本日(3月8日)先ほどNHKテレビで放映された 連続ドラマ「ごちそうさん」内で、主人公め以子の義理姉 和枝が、め以子に向かって発したセリフが現在の我が身とピタリとダブる思いだ。
「女とはなあ、家族皆を一人ずつ(あの世に)見送ってまた見送って、その後我が身だけ残された後に(この世で)一人でご飯を食べつつ生き残る宿命を背負ってるんや。 あんたも若気の至りで“一人でご飯を食べるのが寂しい”などと言うとらんと、ちょっとは一人でご飯を食べれるようになりや。」
(原左都子の記憶のみに頼り綴っておりますので、ドラマ内セリフと多少異なっているであろう事をお詫び申し上げます。)
冒頭から原左都子の私論に入ろう。
まさに和枝さんがおっしゃる通りの宿命を、女性は背負って生まれてきていると実感させられる今日この頃の私だ。
そんな私にとっても、め以子の軟弱さはふがいないし鬱陶しい。
と言うよりも、この場面のドラマシナリオ自体が不自然との実感を抱かされる。
何故、“いけず”の義理姉と一緒に食事をしたいとの発想がめ以子側から出るのか? 今までの習慣でめ以子が家族と共に食卓を囲んで来たことはずっとドラマを見てきた私も知っているが、何も好き好んで自分を敬遠しようとしている相手(和枝)と本気で食事を一緒にしたい訳などあり得ないだろうに…。
もしも私が和枝の立場であるとて、め以子と一緒に食事をする事など断じて御免蒙りたい思いだ。
ここで私事を語るが、私は過去に於いて40歳近くまでの約17年間に及ぶ単独独身生活を貫いてきている。
その間、気心知れた彼氏や友人や職場の上司や仲間と一緒に外食(そのほとんが飲み会なのだが…)をする機会を数多く経験している。
そんな私が一番苦手だったのが、彼氏からの我が家にて食卓を囲みたいとの嘆願だった。
それを訴える相手には必ずや断固としてお断りした。 一緒に食事をしてもいいけれど、何故我が家でそれを実行せねばならないのか? 外で二人で食事をすれば十分だし、あるいは貴方の家ででもいいでしょ?? なる我が正直な希望に沿ってくれる相手も結構存在して、私は彼氏の家でよく食事をしたものだ。 その際も私と同様に多忙な相手の立場を思いやり、必ずや何某かの食材や酒を買い求めて彼氏の自宅を訪ねたものだ。
我が若かりし時代のノスタルジーを語ろうが、らちが明かない事など承知の上での話題だが…。
悲しいことに現自民党安倍政権とは憲法解釈等により、極論を言うならば、我が国を「戦争が出来る国」に仕立て上げようとしている事実に、その政権運営実態から推し量る国民が少なくない事であろう。
現在放映中のNHKドラマ「ごちそうさん」とは、後半に於いて昭和戦時中に庶民が国家から理不尽や不自由を強いられた時代背景を描くことにより、現在政権を担っている安倍政権へ“ささやかな抵抗”を試みようとの趣旨と受け取っているのは原左都子だけだろうか??
戦争の過ちや理不尽さを、それにより家族を失う悲しみや憎しみを表現することで、主人公め以子をはじめとする登場人物を通して実に繊細に描写しているドラマと解釈して、私は「ごちそうさん」を高評価している。
話題が変わるが、一昨日、私は保証人を担当している親族の一人である義理母を伴った旅行から帰宅した。
人生の終盤にさしかかっている(?)義母から、「人生最高の旅行だった!」との感想を頂戴したことが何よりの私の喜びとも実感している今現在だ。
同時にいつ訪ねても私に“悪態”を突き続ける、同じく人生終盤の我が実母が郷里で一人暮らしであることにも思いが及ぶ。
そんな私は、近い未来に親族皆を“あの世”へ見送った後にも“一人でご飯を食べる”事など容易な事として今は認識している。
次世代を力強く生き抜かねばならない我が娘に、我が老後の支援など一切頼りたくない思いが強靭だ!
