本日つい先程、編集画面「過去のアクセス」コーナーにて、今自分で読み直しても興味深い我がエッセイ集バックナンバーがランクインしているのを発見した。
早速、2013.01.28公開の「人付き合いは自然体が一番!」と題するバックナンバーの一部を要約引用して再掲載しよう。
我がエッセイ集を5年来ご贔屓にして下さっている常連読者のK氏より、某SNSサイト上に上記エッセイに関するコメントを頂戴し、それに対し返答申し上げた私だ。
以下に、その我が返答コメントをそのままコピーして紹介しよう。
Kさん、居酒屋が大好きで夜な夜な同僚との交友を深めていた古き良き時代が飲兵衛の私には確かにありました。 あの頃は酒のマナーどうのこうのと社会から後ろ指を指される事もなく、飲兵衛が大手を振ってのさばれた時代でした。 下戸の方々からすれば昨今を問わずとんでもない話かもしれませんが、酒の勢いでののしりあっても次の日にはまた一緒に杯を交わせる、そんな信頼関係が飲兵衛の間には成り立っていたものです。
話を変えて、人間が懇親に付き合える相手とは一生に渡り数える程の少数であるのが普通と私は心得ています。 某SNSサイト上でも友達の「数」を誇るがごとく数百人いえ、数千人の友達登録をしている方を多く見かけますが、商売人寄せ目的ならばともかく、一般人がそれをして何の得になっているのか私も不思議です。
年老いて死を迎える時に、“あの人と知り合えたことが私の財産だった”と言える人物が少数存在する事こそが幸せと私は信じています。 Kさんが書かれている旧友との付き合いに関してても、私も慎重に対応するべきと考える派です。 時の流れというものは必ずや人の人格を変えるものですが、それを心得ず過去の感覚のまま接してこられる無礼さを私自身よく経験します。
ましてや、ネット上で見知らぬ人物と交流しようとする場合、まずは無礼とならない対応を心得るべきでしょう。 ネット上でも長く付き合いが続く相手というのは信頼関係が成り立っている証拠と捉えています。 長いお付き合いのKさん、今後共よろしくお願い致します。
(以上、某SNSサイトに原左都子が投稿したK氏への返答コメントより引用)
さて、本題に移ろう。
「原左都子エッセイ集」でお馴染みの朝日新聞「悩みのるつぼ」1月26日の相談テーマは、18歳男子学生による 「人と友好関係を維持出来ません」 だった。
男子学生の相談内容を紹介する前に、今回の回答者であられる 歌手・俳優 三輪明宏氏の「人付き合いは『腹六分』でいい」と題する回答内容が、上に引用した原左都子の返答内容とダブる部分があるため、その回答内容から先に以下に一部を要約して紹介しよう。
人間の付き合いというのは「腹六分」がちょうどいい。いつまでも付き合える人は一生に何人も出てこない。 親友なんて一人できればいい方で、助けが必要な時にいつでも助けてあげて、普段は当たり障りのない距離で見守っている人こそが親友でしょう。 何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、そんな便利な人はいるはずがない。 離れていく人はニセ者だから、惜しむ必要はない。 本物は離れない。 仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。 (以上、「悩みのるつぼ」三輪明宏氏の回答より一部を引用)
(当時)そろそろ還暦を迎える年代の原左都子だが、もっと人生の大先輩である三輪明宏氏には失礼を承知の上で、氏と交友関係に関してほぼ同様の思想を抱いていた事に大いに感動の私である。
更に、三輪氏は。
今や人生90年。 成長も進化も遅くなり、30歳でやっと成人式との印象。 40歳、50歳になるとようやく経験を積んで大人になると言うか…。 10代では人間の「新品」だ。 世の中がまだ分かっていない。 微笑がない人に近づく人はいない。 口下手なら、聞き上手になればいい。 いつもゆったり微笑みながら、知識、教養、技術を身に付ける努力をすればいい。 (それらは)誰からも必要とされる。 (以上、三輪明宏氏の回答から再度一部を引用。)
