原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東大が推薦入試で集めたい「異才」って一体どんな奴??

2015年11月12日 | 時事論評
 近年、我が国では国家を上げて大学改革に躍起になっている感がある。

 国立大学文系学部廃止案や、センター試験改革案、等々…

 それらに関しては、当該「原左都子エッセイ集」に於いても随時エッセイのテーマとして取り上げ、論評して来ている。 
 (我が記憶にある近日のバックナンバーを挙げると、2015.7.13公開の「国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点から支持する」 や、2015.6.15公開「大学新入試『長文記述』課題コンピュータ採点は絶対無理”」等。)

 国家や大学現場が国民相手にやれ今度は大学制度をどうこうするぞ、入試制度を改革するからわきまえておけ、云々と偉そうに騒ぎ立てている事実に関しては、皆さんも各種報道を通じてご存知の事であろう。
 ところがその割には、一体全体それを本気で実施する気があるのかないのかは元より、それを実施する事によりもたらされる未来の効用に関する分析調査がなされているとの中間発表が、一切見聞できない有様だ。

 この状況下で一番困惑させられているのは、現実的に改革案に翻弄される受験生とそのご家庭であろう。
 国や志望大学は、あー言っているが、一体いつから実施されるのだろう? 通っている高校及び塾や予備校からも改革案に基づいた対策が伝えられ、それに合わせた学習プログラムが組まれているようだが、それを信じて素直に頑張れば本当に大学に合格出来るのだろうか?? 等々。

 原左都子の娘が現在大学4年生にして既に就活内定を決めている今となっては、他人事ながらも、そのような一般国民であられる受験生やそのご家庭の混乱・懸念を察して余りあるというものだ。


 さて、本題に入ろう。

 この大学改革案が、“天下の”東大に於いても実施される運びとなった様子だ。
 (“天下の”などとの表現を用いたが、これはあくまでも国民一般認識を揶揄したものであり、決して原左都子は東大崇拝者ではないことをお断りしておく。 私自身が過去に於いて東大大学院受験を目指し願書を提出した事がある。実際準備が間に合わず受験に至っていない立場だが…。  更には、東大に関するエッセイを幾つか当該エッセイ集にて公開している。 そのすべてが、いわば“東大崇拝者”に対する反論・異論論評を述べた内容と言えよう。  そして別の実側面からだが、私自身がお付き合い経験がある東大関係者は皆さん善人だし、ごく普通の人ですよ~。)

 朝日新聞11月3日付一面記事によれば、その東大が今年初めて推薦入試を導入するとの事だ。
 以下に、当該記事内容を要約して以下に紹介しよう。
 東京大学が初めて導入する推薦入試の出願受付が11月2日に始まった。 今では国立大学にも定着してきた推薦やAO入試。 東大も「違ったタイプ」の学生を集め世界での競争力を高めたいと言う。 東大全学部で推薦入試を実施し、3%程を募集。書類選考の後、面接やグループディスカッション課題を付加。 1月のセンター試験点数8割以上を合格最低ラインとして、更に学部毎の専門能力も必須との試験内容だ。
 この東大推薦入試基準に対し、大手進学塾現場からも異論が提出されている。「結局、一般入試でも合格出来る受験生しか受けないのでは? これが多様化になるのか?」
 京都大学も、東大同様に推薦・AO・後期の「特色入試」で100名を募集。 京大曰く、「一般入試だけだと似た学生ばかりになる」 物事の本質を考えられる人材を集めたいのだという。
 (以下省略するが、以上朝日新聞一面記事より要約引用したもの。)
 

 ここで一旦、私論に入ろう。

 東大さん、京大さん。 貴方達は一体18,9歳位の小僧達に何を求めているのか??
 
 ご自身の遠い過去の事を思い起こして欲しいものだ。
 貴方達が10代後半の若さで「自分は異才だ!」とでも感じて自信を持っていたのなら話は別だが、本当にそうだったのだろうか?  
 私が思うに現在東大・京大を中心的に牛耳る立場にある上位の学者氏達とは、おそらく原左都子と似たような還暦当たりの年代層の人々であろう。

 貴方達は、真に自分の大学に「異才」が入学してくれる事を願っているのか?
 その実とは、それら「異才」達が学内外で勝手に活躍し売名してくれ、自分らが“楽”を出来る事を狙っているのではあるまいか?? (実際、現世では東大出身タレントがごまんとメディアにのさばり“東大出身”を前面に出して売名行為をしているが、あれらも「異才」のうちと言いたいのだろうか???

 
 最後に私論でまとめよう。
 
 そうでない事を、もちろん私論としては願いたいものだ。

 東大・京大が将来的に推薦(AOも含め)入試手段にて合格させた学生達を、教授陣こそが自由自在に扱える自信と実績を持って、更にはそれらの人材を国際的に活躍可能な逸材に育成する自信がおありならば、その制度も今後有効に作用する事と心得る。

 なんせ、相手はいくら面談力やディスカッション力に長けた偏差値80以上のスペシャリスト(?)と言えども、たかが人生経験18、9年程の若造だよ…。 
 そんな若輩者に、長老が何を期待したいと言うのだ?
 私としては、若輩者達本人に“特別枠での入学”との肩身の狭さと苦労を背負わせるだけの、暗い未来が待ち構えているような嫌な予感がするのだ。

 日本の大学とは法制度上「学問の府」である事を定められているにもかかわらず、それを実行出来ていないのは、実は大学を司るべく教授陣達の力不足故ではあるまいか?

 ここは一旦初心に戻ってはどうか。 
 大学現場の教授陣達が自分らの学問伝授力を強化した暁に優秀な学生を迎え入れてこそ、日本の学問の未来があると私は結論付けるのだが。