原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

少子化対策として政権が真っ先に着手するべき事柄

2014年03月19日 | 時事論評
 先だっての3月17日埼玉県富士見市に於いて発生した、男性ベビーシッターが母親から預かった幼き2歳男児が遺体にて発見されたとのニュース報道に、衝撃を受けた市民の方々が多い事と察する。


 日本の政府が少子化対策に取組み始めて既に20年に及ぼうとしているが、合計特殊出生率は思うような回復をみない。 
 そこで安倍内閣は、昨年(2013年)6月「少子化対策」に関し4年ぶりとなる「骨太の方針」(正式名称:経済財政運営と改革の基本方針)を閣議決定し、女性の活躍促進や少子化危機突破に向けた方針を盛り込んだ。
 これらの対策を実質上まとめてきた森雅子少子化対策担当大臣に対して、某国内機関が多岐にわたって全貌が見えにくい対策について取材したところ、 森大臣曰く「安倍政権による少子化対策とは骨太の方針に入ったとが特徴であり、その方針とは「(少子化対策を)着実に実行する」との意味だそうだ。
 (以上、ネット情報の一部を原左都子が多少アレンジして紹介したもの。)


 上記の安倍政権「少子化対策における『骨太の方針』」はその後我が国の少子化対策に於いて功を奏しているであろうか?  真なる「女性の活躍促進」に繋がっているのだろうか??

 確かに国内一部の自治体では、公立保育所の受入れ可能乳幼児数枠を増加させるべく努力しているとの報道を見聞する。 加えて「保育士」の賃金アップ指針を導入する等々の政策により、乳幼児受入れ体制の質の向上確保も予定されているとの情報も目にする。

 上記「少子化対策」に関する国や自治体からの“一見明るい”ニュース報道の陰で、冒頭の3月17日に発生したベビーシッター事件に対し、厚労省は以下のコメントを発しているようだ。
 厚労省曰く、ベビーシッターに必要な公的資格はなく利用者も把握していない。
 行政のチェックが届かない中、ネット上にはベビーシッターを探す人とその成り手が情報交換するサイトが複数あり、必要に迫られた親らが利用している。
 (以上、朝日新聞3月18日記事より引用。)


 私論だが、厚労省はネット情報で上記の巷の親達の事態を認識していながら、何故早急に手立てを打たないのかと憤るばかりだ。
 一体誰のため、何のための「骨太の方針」少子化対策なのか!? 

 ネット上の胡散臭いベビーシッターに可愛い我が子の一時保育を依存せねばならない切羽詰まった親の実情を政権は如何に理解しているのか! 
 数値上の数や量のみ整えるとの実態のない「少子化対策」にばかり依存して現実を見ないからこのような事件が起こるのだ。


 ここで私事に入るが、私も一女を持つ母親である。

 私の場合、我が子が多少の事情を抱えてこの世に生を受けたとの特例性もあろうが、特に我が子幼き頃には「誰でもいいからベビーシッターを依頼して一時何処かへ避難したい!」なる妄想が我が脳裏に付きまとうことを経験している。 
 今となってはそんな切羽詰まった感情を如何に処理し得たのかの記憶が薄れているのだが、おそらく当時はまだまだ現実世界での人間関係が充実していた時代背景であり、我が友人達を自宅に招くことによりその苦しい時代を潜り抜けたのではないかと振り返る。

 更には、我が子が小学校の児童となった以降にも、この場面は「ベビーシッター」に依存したい、なるシチュエーションを経験している。
 当時は未だネットなき時代背景だったが、我が調査力により「子供を習い事教室まで送迎してくれるサービス」を新聞上で発見した。 当時仕事を持っていた私は、「これは使える!」と実感したものだ。 結果としては、娘の希望等により自分の仕事時間を短縮する事によりそのサービス利用を回避したのだが…


 要するに冒頭に記した「ベビーシッターによる幼児死体遺棄事件」とは、私も過去に経験しようと志した民間業者によるベビーシッター派遣サービスの発展型(劣化型?)で起こってしまった幼児死亡との残虐な事件だったのではあるまいか??

 これに関して、それを利用した親側からの経験に関する朝日新聞3月18日記事を以下に紹介しよう。
 ネット上で気軽に見つけられるベビーシッターを頼りにする親は少なくない。
 例えば6歳男児がいる家庭では、子供がインフルエンザに罹った時に初めてネット上でシッターを見つけ預けた。 普段は公立保育園を利用しているが、感染症発症の場合(公立保育所では)5日間登園出来ないため預け先を探す必要性に迫られた。 その時サイト掲示板の存在を知り、メール上のやり取りを信頼して預かってもらえた。 子どもを預けた女性曰く「近くに頼れる親戚もおらず、八方ふさがりの現状だった。知らない人を頼るのは不安だが、良心に賭けるしかしかたないとまで覚悟して預けた」


 「原左都子エッセイ集」2011年11月26日バックナンバーに「足が腐った男」なるエッセイがある。
 どういう訳か公開から2年以上を経過した今尚、当該バックナンバーが我がエッセイ集に於いて「スタンダードナンバー」とも位置付けられる程の数多くの閲覧を日々頂戴している。

 上記バックナンバー 「足が腐った男」より結論部分の一部を以下に再び紹介しよう。

 国や自治体等の役所においては、市民自らが役所に出向いて申請書を提出する“能力”を保有している(ある程度恵まれた)“弱者”に対しては、例えば「生活保護」対象とする等手厚く支援している有様である。 
 片や、上記のごとく電車内で“腐った足”を晒して眠りこけている人種が役所にその種の申請書を提出しているとは到底考えられない現状だ。  
 私に言わせてもらうと、この種の“真正弱者”こそを国や自治体は最優先して救うべきではないのか??
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 それは、安倍政権に於ける「少子化対策」に於いても同様ではあるまいか??
 
 「少子化対策」に於いて「骨太」意見を表立って差し出せる能力ある市民のみを「女性の活躍促進」対策として前面に出しその救済対象とするのではなく、安倍総理及び森雅子大臣には是非共今回の悲惨な事件を脳裏に刻んで欲しい思いだ。

 これ程混乱した我が国の現世に於いて子供を産もうとの勇気ある女性達とは、貴方達政治家が抱いているイメージよりもずっと多様性がある事実を認識して欲しい思いだ。
 貴方達政治家が認識している事実より遥かに「貧困」を経験されている家庭にも“赤ちゃん”が誕生してよいであろうし、その赤ちゃんの成長を原左都子とて願いたい。

 更には、何故現世の女性が子どもを産むことを欲するのかあるいは欲しないのかの選択に関して、政権政治家達の真なる分析・認識が及んだ暁に、やっとこの国の「少子化対策」が生命を宿すのではないかと私は信じている。