(写真は、昨日身内の誕生日祝いの席で注文した「枡酒」形式のシャンパン白。 参考ですが、他の料理に関しては先行してFacebook上に公開しておりますのでよろしればご参照下さい。)
春の新年度初日の昨日、我が家は都内某所の寿司屋にて、高齢者施設に暮らす義母も招いて身内(我が亭主だが)の誕生日祝会を実施した。
娘の誕生日はともかく、我々親どもの誕生祝など滅多にやらない我が家だが、今回は義母の希望によりそれを実行する計画を立てた。
これが大変。
昨日はあいにくの真冬の寒さに加え、雨天か下手をすれば降雪の予報すらあった。
こうなると、認知症状が日毎悪化する義母が騒ぎ出すのは目に見えていたのだが…
案の上、前日義母が施設より何度も我が家へ同じ内容の電話を掛けて寄越す。 「もし、大雪が降ったら私は施設へ帰れなくなる。」「タクシーも捕まらないかもしれない。」
私が応えて、「いえ、東京はそれ程の悪天候にはならないと思いますので予定通り誕生会を実行しましょう!」と何度繰り返しても、義母の不安感が拭えない。
最後の最後に、「何かあったら必ずや私がお義母さんを守りますので、どうか安心して下さい!」と電話口で大声で叫ぶ始末。 まるでドラマのセリフのようだが、この「私が守ります!」がどうやら効いたようだ。 この言葉に心底安心した義母が、誕生会実行を受け入れてくれた。
さて、当日タクシー降り場まで義母を迎えに行くと、義母はちゃんと一人でタクシーに乗って来てくれた。
そして開口一番、私に伝える。 「〇子さん(私のこと)が私を守ってくれるとはっきり言ってくれたのが嬉しくて、今日は安心して来れたわ。」
いやはや、特に高齢者にはきちんと明瞭な言葉で“大袈裟な程に”意思を伝える事こそが有効と再認識させられる。
そうして、都内某所の寿司屋にて我が亭主の誕生会が始まった。
冒頭の写真の通り、まず私と亭主はシャンパン白を注文した。
これが、粋だ。 まるで「枡酒」のごとく、テーブル席にて下に置かれた枡型四角カップの中にまで垂れるがごとくシャンパンを注いでくれる演出があるのだ。 その量たるやグラスほぼ1,5杯分の分量がある。 (参考だが、私はこれをその後3杯お替りした。)
乾杯後、義母が亭主に尋ねる。 「貴方、幾つになったの?」
それに応え、亭主が店内に響き渡る大声で曰く、
65歳だよ!
何もそんなにデカい声で自分の年齢を公表しなくても… と思っても既に後の祭りだ。
狭いとは言えない店内客皆さんの視線が我々のテーブルに集中し突き刺さる。
(参考だが、我が亭主は元々声が通るのに加えて、酒を飲ませるとその声量が10倍に増強することを私は結婚以前より把握していた。)
お互いの加齢と共にそれを嗜める機会が減りつつあったのだが…、
ただまあ、これも我が亭主が元々 “天然質かつ純粋” と、私とは真逆の人物故と許す事にしようと思えた昨日の事件だった。
いえ、決してのろけている訳ではないし、その場合でもない。
亭主が「65歳」になるに当たり、我が家の経済政策を変更せねばならない事情を私は抱えるはめとなる。
幾度も本エッセイ集にて公開しているが、我が家は亭主定年退職後及び私が還暦に達して以降より、お互いの公的年金独立採算性を貫いている。 その「制度」の下に亭主が65歳になるという事は、亭主の公的年金は増額する反面、我が家の生活を支えている亭主の企業年金が減額となる打撃があるのだ。
この事実に関しても我が家では既に話し合いを持ち、一応の経済的合意に持ち込んでいる。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
ただ私が思うに、亭主65歳程の同年代の何処の家庭でも、今後の“年金制度の貧弱さ”を考慮すると先行き不透明感が拭えないのではあるまいか?