原左都子の私論でまとめよう。
上記の三輪明宏氏のご回答内容に関して言えば、“一部”を除きごもっともである。 (その“一部”に関しては最後に私論を展開させていただこう。)
まさに三輪氏がおっしゃる通り、人生90年時代の現代だ。 それは相談者である18歳男子高校生に限ったことではなく、還暦近い年代の原左都子とて、ほんの少しばかり人生経験を積めてやっとこさ大人になりかけている感覚だ。
ただ、この18歳男子高校生は周囲への気遣いができるハートを生来的に持ち合わせていると、相談内容から私は感じる。 今はそれで十分ではなかろうか。
三輪氏がご指摘されているような笑顔を、何も今現在無理にしつらえて周囲に振りまく必要はないと原左都子は結論付けたい。 むしろ、周囲の生徒とてピリピリせざるを得ない現在の若者群像を考察した場合、そんな作り笑顔などバレバレなのが歴然の過酷な現実世界でもあろう。
今後男子高校生が進学して学業に励み自分の専門を貫く努力を重ねる過程、その後社会に出てもっと幅広く活動する過程が今後の人生に待ち構えている。 それらの階段を一歩ずつ踏み進み、知識、教養、技術を積み重ねる努力を続ける中で、いくらでも同類の人種と知り合え共感できる機会は到来するものだ。
その時点で男子生徒が生来的に持ち合わせている自前のハートが自然体で表出することにより、少数であっても良き友好関係を築けたならば、それで十分な人生ではなかろうか?
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
実は、このエッセイには「別件」が付録で付いている。
これが現在の私にとって今読めばいろんな意味で面白くて、再掲載させて頂く事とした。
それでは、最後にその「別件」を公開させていただこう。
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別件ですが……
本日(2013.1.28)午前9時頃、私どもがネット上に公開しております当「原左都子エッセイ集」メッセージ欄に、「通りすがり」様名にてメッセージをお送り下さった方にこの場でご返答申し上げます。
おそらく今回初めて「原左都子エッセイ集」をご訪問下さったものと承知申し上げます。
この度は、私どもがネット上で公開しております拙いエッセイ集をご訪問頂き、誠にありがとうございました。
「通りすがり」様のご指摘によりますと、我がエッセイ集は誤字脱字が多いとの事です。 その失態を反省し心よりお詫び申し上げますと共に、今後更に校正、監修作業を強化して参りたいと存じております。
もう一点、私どもの記述に「人を見下している表現がある」とのご指摘がございました。 これに関しましても、今後当該ご指摘を肝に銘じそのように読者の皆様がお感じになられる表現に関しましては改善して参りたいと心得ます。
貴重なご意見をありがとうございました。
今後共、「原左都子エッセイ集」は皆様のご訪問をお待ち申し上げております。
(以上、上記エッセイの最後に付け加えた「追記」を再掲載したもの。)
最後に、今現在(2019.04.17)時点の我が見解だが。
この頃(2013年頃)の私は、ブログ上の人付き合いに於いて未だ“低姿勢演技”を貫いていた事を思い起こした。
特に見知らぬ相手(しかも今後関わらなくて済むであろう相手)に対しては、議論をするよりも、軋轢無く事を終焉させればそれでよし! とのポリシーにて物事を処理していた記憶がある。
2011年にコメント欄を閉鎖した後から、そんな私はネット上の人間関係に於いて徐々に“自由観”が増大していったように考察する。
今となっては、まさに自由奔放だ!
