原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“ 美しく青きドナウ ”

2019年04月14日 | 旅行・グルメ
 (写真は、旅行雑誌より転載したドナウ川の風景。 手前はヴアッハウ溪谷にそびえ建つアックシュタイン城。)


 本日つい先程まで仕事がお休みの娘と二人で、7月のウィーン個人旅行での行先に関して話し合った。

 是非とも行きたいウィーン現地のオーケストラコンサート鑑賞に関しては、娘の第一希望の「ウィーン楽友協会」は残念ながら我々の旅行中ずっと“休館中”との事で断念。 
 代替案の第二希望「ウィーン国立歌劇場」のチケットは既にゲットした!


 それ以外の訪問先案として。

 “ドナウ川クルーズ”に出かけたいと、私は前々から考えていた。
 その思いを娘に伝えたところ、難なく同意を得られた。

 ネット情報や旅行雑誌等々で、「ドナウ川」に関して調査するに。
 予想通り“ドナウ川クルーズ”プランは幾らでも存在している。 特にヴアッハウ溪谷方面に美しく魅力的な街々が点在している様子だ。
 例えば、ドナウワインの中心地である「クレムス」や、ヴアッハウの真珠と讃えられる美しさの「デュルシュタイン」、ワイナリーで著名な「シュピッツ」、メルク修道院で有名な「メルク」等々…

 「これ、絶対行きたいよね!!」と娘とすっかり意気投合! 
 という事で、旅程の1日は“ドナウ川クルージング”と仮決定した。 (何故“仮”かといえば、まだまだ出発まで3ヶ月足らずの月日がある。 その間に、ここも行きたい、あそこも行きたい場所が幾らでも出現しそうな故だ。)
 何分“旅行は3度楽しむ主義”の私だ。 その一つである “旅行調査・準備期間の楽しみ”を出発直前まで満喫したいものだ。


 我々母娘が何故「ドナウ川」へ行きたいか、のもう一つの理由は。

 言わずと知れた、ヨハン・シュトラウス2世が作曲した「美しく青きドナウ」の影響が大きい故だ。

 我が家に於いては、年始に必ず“ウィーンフィルニューイヤーコンサート”を(ショボくも)NHKテレビにて観賞するとの毎年新春恒例行事があるのだが。
 
 そのコンサートの大トリ「ラデッキー行進曲」の直前に演奏されるアンコール楽曲が、この「美しく青きドナウ」に他ならない。
 (実は私は、この楽曲を20代にエレクトーンにて演奏している。)

 それ以前にも、「ドナウ川のさざなみ」なる楽曲を小学生の頃に歌った思い出がある。
 “夕べとなれば美し ドナウの水の薄明かり …” こんな日本語の歌詞だった記憶もあるなあ。
 そんな「ドナウ川」は私にとっては必見だ!
 (参考情報だが、この「ドナウ川のさざなみ」と題する楽曲は、ルーマニアの作曲家ヨシフ・イヴァノヴィチが1880年に作曲したワルツであり、1889年に開催されたパリ万国博覧会で演奏され、その哀愁を帯びた旋律、オーケストレーションの見事さなどから、東ヨーロッパの作曲家のワルツ作品としては世界的に有名になった、とのウィキペディア情報である。)


 さて、本エッセイの最後に、表題に掲げた「美しく青きドナウ」に関するウィキペディア情報のごく一部を紹介しておこう。

 『美しく青きドナウ』(ドイツ語: An der schönen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。
『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数え られ、その中でも最も人気が高い。 作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。
 邦題[は『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。 ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに]』といった題になる。 原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。
 (以上、ウィキペディア情報より“美しく青きドナウ”のごく一部を引用したもの。)



 最後に、我が勝手な私見に入るが。

 そういえば、オーストリアの言語は基本「ドイツ語」らしい。(それから派生した言語が使用されているようだが。) 
 この私、過去の2度に及ぶ大学生時代に2度も「ドイツ語」を学ぶ機会に恵まれている。
 その経験から言うならば、 「ドイツ語」は「英語」の方言(ドイツの皆様には大変失礼な表現かもしれないが)的存在であると言えるのではなかろうか?  要するに“文法”面で「英語」に準じているように考察する。
 しかも、その発音が日本の「ローマ字」風とも捉えている私だ。

 ここは我が楽観的希望によれば、ウィーンにて現地の人々との会話が叶うかもしれない!なる見果てぬ夢も抱いている。
 オーストリアでは当然「英語」も通じるようだが、下手な発音の英語をしゃべるよりも、「ドイツ語」的発言で現地の人々と接してみたい気もしている。


 「好きにすれば」なる反応が見えるが、「ハイ、そうします」と応えておこう……。