原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

友達がいないと嘆く60代女性が何とも多い事!

2019年07月01日 | 人間関係
 今から約4年前の2015.06.01、私は本エッセイ集内に「自分自身が寂しい限り友達は出来ない」と題するバックナンバーを公開している。


 早速、一部を要約して再掲載させていただこう。

 こんな“つまらない人”とは、向こうから頭を下げて来られても友達付き合いしたくない、と思えるような人物からの悩みの相談に出くわした。
 早速、60代女性による「友人ができず、寂しい思いです」なる題名の5月30日朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を、以下に要約して紹介しよう。
 60代の主婦だが、若い頃に両親を亡くし兄姉も40代で病死したが、何とか自力で頑張り今は不自由ない暮らしをしている。 ただ一つ、埋まらない寂しさがある。 それは周りに友がいないことだ。 人との出会いを求めて習い事や集まりに参加したが、話せる仲間が出来ない。 愚痴や馬鹿話が出来て思い合う友達がいたら、どんなに人生が潤うことだろう。  
 たまに会う年下の主婦友はいるが、冷静で言葉少なく私が黙れば会話が続かない。 その相手に無理をしている自分が嫌になるが、あちらも迷惑かもしれない。 私の性格は元々消極的だが、PTA役員や姑の介護等も積極的にして自分を変える努力をした。 でも全てがその場限りの間柄で終わる。 
 どうしたら人を寄せ付けられるかの助言をお願いしたい。 ちなみに夫は自由にさせてくれ干渉は一切しない。 贅沢だが、それも空しいものだ。
 (以上、朝日新聞2015.5.30“悩みのるつぼ”相談内容より要約して引用したもの。)
 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、歌手・俳優であられる 三輪明宏氏だ。
 その回答内容たるや、まさに100%(120%かも!) 原左都子の私論と一致するため、冒頭から三輪氏のご回答を要約して紹介しよう。
 あなたが幸せでいる時には遠くから眺めて応援してくれる。 病気の時には看病してくれ、悩み事、金の貸し借りも相談に乗ってくれ、愚痴や泣き言も受け入れてくれて、腹蔵なく欠点をさらけ出しそれを全部受け入れてくれるような、「悩みのゴミ箱」みたいな人はこの世に存在しない。 それを求めるから、皆が迷惑に思い逃げて行く。
 腹心の友とは、人生に一人か二人現れれば幸運な事。 今、高齢化社会で孤独死する人が多い。その理由を友達がいないせいと考える人が多いから悩むのだ。  世の中が「絆」「絆」と言って美談を宣伝したりドラマ化しているが、実際はそれ程甘いものではない。
 趣味や何らかの集いで「心の友」を探そうとしても難しい。 向こうも“人に寄りかかりたい”故だ。 こちらから寄りかかっていくと相手は離れる。 相手にすべてを受け入れてくれる“鉄の扉”を要求しようが、実質両者共に“破れ障子”状態だからだ。
 相手にばかり見返りを求める人には感謝がない。 相談者の場合も、食べるに困らないお金があって大病もせず、優しく見守ってくれる夫もいる。 何も言う事はない。
 友人がいないがために、人の悪口を言ったり愚痴をこぼしたりが出来ないから何だと言うのか。 たとえ友人が出来てそんな事をしたとて、清々するどころか一人になった時に自己嫌悪に陥るだけだ。 今後は、自分の幸せを数えたらどうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答者 三輪明宏氏の回答を要約引用したもの。)
 ここから、原左都子の私事に入るが、それ以前の課題として上記のごとく三輪明宏氏が我が私論をすべて言い当ててくれたお陰で、今更ながら私が付け加えねばならない事象もさほどない。 (途中略)
 私は30代後半期まで独身を貫き男世界で職業人として生き貫いていたが、その30代半ば頃に人生に於ける“腹心の友”と出会った。 その女性は私と同じ「独身の身」どころか、彼女は私以上に“独身に対する強い意思”がある人物だった。 この女性との出会いは、実に我が独身最終時代を豊かにしてくれた。
 結果として、彼女ほど独身にこだわっていなかった私は晩婚に至り子供も設けた。 そんな私を一番に祝福してくれたのも彼女だった。
 ところが人生とは無常だ。 やっと我が子が成人に達しようとしている頃、“腹心の友”は一人暮らしの自宅で“くも膜下出血”にてこの世から忽然と去ってしまったのだ…  彼女にはもっともっと生きていて欲しかったとの無念感が募った。 そうしたならば、娘を自立させた暁に今一度女友達二人の老後を満喫出来たのに… ただ、人生とはそんな風に過ぎ去るものなのであろうことは、“腹心の友”が他界して3年の月日が流れた現在に至った今、納得可能だ。 (途中略)
 とにもかくにも“腹心の友”など、小心者であろうがこの世を図太く生き抜いている者であろうが、そう簡単に突然降って湧くものではあり得ない。
 「孤独死」が辛いと言うが、原左都子など身内や周囲の誰にも迷惑を及ぼさない「孤独死」こそが理想像だ。
 そもそも基本的に主体性に欠けていて、単独意思決定及び行動が苦手と思しき“悩みのるつぼ”相談女性のようだ。 そんな60代の女性が“付け焼刃的”に友を得るより率先してやるべき事とは、一番身近な存在のご亭主と仲良くする事ではなかろうか??
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さて、先週2019.06.29付の朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談も、上記とほぼ同様に60代既婚女性による「友達がいないことが寂しい」と題する相談だった。

