我が娘が小学校低学年の頃、娘が通っていた公立小学校が(個人情報保護を無視して)作成・配布した電話連絡網を通し、娘の隣の学級の保護者母親から私宛に突然電話がかかって来た事がある。
その母親が電話口で曰く、「○○さんですね。」 私応えて、「はい、そうですが。」
続けて母親曰く、「私は××と申しますが、実は以前より学校のPTAで〇〇さんを拝見しておりました。とても素敵なお母様でいらっしゃいますね。 お近づきになりたくて、失礼ながらお電話を差し上げました。」
その電話での態度に何ら失礼はなく、しかも、私と懇親になりたいと申し出る母親は以前から他にも存在していたため、一応電話の会話を続けようと考えた。
そうしたところ、「今度ご一緒にお茶でもいかがですか?」とその母親は急に切り出してくる。 多少面倒臭い気がし始めた私は、「次回学校でお会いした時にお話でもしませんか?」と切り返すと、急に態度を変え始めるではないか。
「一緒に来て欲しい所があるんですよ。 そこに来て頂くと素晴らしさが分かりますからとにかく私と会ってくれませんか。」
直感でこれは何だが変
だと感じた私は、「一体私を何処に連れて行いたいご意向ですか!? その場所を明確に言って下さい。」
すると、その母親が正直に語るには、「△△との新興宗教が素晴らしいので、貴女も入信するとよいと考えお誘いしているのです。」
その回答に呆れた私は、「学校の電話連絡網を何と心得ているのですか! そんな個人的な宗教勧誘目的で連絡網が配布されている訳ではないのですよ!! だいたい貴方、息子さんが我が娘と同学年との事ですが、母親の立場で何をやっているか認識出来ているのですか?」
まさか、私が元学校教員だったとは露知らなかったらしい母親は、負けじと私に噛みついてくる。「馬鹿なのは貴方ですよ。 私が信じている宗教がどれだけ素晴らしいか、一度来てみたら分かりますよ!」
すぐさまその翌日、私は小学校へ電話連絡網が“悪用”されている事実を伝えた。 しかもその悪用の程が、新興宗教への勧誘との悪質性の高さも訴えた。
その事実は当然の事ながら、学校現場でも即刻撲滅対象となった様子だ。 事情聴取のために私は校長室へ招かれ、その面談に応じる事と相成った。
学校が調査した結果、その母親は私以外にも電話連絡網を悪用し複数の保護者に電話をかけ、実際に信仰宗教現場へ無理やり連れて行かれた母親も存在したらしい。
ただ、その後我が家は娘の校内いじめ等に対応するため転校を余儀なくされた故に、その母子が現在如何に暮らしているかに関しては露知らない…。
他にも、カルトとまで表現しては失礼かもしれないが、日本国民の皆さんなら十二分にご存知の(現在政権の片棒を担いでいる)某宗教団体からの勧誘も何度も受けている。
あの団体に対して私に言わせてもらうならば、不思議な宗教組織である。 何故か世襲を貫きつつ大規模組織として成り立っている様子だ。 子孫としてそれが嫌ならば辞めればいいのに、と私など思うのだが、どういう訳か一族代々に渡り成り立ち政党まで立ち上げ、それを現政権である自民党に都合よく利用されている有様だ。
その宗教団体から受けた勧誘も、もちろんすべて即刻お断りするのだが、そうした場合付き合い自体が終焉せざるを得なくなるのが常だ。
当該宗教に関しては、カルト集団と比して日常的な付き合いに関してはいい人達であるのに、どういう訳かこちらから宗教入信を断固と断ると、掌返したがごとく去っていくのが不可解でもある。
話題を大幅に変えよう。
昨日11月28日、元オウム真理教の信者であり特別手配対象者として指名手配されていた菊池直子被告に対して、無罪判決が下された。
以下に、ネット情報よりその一部を引用・紹介する。
東京高裁がオウム真理教元信徒・菊地直子被告(43)に言い渡したのは、逆転無罪だった。 弁護人は判決を評価したが、事件の被害者や一審で有罪を導いた裁判員からは戸惑いの声も聞かれた。
3年半前の逮捕当時に捜査を担当した警視庁幹部は、無罪判決に「何かの間違いだ、と思った」と驚いた。 菊地元信徒をめぐっては、地下鉄サリン事件や都庁郵便小包爆発事件に関わったとして、警視庁が殺人などの容疑で逮捕状を取り、95年5月に警察庁が特別手配した。
菊地元信徒は逃亡生活を経て、2012年6月に、地下鉄サリン事件で殺人などの容疑で逮捕。その後、猛毒の化学剤VXを使った事件で殺人などの容疑で再逮捕され、さらに都庁事件で殺人未遂と爆発物取締罰則違反容疑で再逮捕された。起訴されたのは、都庁事件での殺人未遂と爆発物取締罰則違反のそれぞれ幇助罪だけだった。
一方、検察幹部は「予想外の判決だ。かなり違和感がある」。東京高検の堺徹次席検事は「控訴審判決は意外であり、誠に遺憾。判決内容を十分に精査・検討し、適切に対処したい」とのコメントを出した。
高裁判決は、一審の裁判員裁判を覆す内容だった。「市民感覚を反映するための制度なのに、裁判官の経験則で覆していいのか。オウムの恐ろしさが風化してしまったのだろうか」。別の幹部は疑問を呈した。
元捜査幹部は「菊地元信徒は逃亡したからこそ注目を浴びたが、オウム事件全体でみると果たした役割は小さかった。事件に直結する役割ではなく、元々、立証に難しさはあった」と話す。
検察は今後、上告するかどうか検討する。
郵便小包爆発事件で左手指を失った元東京都職員の内海正彰さん(64)は「(菊地元信徒は)長年逃亡生活を続けており、罪の意識は十分持っていたはずです。 無罪の判決は、その事実を法廷という場でしっかりと立証できなかったということで、誠に残念なことだと思います」との談話を出した。
(以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私論に入ろう。
そもそもカルト(狂信的な宗教集団)に入信しようと志す人間には共通項があろう。 おそらくその入信動機とは、様々な理由での「自己喪失」の現状だったという事ではあるまいか??
そういう意味では、上記の菊池直子被告も入信当時はその状況に瀕していたとの推測も可能なのかもしれない。 それを打破出来る能力が自己になければ、そこから助け出してくれる周囲の助力にも恵まれず、“カルト地獄に落ちる”しか方策が見出せなかったものとも推測出来よう。
ところが特に菊池直子被告の事例では、逃亡途中で“善意ある一般人”男性と出会いその人との共同生活を営んたとの記載もあるのだ。 ならば何故その時点で「自首」出来なかったのだろうか?
昨日のNHKニュースによれば、一旦カルトにはまるとそこから脱出不能な恐怖に苛まれ続ける恐れがあるとの解説だったが…
原左都子にとっては到底理解不能な、菊池直子被告の何十年に及ぶ逃亡生活としか言いようがない。
少なくとも私自身は元より、我が娘に対しても、カルト依存などとの“究極他力本願人生”を決して歩まないよう再教育したい思いしか描けない、今回の菊池直子被告に対する空虚な逆転無罪判決である…