もしも現時点で上記メッセージを頂戴したものならば、我が返答内容は大幅に異なるか、あるいは無視を決め込む事だろう。
そもそも現在の我がブログ公開ポリシーは、「嫌われて結構! 嫌なら静かに去ってくれ!」に終結する。(近年のバックナンバーにてこのフレーズを幾度か述べているが。)
今後共そのスタンスを貫く予定でおりますので、それでよろしければ引き続きどうかご贔屓下さいますように。
早速、2013.01.28公開の「人付き合いは自然体が一番!」と題するバックナンバーの一部を要約引用して再掲載しよう。
我がエッセイ集を5年来ご贔屓にして下さっている常連読者のK氏より、某SNSサイト上に上記エッセイに関するコメントを頂戴し、それに対し返答申し上げた私だ。
以下に、その我が返答コメントをそのままコピーして紹介しよう。
Kさん、居酒屋が大好きで夜な夜な同僚との交友を深めていた古き良き時代が飲兵衛の私には確かにありました。 あの頃は酒のマナーどうのこうのと社会から後ろ指を指される事もなく、飲兵衛が大手を振ってのさばれた時代でした。 下戸の方々からすれば昨今を問わずとんでもない話かもしれませんが、酒の勢いでののしりあっても次の日にはまた一緒に杯を交わせる、そんな信頼関係が飲兵衛の間には成り立っていたものです。
話を変えて、人間が懇親に付き合える相手とは一生に渡り数える程の少数であるのが普通と私は心得ています。 某SNSサイト上でも友達の「数」を誇るがごとく数百人いえ、数千人の友達登録をしている方を多く見かけますが、商売人寄せ目的ならばともかく、一般人がそれをして何の得になっているのか私も不思議です。
年老いて死を迎える時に、“あの人と知り合えたことが私の財産だった”と言える人物が少数存在する事こそが幸せと私は信じています。 Kさんが書かれている旧友との付き合いに関してても、私も慎重に対応するべきと考える派です。 時の流れというものは必ずや人の人格を変えるものですが、それを心得ず過去の感覚のまま接してこられる無礼さを私自身よく経験します。
ましてや、ネット上で見知らぬ人物と交流しようとする場合、まずは無礼とならない対応を心得るべきでしょう。 ネット上でも長く付き合いが続く相手というのは信頼関係が成り立っている証拠と捉えています。 長いお付き合いのKさん、今後共よろしくお願い致します。
(以上、某SNSサイトに原左都子が投稿したK氏への返答コメントより引用)
さて、本題に移ろう。
「原左都子エッセイ集」でお馴染みの朝日新聞「悩みのるつぼ」1月26日の相談テーマは、18歳男子学生による 「人と友好関係を維持出来ません」 だった。
男子学生の相談内容を紹介する前に、今回の回答者であられる 歌手・俳優 三輪明宏氏の「人付き合いは『腹六分』でいい」と題する回答内容が、上に引用した原左都子の返答内容とダブる部分があるため、その回答内容から先に以下に一部を要約して紹介しよう。
人間の付き合いというのは「腹六分」がちょうどいい。いつまでも付き合える人は一生に何人も出てこない。 親友なんて一人できればいい方で、助けが必要な時にいつでも助けてあげて、普段は当たり障りのない距離で見守っている人こそが親友でしょう。 何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、そんな便利な人はいるはずがない。 離れていく人はニセ者だから、惜しむ必要はない。 本物は離れない。 仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。 (以上、「悩みのるつぼ」三輪明宏氏の回答より一部を引用)
(当時)そろそろ還暦を迎える年代の原左都子だが、もっと人生の大先輩である三輪明宏氏には失礼を承知の上で、氏と交友関係に関してほぼ同様の思想を抱いていた事に大いに感動の私である。
更に、三輪氏は。
今や人生90年。 成長も進化も遅くなり、30歳でやっと成人式との印象。 40歳、50歳になるとようやく経験を積んで大人になると言うか…。 10代では人間の「新品」だ。 世の中がまだ分かっていない。 微笑がない人に近づく人はいない。 口下手なら、聞き上手になればいい。 いつもゆったり微笑みながら、知識、教養、技術を身に付ける努力をすればいい。 (それらは)誰からも必要とされる。 (以上、三輪明宏氏の回答から再度一部を引用。)