加えて、集団嫌いな私がまかり間違っても将来「ケアマンション」で集団生活など出来る訳もない。(これ程までに国家の年金事業がダメージを受けている現実を鑑みた場合、私にはその金力もないだろうし…)
ドラマ「ごちそうさん」の和枝さんがおっしゃる通り、女である私は身内皆をあの世に送った後の老後も“一人飯”を堪能し続けるであろうし、そうして生き延びるしか選択肢がない現実を今から切実に実感させられる思いでもある。
「女とはなあ、家族皆を一人ずつ(あの世に)見送ってまた見送って、その後我が身だけ残された後に(この世で)一人でご飯を食べつつ生き残る宿命を背負ってるんや。 あんたも若気の至りで“一人でご飯を食べるのが寂しい”などと言うとらんと、ちょっとは一人でご飯を食べれるようになりや。」
(原左都子の記憶のみに頼り綴っておりますので、ドラマ内セリフと多少異なっているであろう事をお詫び申し上げます。)
冒頭から原左都子の私論に入ろう。
まさに和枝さんがおっしゃる通りの宿命を、女性は背負って生まれてきていると実感させられる今日この頃の私だ。
そんな私にとっても、め以子の軟弱さはふがいないし鬱陶しい。
と言うよりも、この場面のドラマシナリオ自体が不自然との実感を抱かされる。
何故、“いけず”の義理姉と一緒に食事をしたいとの発想がめ以子側から出るのか? 今までの習慣でめ以子が家族と共に食卓を囲んで来たことはずっとドラマを見てきた私も知っているが、何も好き好んで自分を敬遠しようとしている相手(和枝)と本気で食事を一緒にしたい訳などあり得ないだろうに…。
もしも私が和枝の立場であるとて、め以子と一緒に食事をする事など断じて御免蒙りたい思いだ。
ここで私事を語るが、私は過去に於いて40歳近くまでの約17年間に及ぶ単独独身生活を貫いてきている。
その間、気心知れた彼氏や友人や職場の上司や仲間と一緒に外食(そのほとんが飲み会なのだが…)をする機会を数多く経験している。
そんな私が一番苦手だったのが、彼氏からの我が家にて食卓を囲みたいとの嘆願だった。
それを訴える相手には必ずや断固としてお断りした。 一緒に食事をしてもいいけれど、何故我が家でそれを実行せねばならないのか? 外で二人で食事をすれば十分だし、あるいは貴方の家ででもいいでしょ?? なる我が正直な希望に沿ってくれる相手も結構存在して、私は彼氏の家でよく食事をしたものだ。 その際も私と同様に多忙な相手の立場を思いやり、必ずや何某かの食材や酒を買い求めて彼氏の自宅を訪ねたものだ。
我が若かりし時代のノスタルジーを語ろうが、らちが明かない事など承知の上での話題だが…。
悲しいことに現自民党安倍政権とは憲法解釈等により、極論を言うならば、我が国を「戦争が出来る国」に仕立て上げようとしている事実に、その政権運営実態から推し量る国民が少なくない事であろう。
現在放映中のNHKドラマ「ごちそうさん」とは、後半に於いて昭和戦時中に庶民が国家から理不尽や不自由を強いられた時代背景を描くことにより、現在政権を担っている安倍政権へ“ささやかな抵抗”を試みようとの趣旨と受け取っているのは原左都子だけだろうか??
戦争の過ちや理不尽さを、それにより家族を失う悲しみや憎しみを表現することで、主人公め以子をはじめとする登場人物を通して実に繊細に描写しているドラマと解釈して、私は「ごちそうさん」を高評価している。
話題が変わるが、一昨日、私は保証人を担当している親族の一人である義理母を伴った旅行から帰宅した。
人生の終盤にさしかかっている(?)義母から、「人生最高の旅行だった!」との感想を頂戴したことが何よりの私の喜びとも実感している今現在だ。
同時にいつ訪ねても私に“悪態”を突き続ける、同じく人生終盤の我が実母が郷里で一人暮らしであることにも思いが及ぶ。
そんな私は、近い未来に親族皆を“あの世”へ見送った後にも“一人でご飯を食べる”事など容易な事として今は認識している。
次世代を力強く生き抜かねばならない我が娘に、我が老後の支援など一切頼りたくない思いが強靭だ!
加えて、集団嫌いな私がまかり間違っても将来「ケアマンション」で集団生活など出来る訳もない。(これ程までに国家の年金事業がダメージを受けている現実を鑑みた場合、私にはその金力もないだろうし…)
ドラマ「ごちそうさん」の和枝さんがおっしゃる通り、女である私は身内皆をあの世に送った後の老後も“一人飯”を堪能し続けるであろうし、そうして生き延びるしか選択肢がない現実を今から切実に実感させられる思いでもある。