 冒頭の相談と重複する部分も多いため内容は割愛し、原左都子の私論に入らせていただこう。

 今回の相談女性は、「自分を変えたいと思ってきたが、この年齢になってしまった。」との記述をしているが。
 私に言わせてもらうに、60代にまでなって何で自分を変えねばならないんだ?? それも、何かの自己実現意欲に基づく大きな夢でも抱いてそれを目指したいと言うなら、素晴らしい!と賞賛申し上げたいものだが。
 たかが“友達ができない事を解決する目的”で、何故自分を変える必要があるのか!?!

 その辺の発想からして、大いなる過ちを犯しているのではあるまいか??

 いやいやこの原左都子とて、(上記記載の)“腹心の友”をクモ膜下出血による突然死にて失って以降は、“友達”がいない部類の人間だろう。
 あれから7年の年月が経過したようだが。 
 << ただ、人生とはそんな風に過ぎ去るものなのであろうことは、“腹心の友”が他界して3年の月日が流れた現在に至った今、納得可能だ。>> 
 これは上記再掲載文章の繰り返しだが、更に年月が過ぎ7年が経過した今やまさに、この思いが強靭になる一方だ。

 自分自身のポリシーに基づき現役時代に一生懸命に生きて来たのならば、60代なる年代とは“自分を変える”なる発想が既に出にくくなる年代ではなかろうか? その勢いがある60代の人物がおられるならば、お目にかかり模範にしたいものだが。

 そうした場合、友がいない穴を如何に埋めるか?
 
 相談女性には参考にならないかもしれないが。
 本エッセイ集にて幾度となく述べてきているが、ネットを利用するとの手段も有効だろう。

 私の場合、当該「原左都子エッセイ集」がその役割を十分に果たしてくれている感覚がある。
 特に開設当初の読者の方々の一部と12年来の“メル友”関係が続いていたりもするのだが、これが現実社会での友達の無さの穴を埋めてくれている感覚があるのだ。

 本日午前中にも某氏宛にメールを発信した。 何を記したかと言えば、ウィーン旅行を間近に控え相当のストレス感がある我が心理を語らせて頂いたのだが。 このように私が今抱えている苦悩を文章にて綴らせて頂けたのみで、ストレス解消効果があるものだ!
 (メールの最後に、私側から「ご多忙は承知ですからご返答は結構です。」と記載させて頂いたのが物語っている通り、必ずやお読み下さっていると信じられる両者の信頼関係が存在するとの事実のみで十分なのだ。)
 友達関係とは、そもそもそれが基本ではなかろうか?!
 (07.03追伸だが、昨日心温まる長文の返信メールを頂戴しました。

 あくまでも、友無き立場の一つの解決策にしか過ぎないのであろう。
 ただ、現実世界で“つまらない付き合い”を無理やり実行するよりも、文字にて一時心が通じ合える関係も粋なものだと私は感じ実行しているのだが。