(写真は、我が家から1分で行ける東京・石神井川沿桜並木にて撮影した満開の桜。 本文とはさほど関係がありません。)
冒頭の桜に関して少し説明しておこう。
我が家は14年程前の冬に上記桜並木近くの集合住宅不動産物件に住居を買替え、この地に引っ越して来た。
その物件販売の一つのセールスポイントが、この「桜並木」だったのだ。
「春になると石神井川沿いの桜が咲き誇りますよ。 それはそれは見事です!」
なるセールスマンの言葉通り、確かに数㎞(?)と続く石神井川沿の桜並木の花々が一斉に開花する光景は、それまでに見た事の無い驚くべき絶景だった。
毎年春が来る都度石神井川の桜の開花を堪能しつつ、早いもので既に14年の年月が流れ…
14年前には未だ小学3年生との小さき子だった我が娘が、この地で毎春桜の開花をめでながら、現在23歳の大人に成長した。
ここのところ当エッセイ集にて我が娘の話題をテーマにする機会が無かったが、お陰様で娘は本年度2年目の社会人として元気に頑張ってくれている。
しばらく娘の話題に触れなかったものの、我が“サリバン業”は多少手抜きしつつも日々欠かす事無く続行していた。
例えば、娘との「帰るCメール」やりとりは日々の日課だ。 娘には毎晩必ずや「帰るメール」をサリバンまで寄越す事を指南し、それに応えてくれる娘だ。 これは私が実母施設入居の際に幾度か郷里まで旅立った時にも強制した。 これぞ、サリバン(と言うよりも母として)娘の本日の“無事”を確認する唯一かつ一番の手段故だ。
日々時間は異なるが、娘から「今、某駅(勤務先最寄り駅)を出ました」(何故か昔からずっと母に対して敬語体でメールを寄越す娘だが)とのCメールが届くと、(よかった。娘は未だ生きている!)と実感する母の私だ。 (これ、大袈裟なようで、妙齢の娘が夜遅く夜道を歩く危険度を思えば、親として当たり前の感覚でしょう?!)
そんな我が娘が社会人2年目初日(去る4月3日)に、サリバンとして懸念するべき「帰るCメール」を寄越した。
参考だが、娘自身の勤務部署及び内部班内人事変動はなかったものの、班のリーダー氏がこの4月から替わったとの情報を娘より得ていた。
娘のCメール情報に寄れば、その新リーダー氏に娘の仕事の瑕疵を責められ、関係者皆で瑕疵の検証作業をしたために帰りが遅くなる、との事だ。
娘からのメール文言を見た当初、(わずか社会人2年目の娘に対して厳しいリーダーだなあ)なるマイナスイメージを抱いた私だ。 ただ、娘のメール内容のみでは状況が分かりにくいため、とにかく娘の帰りを待つこととした。
いつもより2時間程遅く帰宅した娘が、玄関で開口一番“当該瑕疵内容の詳細”を私に告げようとする。
「まあ、部屋に上がりましょうよ」と娘を促し、私がその詳細を更に聞き取ったところ…
私(サリバン)としては、娘の話から班の新リーダー氏の正当な仕事ぶりを感じ取れたのだ。 そして娘に告げた。 「貴方はまだ社会人2年目と未熟者だけど、私が思うにその新リーダー氏は貴方の仕事上の瑕疵を今後の課題として指摘すると同時に、貴女の存在も尊重してくれていると私は感じるよ。 しかも、貴女の仕事に関わっている先輩職員の皆さんが貴女に付き合って2時間も残ってくれるなど、今時考えられない程に良き職場だね。」
このサリバン母の一言に、娘は大いに安堵したようだ。
実際、我が娘は現在の職場人間関係に恵まれている事が一番のラッキーと、サリバン母は昨年よりプラス評価し続けている。
通常、如何なる職場にも “嫌な奴” や “鬱陶しい奴” が必ずや存在するものだ。
私事を述べれば、(元々天邪鬼気質で敵を作り易い原左都子の職場環境周辺は)そんな奴らで溢れていた記憶すらある。
いや、そうじゃないんだよ。 私の場合は、実は自分で積極的に敵を作るべく行動パターンをとっていたのさ。 と、今となっては反省材料だが、我が若かりし現役時代に於いて、自制的感覚に陥る必然性こそ無かった事と自己弁護しておこう。 (要するに、私が一生私らしくあるためには“自制的感覚”など今後共に一切無用という事だ。)
さてさて社会人2年目とは、様々な意味合いで新社会人にとっては最初に経験する過渡期でもあるようだ。
桜が開花する今時のネット上は、そんな“社会人2年目”に直面した未熟な青年達がそれにぶち当たり悩んでいる情報で溢れている。
我が娘よ。
貴方はもしかしたら、“サリバン母” が身内にいてラッキーだったのではなかろうか??
