原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

認知症義母の付添いで病院の待合室で過ごした今年のクリスマス

2019年12月26日 | 人間関係
 昨日朝、スマホの着信音が鳴った。

 それに出た途端、 「あなた、誰??」 😶 
 義母の声だ。 「お義母さんですか、〇子(私のこと)ですけど。」
 義母応えて、「ああ、〇子さんの電話なのね。 あのね、今日どうしても整形外科へ行きたいから連れて行ってもらえるかしら?」
 何でも、朝から我が家の固定電話に電話を何度入れても通じないとの義母の訴えだ。  そんな訳はないのだが…  よほど受診を焦って義母が混乱している状態と見た。
 実は、整形外科受診は本日(26日)の約束だった。 個人病院の方が少しでも空いているため、そちらの病院へ行く予定だった故だ。
 ただ、これほど義母が混乱状態だと致し方ない。 「分かりました。 本日午後一で総合病院の整形外科へ行きましょう。 午後施設へお迎えに行きます。」

 そして訪れた総合病院だが。
 案の定クリスマスなど何の関係もなく、年末時期でゲロ混み状態だ。 しかもいつもの事ながら、高齢患者がほとんどの様子。 
 (ああーー、今年のクリスマスはこの環境下で過ごすのね…… )😷 

 混雑した待合室で座っていると、義母がいつもながらの雑談を始める。 (参考だが、耳の遠い義母とは直に話す方が電話を通すよりもずっとラクではある。)
 テーマはいつも決まっていて、まずは「私は早く死にたいのよ…」 だ。
 この受け答えも手慣れたものだ。 既に義母に教育済みだが、「自殺だけはやめて下さいね。 普通に死ぬよりずっと遺族に多大な迷惑が掛かりますから。」 これを私から刷り込まれている義母が、それを口写しに私に告げる。 「はい、その通りです。」と軽く応える私…。😅 
 次なる課題は、これまた定例の「郷里の実母さんはお元気ですか?」である。 合う都度、これを執拗なまでに私に確認する。 何故ならば、両人の保証人を担当している私に実母の世話で郷里に長い期間行かれてしまう事が、義母にとって一番の打撃である故だ。  それを重々承知している私は、これまた決まり文句で「あの人は大丈夫です。 ぴんぴんしていますから、ご心配なく。」
 そして、さすが不動産賃貸歴が長い義母。 必ずや自己所有物件の現況確認をしてくる。  詳細を話しても既に理解力はないが、ある程度丁寧に現況を話すと納得してくれるのもいつもの事だ。

 そうこうしているうちに、診察前のX線撮影と相成った。
 今回の義母の訴えが頸部の違和感・痛みであったため、その辺の撮影なのだが、上半身全部を脱いで検査服に着替えをするとの担当者の説明だ。
 それが義母単独で出来るかと問われ、「眼鏡はともかく、補聴器もウィッグも着用している故に、それらを全部外すとなると私の補佐が必要」と応え、狭い着替室に2人で入った。
 これが今回一番の難所だったかもしれない。 
 そうでなくとも財布や鞄をはじめ、持ち物をすぐに無くす義母だ。 今回は着替室に私が残ってよいとのことで、難を逃れたのだが…
 検査後の着替えとウィッグ着用、補聴器装備の手伝いが一苦労だったものだ。 

 診察自体は、特段何て事はなかったのだが。 我が事前診断通り、何らの骨の異常も見当たらず、単に老化現象と言うべきか、本人の気にし過ぎで神経的にダメージを食らっていたとの結末だ。

 調剤薬局で処方された塗り薬を受け取り、外へ出たらもう薄暗い。
 タクシーに乗って、義母を施設へ送り届けた後…


 やっと、我がささやかなクリスマスだ!
 帰り道に和食料理店へ出向き、一人酒を楽しむ段となった。

 

 駆けつけ3杯日本酒熱燗を3合お代りし料理を頂き(その間約40分、いつもこのペースです。) 次なる目的地は洋品店。 好みのカーディガンをゲットして。

 我が今年のクリスマスの一日は、過ぎ去って行った。