せめても、我が亭主には「65歳を過ぎたらその恩恵で半額等のサービスを受けられる商業施設等々があるから、それを有効利用すれば。」なる指南をチマチマとする私だ。
様々な社会システムを鑑みても65歳とは一つの過渡期であり、それを一家で祝うのも悪くはないかもしれないと後で思ったりもする。
春の新年度初日の昨日、我が家は都内某所の寿司屋にて、高齢者施設に暮らす義母も招いて身内(我が亭主だが)の誕生日祝会を実施した。
娘の誕生日はともかく、我々親どもの誕生祝など滅多にやらない我が家だが、今回は義母の希望によりそれを実行する計画を立てた。
これが大変。
昨日はあいにくの真冬の寒さに加え、雨天か下手をすれば降雪の予報すらあった。
こうなると、認知症状が日毎悪化する義母が騒ぎ出すのは目に見えていたのだが…
案の上、前日義母が施設より何度も我が家へ同じ内容の電話を掛けて寄越す。 「もし、大雪が降ったら私は施設へ帰れなくなる。」「タクシーも捕まらないかもしれない。」
私が応えて、「いえ、東京はそれ程の悪天候にはならないと思いますので予定通り誕生会を実行しましょう!」と何度繰り返しても、義母の不安感が拭えない。
最後の最後に、「何かあったら必ずや私がお義母さんを守りますので、どうか安心して下さい!」と電話口で大声で叫ぶ始末。 まるでドラマのセリフのようだが、この「私が守ります!」がどうやら効いたようだ。 この言葉に心底安心した義母が、誕生会実行を受け入れてくれた。
さて、当日タクシー降り場まで義母を迎えに行くと、義母はちゃんと一人でタクシーに乗って来てくれた。
そして開口一番、私に伝える。 「〇子さん(私のこと)が私を守ってくれるとはっきり言ってくれたのが嬉しくて、今日は安心して来れたわ。」
いやはや、特に高齢者にはきちんと明瞭な言葉で“大袈裟な程に”意思を伝える事こそが有効と再認識させられる。
そうして、都内某所の寿司屋にて我が亭主の誕生会が始まった。
冒頭の写真の通り、まず私と亭主はシャンパン白を注文した。
これが、粋だ。 まるで「枡酒」のごとく、テーブル席にて下に置かれた枡型四角カップの中にまで垂れるがごとくシャンパンを注いでくれる演出があるのだ。 その量たるやグラスほぼ1,5杯分の分量がある。 (参考だが、私はこれをその後3杯お替りした。)
乾杯後、義母が亭主に尋ねる。 「貴方、幾つになったの?」
それに応え、亭主が店内に響き渡る大声で曰く、
65歳だよ!
何もそんなにデカい声で自分の年齢を公表しなくても… と思っても既に後の祭りだ。
狭いとは言えない店内客皆さんの視線が我々のテーブルに集中し突き刺さる。
(参考だが、我が亭主は元々声が通るのに加えて、酒を飲ませるとその声量が10倍に増強することを私は結婚以前より把握していた。)
お互いの加齢と共にそれを嗜める機会が減りつつあったのだが…、
ただまあ、これも我が亭主が元々 “天然質かつ純粋” と、私とは真逆の人物故と許す事にしようと思えた昨日の事件だった。
いえ、決してのろけている訳ではないし、その場合でもない。
亭主が「65歳」になるに当たり、我が家の経済政策を変更せねばならない事情を私は抱えるはめとなる。
幾度も本エッセイ集にて公開しているが、我が家は亭主定年退職後及び私が還暦に達して以降より、お互いの公的年金独立採算性を貫いている。 その「制度」の下に亭主が65歳になるという事は、亭主の公的年金は増額する反面、我が家の生活を支えている亭主の企業年金が減額となる打撃があるのだ。
この事実に関しても我が家では既に話し合いを持ち、一応の経済的合意に持ち込んでいる。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
ただ私が思うに、亭主65歳程の同年代の何処の家庭でも、今後の“年金制度の貧弱さ”を考慮すると先行き不透明感が拭えないのではあるまいか?
せめても、我が亭主には「65歳を過ぎたらその恩恵で半額等のサービスを受けられる商業施設等々があるから、それを有効利用すれば。」なる指南をチマチマとする私だ。
様々な社会システムを鑑みても65歳とは一つの過渡期であり、それを一家で祝うのも悪くはないかもしれないと後で思ったりもする。