原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「原左都子って何者?」 なるご質問にお答えします。

2014年03月24日 | お知らせ
 2007年9月に「原左都子エッセイ集」を開設以降エッセイ本数が1000本を突破している現在、読者の皆様がネット上で本エッセイ集をご訪問下さるきっかけとなる「検索キーワード」も多岐に渡り、多様化している現状のようだ。

 それら検索ワードのうち、例えば 「原左都子」「左都子」「原左都子エッセイ集」 あるいは「原 エッセイ」等々は、おそらく私が発信している個別のエッセイ内容よりも、“著者である原左都子自身”に(プラスマイナス両側面より)ご興味を頂戴してネット検索されているものと解釈させて頂いている。


 そんな中、昨日の編集画面にて、今回の表題に掲げた 「原左都子って何者?」 なる検索ワードを複数発見したのだ。

 それ自体は一応何となくうれしい反面、これが 「原左都子って何様?」 だったなら多少怖かったかも… とビビった私でもある。 
 (参考のため国語辞典上は“何者”と“何様”の意味あいにおいて大差はないようだが、どうやら現世における言葉遣いの慣行・常識によれば“何様”表現には人を蔑むニュアンスがあると私は解釈している。)


 せっかくネット検索にて頂戴した 「原左都子って何者?」 なる読者の方々のご質問に回答しようと志すのが、本エッセイの趣旨である。

 とりあえず手っ取り早く「原左都子」の経歴をお知りになりたい方へお勧めするのは、当該エッセイ集「お知らせ」カテゴリー 2012.10.10 バックナンバー 「原左都子プロフィール」 にて公開しているエッセイをお読み下さる事が最速であろう。

 ただ上記のプロフィールとは、あくまでも「原左都子エッセイ集」を公開している(ペンネーム 原左都子)の立場から、ごく一部の過去経歴を公開した内容に過ぎない。
 (これ程個人情報が悪用される現代に至っては、それ以上の情報公開による「危険性」こそ回避するべきと結論付けた結果であるが。)


 「原左都子エッセイ集」著者である「原左都子」“本体の人となり”をご理解いただくためには、1000本を超過する全エッセイをくまなくお読み下さるに限る。 
 ただ、特に新規読者の皆様にはそのお時間が取れない現実ともお察しする。


 そこでほんの少しであるが、「原左都子」本体である“私自身”の日常を少し紹介しよう。

 つい最近人が大勢集まる会合に出席する機会があったのだが、どうやら私は“周囲を和ませ明るくさせる”キャラと評価されてしまうようだ。 「あなたには初めてお会いした気がしない」 「お友達が多いでしょ!」 「見た目の明るさよりも、あなたはきっとご自身が明るい方ですよね」等々のプラス評価が我が身に降り注いで返って来る。

 それ自体は嬉しい。  ただ、実はそれら評価とは180度異なる人格の持ち主と私自身は自己分析しているのだ。 
 その思いを少しだけ訴えた。 「私は友達は少ない方ですよ」 「見た目ばかり繕っているのは自分自身の外見的趣味でしかありません」 「確かに私にも明るい側面はありますが…」
 その後私として続けたかったのは、「でもこういう会合に於いては第一に場を読むべきですよね。 面識が少ない者同志の関係に於いて周囲環境を意識せずして人間関係など成り立たないでしょう? 私はそれを実行しているのみですが…。」 そんなこと、言える訳もないしねえ…。

 現在の時代背景とはこれが現実であろう。
 
 そんな場に際して、特に年長者や(誤解を恐れず言わせて頂くならば)学識経験者とは有名無名にかかわらず、自分が言いたい事をありのまま無責任に発信できる訳などないのが現実ではなかろうか!?
 
 だからこそ私は複数の人間が集まる場では、真っ先に周囲への配慮に回る習慣が身に付いてしまっているのだ。 恐らく今後も現実世界に於いては、ひとまず自己を抑えてその役割を果たすべくの我が人生が続くのであろう。


 そんな我が人生背景において、オアシスの存在でもあるのが「原左都子エッセイ集」と位置付けられるのかもしれない。

 ここでは、「言いたい放題」言わせて欲しい思いだ。
 それでブログが炎上して読者を失っていいとの覚悟の上だ。

 それこそが 「原左都子って何者?」 なる私からの回答なのかもしれない。


 私本人が本名で生きている現実世界における人間対応は、私にとっても厳しく辛い。
 それでも生身の人間同士で自己を抑えつつ周囲に配慮して他者と付き合っていくことこそが、今後の我が有意義な人生につながるものと本名の私は信じ、そう行動している。