先週5月6日のNHK「スタジオパーク」のゲストは、武田鉄矢氏だった。
この方、若き頃にはあの独特のストレートロン毛ヘアスタイルの印象が強烈だったせいか“デカ顔”ばかりが目立ち、我が目には何とも“ブサイク”な男性にしか映らなかった。(武田鉄矢さん、大変なご無礼発言をお許し下さいますように。)
私の場合「金八先生」とやらの、世間を一世風靡したらしきドラマを一切見ていない。
ただ、後にそのドラマ内で海援隊が歌った(?)「贈る言葉」との楽曲により、武田氏をやっと肯定的に評価出来るようになった。
と言うのも、この曲には私なりの“涙無くして語れない”思い出があるのだ。
現在尚この歌を歌番組等にて聴いては、当時の光景と情感が脳裏に蘇り、どうしても涙ぐむ(と言うより号泣すると言った方が正解だが)私だ。
その思い出とは、我が30代前半の勤労学生時代に、夜間東京丸の内(の旧丸ビル最上階)でラウンジコンパニオンをしていた時の出来事だ。(この話題に関しては「原左都子エッセイ集」初期のバックナンバー、「パーコン」及び「丸の内でのお仕事」に於いて詳細を綴っておりますので、よろしければご参照下さい。)
顔見知りの顧客が、「この若造が名古屋に転勤になりこれから送別会2次会にカラオケに行くんだけど、貴女も来てくれる?」とのお誘いを受けた。 飲兵衛かつカラオケ大好きな私は即座に「喜んで!」なる回答をして、その送別会2次会に同席した。
皆がカラオケを楽しみ、最後に当該名古屋転勤の張本人が歌って最後を締めくくる事となった。 そしてセレクトした楽曲が「贈る言葉」だ。 本来ならば見送ってあげる立場の人間が歌うべきなのだろうが、誰もそれを選曲しなかったため、地団駄踏んでいた本人がやむを得ず最後に自分で歌おうと志したのだろう。
その歌唱力の程が素晴らしく皆で聞き惚れていたのだが、途中から感極まって本人が泣き始める。 ついに皆で立ち上がり、大合唱が始まった! 転勤者本人の涙が号泣と化し、涙もろい私も一緒に号泣した。
あの時の「贈る言葉」の感極まった印象が、今尚我が脳裏に刻み付けられているのだ。
冒頭から私事が長引いたが、上記のごとく私は1980年代半ば頃までは武田鉄矢氏のことを単に“ブサイクな男”としてしか捉えていなかった。
この我が視点が豹変したきっかけは、上記の名古屋転勤若造を送る2次会への出席であり、はたまた(時代が大きく飛ぶが)現在BSジャパンにて金曜夜9時から放映されている「武田鉄矢の昭和は輝いていた」を時折視聴し始めてからだ。
ここでついでに、私は上記の「昭和は輝ていた」なる番組にも思い入れがある事を語らせて頂こう。
当該番組は激動の時代であった昭和に焦点を当て、主たる司会者である武田鉄矢氏を中心にゲスト出演者達と共に昭和時代の「人」「モノ」「出来事」から毎回テーマを決め、昭和を振り返る番組である。
この番組に於ける武田鉄矢氏の番組進行力が実に素晴らしいのだ! もしも下手な司会者ならば、ゲストの発言を遮ってまでも自分の発言を最優先するところ、武田氏は十分にゲストやアシスタント局アナの話までをも「聞く耳」をお持ちなのだ。
この武田氏の対応力に感嘆している私は、現在に至っては遅ればせながら武田鉄矢氏のファンだ。
そんな武田鉄矢氏が登場した、5月6日のNHK「スタジオパーク」を私は見逃していない。
今回の武田氏側のトークのテーマとは、ご自身の「老い」 だったと私は結論付けるのだが、そのトーク内容も興味深かった。
武田氏曰く、「自分も老齢域に達し、不覚にも心臓の手術をするためある程度の期間病院に入院した経験がある。」
その際のご経験のトークが実に面白く、我が身に響いたのだ。
要約して記すと、武田氏は入院中に同じく入院中の某高齢者女性と知り合い、病院内で会話をしたそうだ。
武田氏曰く、「高齢になり老化が進むと、病気に苛まれてしまうのが嫌ですね…」
それに高齢者女性が応えて曰く、「老化が進むのが嫌なら、若死にすればよかったんだよ」
一旦私論に入るが、何とも哲学的なご回答だ。 これ以上の回答は無いと私も唸った。 武田鉄矢氏にも素晴らしい病院内の「出会い」があったものだ。
最後に、原左都子の結論私論に入ろう。
まさに、世には「老化」を嫌う人物で溢れている感覚がある。
何故、自らの「老化」を自分自身が認め受け入れられないのであろうか?
