、女子生徒の総合評価において親の判断も必要と結論付けるが…” ……
ここで、今回の朝日新聞“悩みのるつぼ”回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏よりの回答内容の一部を以下に紹介しよう。
悪口は、それ自体は悪意のない場合が多い。 でも参加してくれない人がいたら自分たちがやっていることが急に薄汚くみっともないことに思える。 無いはずの「悪意」まであるような気がする。
ためしに私(岡田斗司夫氏)の名前をネットで検索してみてください。 誉めてくれる件数の10倍、悪口があふれています。
(以上、朝日新聞3月8日 「悩みのるつぼ」 岡田斗司夫氏回答より一部を引用。)
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
まずは“悩みのるつぼ”回答者であられる評論家 岡田斗司夫先生に一言申し上げたい事がある。
貴方は今現在、著名人の立場であられるはずだ。 にもかかわらず、ネット上で自分に対する庶民からの「悪口」が氾濫しているとの記述を朝日新聞紙上で公開されている事実に違和感を抱く私だ。 著名人を自覚している人々の常識に於いて、その発言は控えるべきではあるまいか?
もしかしたら、岡田斗司夫氏とは繊細な心をお持ちの方とも推測申し上げるが、少なくとも著名人の貴方に押し寄せる庶民からの反応を「悪口」と表現する事とは、あなたのファンを排除するべく行為ではなかろうか??
重ねて私論だが、報道メジャー朝日新聞紙上との恵まれた場面で、岡田氏のプライベート感情を露出する必然性などなかったものと捉えるのだが如何だろうか。 もしかしたら岡田氏とは、私のような庶民からのこの種の提言すら、ご自身への「悪口」と判断して排除されるのであろうか??
片や、“悩みのるつぼ”相談者である15歳中学生にも私から一言提言したい思いだ。
貴女は、小さい頃より現在に至るまで周囲の皆に陰で悪口を言われてきたと勘違いした道程を歩んだようだ。
どうだろう。 もしも貴女が今まで一度も周囲から「悪口」を“直言”された経験がないのならば、今後は取るに足りない周囲の反応を気にするより、自身の将来性こそを見つめてはどうだろうか?
この私など幼き頃に“お前が嫌いだ!”との「悪口」を周囲から“直言”されたことがきっかけで我が“天邪鬼気質”を再確認して、この世を力強く生き延びているとも表現可能だ。 そんな批判精神旺盛な自分を肯定できることを武器として、今後も年老いていくつもりだよ!
いえいえ、現在の私はこのようにネット上でブログなどを公開している関係で、特に「原左都子エッセイ集」開設初期段階に於いては、「悪口」(というよりも「誹謗中傷」と表現するべきか?)が届くことを少なからず経験している。
ただ私の場合、“陰で”コソコソとそれを実行する読者とはほんの一握りであり、ほとんどが直接私にその思いをぶつけてくれることが幸いしているとも言える。
要するにそれらは決して私に対する「悪口」や「誹謗中傷」ではなく、「議論」と解釈するべきだろう。 それ故に、現在に至っても我がエッセイ集宛に頂戴した「議論事項」に関しては、必ずや個別にご返答申し上げる事を実行している。
このように陰で「悪口」を言われた記憶がない私であるが、我が今までの人生に於いて他者から面と向かって 「あなたが嫌いだ!」 と直言された経験は何度かある。
それら“直言”に関しては今尚我が脳裏に鮮明な記憶があるため、以下にその経験の一つを記そう。 (本エッセイ集バックナンバーでも紹介しているので、ご記憶の読者の方々が存在することを承知しつつ…)
我が第二次反抗期、小学6年生頃の出来事である。
当時より既に大いなる“天邪鬼批判気質”を内に秘めていた私は、早くも学級担任先生批判を展開した。 その批判の手段とは国語の時間に課せられた作文内なのだが、私は「学級担任とは“えこひいき”をするべきでない」なる表題の作文を仕上げて提出した。