“サリバン母”の立場から発言するのも手前味噌なんだが、娘である貴女と母の私の相性が抜群のような感覚が今尚私側にはあるのだ。
そんな我々や世のせせこましい感情とは関係なく、今年も煌びやかに石神井川の桜並木の花々が開花したね!
日々その桜並木を通って職場へ通勤している貴女の未来も、毎年花咲く桜のごとく貴女なりに輝かしくあろうと、サリバン母は信じこれからも見守り続けるよ。
< お知らせ >
去る4月5日(水)に、「原左都子エッセイ集」宛にメッセージをご送信頂いた Siori さんへ。
私どものエッセイ集宛にメッセージを頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
リアルタイムアクセス解析「TOP100記事」をご覧になってメッセージをお送り下さったとの事、とても嬉しく存じます。
その後、私どもよりご返答をさせて頂くと共にSioriさんのブログを拝見したく、gooを中心にSioriさん情報をあれこれと検索致しましたが、残念ながら未だSioriさんのブログを発見出来ないでおります。
もし差支えございませんでしたら、SioriさんブログのURLを「原左都子エッセイ集」メッセージ欄より今一度お伝え頂けましたなら幸甚です。
お待ち申し上げております。
Sioriさんへの連絡方法に関し手立てが打てず、このような場でご連絡を差し上げた事をお詫び申し上げます。
冒頭の桜に関して少し説明しておこう。
我が家は14年程前の冬に上記桜並木近くの集合住宅不動産物件に住居を買替え、この地に引っ越して来た。
その物件販売の一つのセールスポイントが、この「桜並木」だったのだ。
「春になると石神井川沿いの桜が咲き誇りますよ。 それはそれは見事です!」
なるセールスマンの言葉通り、確かに数㎞(?)と続く石神井川沿の桜並木の花々が一斉に開花する光景は、それまでに見た事の無い驚くべき絶景だった。
毎年春が来る都度石神井川の桜の開花を堪能しつつ、早いもので既に14年の年月が流れ…
14年前には未だ小学3年生との小さき子だった我が娘が、この地で毎春桜の開花をめでながら、現在23歳の大人に成長した。
ここのところ当エッセイ集にて我が娘の話題をテーマにする機会が無かったが、お陰様で娘は本年度2年目の社会人として元気に頑張ってくれている。
しばらく娘の話題に触れなかったものの、我が“サリバン業”は多少手抜きしつつも日々欠かす事無く続行していた。
例えば、娘との「帰るCメール」やりとりは日々の日課だ。 娘には毎晩必ずや「帰るメール」をサリバンまで寄越す事を指南し、それに応えてくれる娘だ。 これは私が実母施設入居の際に幾度か郷里まで旅立った時にも強制した。 これぞ、サリバン(と言うよりも母として)娘の本日の“無事”を確認する唯一かつ一番の手段故だ。
日々時間は異なるが、娘から「今、某駅(勤務先最寄り駅)を出ました」(何故か昔からずっと母に対して敬語体でメールを寄越す娘だが)とのCメールが届くと、(よかった。娘は未だ生きている!)と実感する母の私だ。 (これ、大袈裟なようで、妙齢の娘が夜遅く夜道を歩く危険度を思えば、親として当たり前の感覚でしょう?!)