かく言う私自身も、もしも病院内で偶然武田鉄矢氏に遭遇したとして、「老化が進むのが嫌やら、若死にすればよかった」なる究極哲学的回答を返せないであろう。
ただ、そんな力量が無い私にして、「老化」を受け入れてこそ今後の我が未来がある!との発想には根強いものがある。
表題に戻そう。
まさか、老化が嫌だから「若死に」しておけばよかった。 などと本気で真剣に考えている人間は皆無であろうと信じたい。
そうした場合、必ずや誰しも高齢化を避けては通れない運命にあろう。
それを自らの課題として真正面から力強く受け入れてはどうなのか?! そのエネルギーこそが、自身の「老化」を多少は阻止するであろうし、その課題をクリア出来そうにも私は思うのだが。
(余談だが、明日予定通り女優のオーディションへ行きますよ~~。 何がどうなるやら、海千山千の私としては、とっても楽しみで~~~す。 へっへ。)
この方、若き頃にはあの独特のストレートロン毛ヘアスタイルの印象が強烈だったせいか“デカ顔”ばかりが目立ち、我が目には何とも“ブサイク”な男性にしか映らなかった。(武田鉄矢さん、大変なご無礼発言をお許し下さいますように。)
私の場合「金八先生」とやらの、世間を一世風靡したらしきドラマを一切見ていない。
ただ、後にそのドラマ内で海援隊が歌った(?)「贈る言葉」との楽曲により、武田氏をやっと肯定的に評価出来るようになった。
と言うのも、この曲には私なりの“涙無くして語れない”思い出があるのだ。
現在尚この歌を歌番組等にて聴いては、当時の光景と情感が脳裏に蘇り、どうしても涙ぐむ(と言うより号泣すると言った方が正解だが)私だ。
その思い出とは、我が30代前半の勤労学生時代に、夜間東京丸の内(の旧丸ビル最上階)でラウンジコンパニオンをしていた時の出来事だ。(この話題に関しては「原左都子エッセイ集」初期のバックナンバー、「パーコン」及び「丸の内でのお仕事」に於いて詳細を綴っておりますので、よろしければご参照下さい。)
顔見知りの顧客が、「この若造が名古屋に転勤になりこれから送別会2次会にカラオケに行くんだけど、貴女も来てくれる?」とのお誘いを受けた。 飲兵衛かつカラオケ大好きな私は即座に「喜んで!」なる回答をして、その送別会2次会に同席した。
皆がカラオケを楽しみ、最後に当該名古屋転勤の張本人が歌って最後を締めくくる事となった。 そしてセレクトした楽曲が「贈る言葉」だ。 本来ならば見送ってあげる立場の人間が歌うべきなのだろうが、誰もそれを選曲しなかったため、地団駄踏んでいた本人がやむを得ず最後に自分で歌おうと志したのだろう。
その歌唱力の程が素晴らしく皆で聞き惚れていたのだが、途中から感極まって本人が泣き始める。 ついに皆で立ち上がり、大合唱が始まった! 転勤者本人の涙が号泣と化し、涙もろい私も一緒に号泣した。
あの時の「贈る言葉」の感極まった印象が、今尚我が脳裏に刻み付けられているのだ。
冒頭から私事が長引いたが、上記のごとく私は1980年代半ば頃までは武田鉄矢氏のことを単に“ブサイクな男”としてしか捉えていなかった。
この我が視点が豹変したきっかけは、上記の名古屋転勤若造を送る2次会への出席であり、はたまた(時代が大きく飛ぶが)現在BSジャパンにて金曜夜9時から放映されている「武田鉄矢の昭和は輝いていた」を時折視聴し始めてからだ。
ここでついでに、私は上記の「昭和は輝ていた」なる番組にも思い入れがある事を語らせて頂こう。
当該番組は激動の時代であった昭和に焦点を当て、主たる司会者である武田鉄矢氏を中心にゲスト出演者達と共に昭和時代の「人」「モノ」「出来事」から毎回テーマを決め、昭和を振り返る番組である。
この番組に於ける武田鉄矢氏の番組進行力が実に素晴らしいのだ! もしも下手な司会者ならば、ゲストの発言を遮ってまでも自分の発言を最優先するところ、武田氏は十分にゲストやアシスタント局アナの話までをも「聞く耳」をお持ちなのだ。
この武田氏の対応力に感嘆している私は、現在に至っては遅ればせながら武田鉄矢氏のファンだ。
そんな武田鉄矢氏が登場した、5月6日のNHK「スタジオパーク」を私は見逃していない。
今回の武田氏側のトークのテーマとは、ご自身の「老い」 だったと私は結論付けるのだが、そのトーク内容も興味深かった。
武田氏曰く、「自分も老齢域に達し、不覚にも心臓の手術をするためある程度の期間病院に入院した経験がある。」
その際のご経験のトークが実に面白く、我が身に響いたのだ。
要約して記すと、武田氏は入院中に同じく入院中の某高齢者女性と知り合い、病院内で会話をしたそうだ。
武田氏曰く、「高齢になり老化が進むと、病気に苛まれてしまうのが嫌ですね…」
それに高齢者女性が応えて曰く、「老化が進むのが嫌なら、若死にすればよかったんだよ」
一旦私論に入るが、何とも哲学的なご回答だ。 これ以上の回答は無いと私も唸った。 武田鉄矢氏にも素晴らしい病院内の「出会い」があったものだ。
最後に、原左都子の結論私論に入ろう。
まさに、世には「老化」を嫌う人物で溢れている感覚がある。
何故、自らの「老化」を自分自身が認め受け入れられないのであろうか?
かく言う私自身も、もしも病院内で偶然武田鉄矢氏に遭遇したとして、「老化が進むのが嫌やら、若死にすればよかった」なる究極哲学的回答を返せないであろう。
ただ、そんな力量が無い私にして、「老化」を受け入れてこそ今後の我が未来がある!との発想には根強いものがある。
表題に戻そう。
まさか、老化が嫌だから「若死に」しておけばよかった。 などと本気で真剣に考えている人間は皆無であろうと信じたい。
そうした場合、必ずや誰しも高齢化を避けては通れない運命にあろう。
それを自らの課題として真正面から力強く受け入れてはどうなのか?! そのエネルギーこそが、自身の「老化」を多少は阻止するであろうし、その課題をクリア出来そうにも私は思うのだが。
(余談だが、明日予定通り女優のオーディションへ行きますよ~~。 何がどうなるやら、海千山千の私としては、とっても楽しみで~~~す。 へっへ。)