原左都子の私論でまとめよう。
上記の三輪明宏氏のご回答内容に関して言えば、“一部”を除きごもっともである。 (その“一部”に関しては最後に私論を展開させていただこう。)
まさに三輪氏がおっしゃる通り、人生90年時代の現代だ。 それは相談者である18歳男子高校生に限ったことではなく、還暦近い年代の原左都子とて、ほんの少しばかり人生経験を積めてやっとこさ大人になりかけている感覚だ。
ただ、この18歳男子高校生は周囲への気遣いができるハートを生来的に持ち合わせていると、相談内容から私は感じる。 今はそれで十分ではなかろうか。
三輪氏がご指摘されているような笑顔を、何も今現在無理にしつらえて周囲に振りまく必要はないと原左都子は結論付けたい。 むしろ、周囲の生徒とてピリピリせざるを得ない現在の若者群像を考察した場合、そんな作り笑顔などバレバレなのが歴然の過酷な現実世界でもあろう。
今後男子高校生が進学して学業に励み自分の専門を貫く努力を重ねる過程、その後社会に出てもっと幅広く活動する過程が今後の人生に待ち構えている。 それらの階段を一歩ずつ踏み進み、知識、教養、技術を積み重ねる努力を続ける中で、いくらでも同類の人種と知り合え共感できる機会は到来するものだ。
その時点で男子生徒が生来的に持ち合わせている自前のハートが自然体で表出することにより、少数であっても良き友好関係を築けたならば、それで十分な人生ではなかろうか?
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
実は、このエッセイには「別件」が付録で付いている。
これが現在の私にとって今読めばいろんな意味で面白くて、再掲載させて頂く事とした。
それでは、最後にその「別件」を公開させていただこう。
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別件ですが……
本日(2013.1.28)午前9時頃、私どもがネット上に公開しております当「原左都子エッセイ集」メッセージ欄に、「通りすがり」様名にてメッセージをお送り下さった方にこの場でご返答申し上げます。
おそらく今回初めて「原左都子エッセイ集」をご訪問下さったものと承知申し上げます。
この度は、私どもがネット上で公開しております拙いエッセイ集をご訪問頂き、誠にありがとうございました。
「通りすがり」様のご指摘によりますと、我がエッセイ集は誤字脱字が多いとの事です。 その失態を反省し心よりお詫び申し上げますと共に、今後更に校正、監修作業を強化して参りたいと存じております。
もう一点、私どもの記述に「人を見下している表現がある」とのご指摘がございました。 これに関しましても、今後当該ご指摘を肝に銘じそのように読者の皆様がお感じになられる表現に関しましては改善して参りたいと心得ます。
貴重なご意見をありがとうございました。
今後共、「原左都子エッセイ集」は皆様のご訪問をお待ち申し上げております。
(以上、上記エッセイの最後に付け加えた「追記」を再掲載したもの。)
最後に、今現在(2019.04.17)時点の我が見解だが。
この頃(2013年頃)の私は、ブログ上の人付き合いに於いて未だ“低姿勢演技”を貫いていた事を思い起こした。
特に見知らぬ相手(しかも今後関わらなくて済むであろう相手)に対しては、議論をするよりも、軋轢無く事を終焉させればそれでよし! とのポリシーにて物事を処理していた記憶がある。
2011年にコメント欄を閉鎖した後から、そんな私はネット上の人間関係に於いて徐々に“自由観”が増大していったように考察する。
今となっては、まさに自由奔放だ!
もしも現時点で上記メッセージを頂戴したものならば、我が返答内容は大幅に異なるか、あるいは無視を決め込む事だろう。
そもそも現在の我がブログ公開ポリシーは、「嫌われて結構! 嫌なら静かに去ってくれ!」に終結する。(近年のバックナンバーにてこのフレーズを幾度か述べているが。)
今後共そのスタンスを貫く予定でおりますので、それでよろしければ引き続きどうかご贔屓下さいますように。