そんな我が娘が社会人2年目初日(去る4月3日)に、サリバンとして懸念するべき「帰るCメール」を寄越した。
参考だが、娘自身の勤務部署及び内部班内人事変動はなかったものの、班のリーダー氏がこの4月から替わったとの情報を娘より得ていた。
娘のCメール情報に寄れば、その新リーダー氏に娘の仕事の瑕疵を責められ、関係者皆で瑕疵の検証作業をしたために帰りが遅くなる、との事だ。
娘からのメール文言を見た当初、(わずか社会人2年目の娘に対して厳しいリーダーだなあ)なるマイナスイメージを抱いた私だ。 ただ、娘のメール内容のみでは状況が分かりにくいため、とにかく娘の帰りを待つこととした。
いつもより2時間程遅く帰宅した娘が、玄関で開口一番“当該瑕疵内容の詳細”を私に告げようとする。
「まあ、部屋に上がりましょうよ」と娘を促し、私がその詳細を更に聞き取ったところ…
私(サリバン)としては、娘の話から班の新リーダー氏の正当な仕事ぶりを感じ取れたのだ。 そして娘に告げた。 「貴方はまだ社会人2年目と未熟者だけど、私が思うにその新リーダー氏は貴方の仕事上の瑕疵を今後の課題として指摘すると同時に、貴女の存在も尊重してくれていると私は感じるよ。 しかも、貴女の仕事に関わっている先輩職員の皆さんが貴女に付き合って2時間も残ってくれるなど、今時考えられない程に良き職場だね。」
このサリバン母の一言に、娘は大いに安堵したようだ。
実際、我が娘は現在の職場人間関係に恵まれている事が一番のラッキーと、サリバン母は昨年よりプラス評価し続けている。
通常、如何なる職場にも “嫌な奴” や “鬱陶しい奴” が必ずや存在するものだ。
私事を述べれば、(元々天邪鬼気質で敵を作り易い原左都子の職場環境周辺は)そんな奴らで溢れていた記憶すらある。
いや、そうじゃないんだよ。 私の場合は、実は自分で積極的に敵を作るべく行動パターンをとっていたのさ。 と、今となっては反省材料だが、我が若かりし現役時代に於いて、自制的感覚に陥る必然性こそ無かった事と自己弁護しておこう。 (要するに、私が一生私らしくあるためには“自制的感覚”など今後共に一切無用という事だ。)
さてさて社会人2年目とは、様々な意味合いで新社会人にとっては最初に経験する過渡期でもあるようだ。
桜が開花する今時のネット上は、そんな“社会人2年目”に直面した未熟な青年達がそれにぶち当たり悩んでいる情報で溢れている。
我が娘よ。
貴方はもしかしたら、“サリバン母” が身内にいてラッキーだったのではなかろうか??
“サリバン母”の立場から発言するのも手前味噌なんだが、娘である貴女と母の私の相性が抜群のような感覚が今尚私側にはあるのだ。
そんな我々や世のせせこましい感情とは関係なく、今年も煌びやかに石神井川の桜並木の花々が開花したね!
日々その桜並木を通って職場へ通勤している貴女の未来も、毎年花咲く桜のごとく貴女なりに輝かしくあろうと、サリバン母は信じこれからも見守り続けるよ。
< お知らせ >
去る4月5日(水)に、「原左都子エッセイ集」宛にメッセージをご送信頂いた Siori さんへ。
私どものエッセイ集宛にメッセージを頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
リアルタイムアクセス解析「TOP100記事」をご覧になってメッセージをお送り下さったとの事、とても嬉しく存じます。
その後、私どもよりご返答をさせて頂くと共にSioriさんのブログを拝見したく、gooを中心にSioriさん情報をあれこれと検索致しましたが、残念ながら未だSioriさんのブログを発見出来ないでおります。
もし差支えございませんでしたら、SioriさんブログのURLを「原左都子エッセイ集」メッセージ欄より今一度お伝え頂けましたなら幸甚です。
お待ち申し上げております。
Sioriさんへの連絡方法に関し手立てが打てず、このような場でご連絡を差し上げた事をお詫び申し上げます。