作文提出直後に私は担任から教室内全生徒の面前で“吊し上げ”措置を食らったのに加えて、一男子生徒より「お前が嫌いだ!」なる直訴を受ける事態と相成った。 男子生徒曰く、「クラスの皆が仲良くしようとしているのに、何でお前だけが反発ばかりしているのだ! お前のような奴がクラスにいるのは迷惑だし、先生が可愛そうだよ!」 この一男子生徒よりの暴言に、私は敢えて反論はしなかった。 幼き頭で“自分の論理こそが正しい!”と信じていたから黙って耐えた。
その後の教室内では、特に目立った動きはなかった。 クラスの誰かがどちらかに迎合するでもなく卒業式の日を迎えた。 ただ大人であるはずの担任だけは、私に対する“憎しみ”の思いが卒業後も募っていたようだが…
本日このエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞3月8日別刷「be」 “悩みのるつぼ”を見たことによる。
中学3年生15歳女子による相談内容とは、「人から悪口を言われたくない」とのことだ。
その内容を紹介する以前に原左都子が疑ったのは、この少女は本当に周囲から「悪口を言われているのか?」との真相部分である。
ご本人の投書曰く、「昔は今よりも静かで人付き合いも悪く、周囲からの印象もよくなかったかもしれない」 「小学4年の時に転校したのを機に努めて明るくしユーモアをもって話すことができるようになった」 「それでも他人からあることないこと悪く言われる」…… 春から高校生だし、今後は他人から悪口を言われない高校生活を謳歌したい……
ここで原左都子が上記女子中学生を評価するならば、“感受性が強く周囲の反応を推し量れる頭脳も持ち合わせているが、反面、繊細過ぎるが故に自分自身の総合評価が出来ていないのかな?” 加えて“例えば親からの評価はどう処理しているのだろう? 未だ中学生段階では、女子生徒の総合評価において親の判断も必要と結論付けるが…” ……
ここで、今回の朝日新聞“悩みのるつぼ”回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏よりの回答内容の一部を以下に紹介しよう。
悪口は、それ自体は悪意のない場合が多い。 でも参加してくれない人がいたら自分たちがやっていることが急に薄汚くみっともないことに思える。 無いはずの「悪意」まであるような気がする。
ためしに私(岡田斗司夫氏)の名前をネットで検索してみてください。 誉めてくれる件数の10倍、悪口があふれています。
(以上、朝日新聞3月8日 「悩みのるつぼ」 岡田斗司夫氏回答より一部を引用。)
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
まずは“悩みのるつぼ”回答者であられる評論家 岡田斗司夫先生に一言申し上げたい事がある。
貴方は今現在、著名人の立場であられるはずだ。 にもかかわらず、ネット上で自分に対する庶民からの「悪口」が氾濫しているとの記述を朝日新聞紙上で公開されている事実に違和感を抱く私だ。 著名人を自覚している人々の常識に於いて、その発言は控えるべきではあるまいか?
もしかしたら、岡田斗司夫氏とは繊細な心をお持ちの方とも推測申し上げるが、少なくとも著名人の貴方に押し寄せる庶民からの反応を「悪口」と表現する事とは、あなたのファンを排除するべく行為ではなかろうか??
重ねて私論だが、報道メジャー朝日新聞紙上との恵まれた場面で、岡田氏のプライベート感情を露出する必然性などなかったものと捉えるのだが如何だろうか。 もしかしたら岡田氏とは、私のような庶民からのこの種の提言すら、ご自身への「悪口」と判断して排除されるのであろうか??
片や、“悩みのるつぼ”相談者である15歳中学生にも私から一言提言したい思いだ。
貴女は、小さい頃より現在に至るまで周囲の皆に陰で悪口を言われてきたと勘違いした道程を歩んだようだ。
どうだろう。 もしも貴女が今まで一度も周囲から「悪口」を“直言”された経験がないのならば、今後は取るに足りない周囲の反応を気にするより、自身の将来性こそを見つめてはどうだろうか?
この私など幼き頃に“お前が嫌いだ!”との「悪口」を周囲から“直言”されたことがきっかけで我が“天邪鬼気質”を再確認して、この世を力強く生き延びているとも表現可能だ。 そんな批判精神旺盛な自分を肯定できることを武器として、今後も年老いていくつもりだよ!