原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私って、そんなに “ものが言い易い” 人間かなあ…??

2021年03月21日 | 人間関係
 当エッセイは、午前中に公開した「老老介護殺人事件、身につまされるなあ… 」の続編の形となるが。


 あくまでも今回の表題は、義母と実母に限定しての我が思いだが…


 まず、義母の事例から言わせて貰おう。

 義母の介護保証人を亭主と共に義理姉から引き継いだのは、義理姉が膵臓癌で急死した2012.12月の事だった。

 当時義母が私を捕まえて曰く、「やっぱり介護って“女の仕事”だと思うのよ。 息子(我が亭主)には当然保証人を引き継いで貰うが、実際の世話は〇子さん(私のこと)に全面的にお任せしたく考えているので、よろしくお願いします。」

 私としては大いに異議があったし、義母も随分と男尊女卑思想の下に年老いたものだ、と正直感じた。
 ただ、実際義母は年老いている。 その年寄り相手にその場で議論を持ち出すほどの非常識者でも無い私としては、それに反論するでもなく快諾した。
 と言うのも、義母の施設は「介護環境」が充実している。 現場のスタッフのみですべての介護を全う可能なシステムとなっていて、保証人の役割とは重要案件に同意の書面を提出するのみと言って過言で無い。

 それにしても義母が身勝手だと感じたのは、亡くなった長女(大学卒業までずっと名門私立のお世話になった女性だが)に関してはそもそも“お嬢さん扱い”で、何らの我が儘も言わなかったことだ。 
 どうやら内面に、私との階級差が存在するとの感覚を抱いている事実を見合い結婚直後から嗅ぎ取っていた。
 要するに、(あの娘は“お嬢さん育ち”だから、私の介護などさせられないのよ。)とのごとくの雰囲気が常に存在した。 
 ただ一方で私を邪険にする人でもなく、大学院を修了している私に、「うちの〇〇(義理姉のこと)は大学院へ行ってくれなくてね…、それだけが心残りだったのよ。」と何度か告げたことがある。
 私と亭主との見合い結婚を義母が一番に喜んでくれたものだが、それを嫁となる私が達成していた故である一面も大きいのであろう。

 そんなこんなで、義理姉が急死して後既に9年の年月が流れている。
 義母が年老いたのは確かだが、我が介護業務もまあ何とかなるとの範疇であり、実際それで済んでいる。

 
 実母に話題を移すと。

 こっちは、かなり“たちが悪い”。

 表題に掲げた通り、この実母に関してはまさに次女である私に対しては幼少の頃より“言いたい放題・使いたい放題”だ。
 まさに、実母にとって一番“ものが言い易い”のは次女のこの私なのだろう。
 父親も“難しい気質”の人間だった。 姉も母自身が“人格的欠落がある”と少し認めている通りの人間だ。
 そうなると、実母にとって“言いたい放題・使いたい放題”可能なのはこの次女の私のみとなるのは必然だ。

 実際、我が幼少の頃より次女の私はよく実母に“こき使われ”た。
 例えば実母には編み物の趣味があったのだが、毛糸の玉を巻き取る際には必ず次女の私を呼んで、「これ手伝って!」だった。 扱いにくい長女である姉は決して呼ばない。
 それを見かねた祖母が機会ある毎に、「〇子(私のこと)ばかりを利用するな。」と実母を叱咤してくれたものだ。
 にもかかわらず、実母は高齢域に達しても次女の私には言いたい放題状態が続いてしまっている…。



 最後に、結論になりそうも無い結論に入ろう。

 私自身は我が義母・実母以外の人間関係に於いては、何処のどなたからも “ものが言い易い”、“使い易い”人間として扱われた事は皆無だ。
 
 むしろ、一見“気難しそうに見える”私に対面する人物によっては、真逆の印象を与えたことであろうとも想像する。

 だとすると、やはり親族とは独特の存在であるとの印象を抱かされる。

 特に母(実母・義母両者を指すが)との存在とは、時代が流れようととにかく最後に頼るのは親族の「女」であるのか?との結論に至りそうにも思う。

 いえ、私自身は決して最愛の娘に死を看取って欲しいとの感覚はさらさら無い!

 などと言いつつも、結局その結末にならざるを得ないのかとも想像出来てしてしまうのが悲しい……


老老介護殺人事件、身につまされるなあ…

2021年03月21日 | 時事論評
 今朝つい先程ネット上で見た事件を、以下に引用しよう。

 
 姉とみられる女性を殺害した疑いで、82歳の女が逮捕された。
 〇〇容疑者(82)は20日午前、東京・北区のマンションで、姉とみられる△△さん(84)の口や鼻をティッシュでふさぎ、殺害した疑いが持たれている。
 警視庁の調べに対し、「2年前から寝たきりで、介護に疲れてしまった」と容疑を認めているという。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 この原左都子も、現在義母・実母の面倒をみている。
 この状況は既に義母9年、実母(両者共々介護施設入居後)4年になる。

 ただし私の場合は、(  )記載の通り両人共に介護施設に入居してくれている故に、日々面倒をみている訳では無い。
 しかも両人共に、比較的元気でもある。

 それでも電話等の手段で、日々“理不尽”な物言いや“無理難題” はたまた“我が儘”を突きつけられる機会が多発している今、かなりのストレスを食らっている。
 正直言って、早めに“あの世”へ行ってくれないものか…、 と本気で考えることが多くなった…

 
 上記事件の場合、まさに「老老介護」だ。

 おそらく貧困か何かの理由で、82歳との高齢の妹が84歳の自宅で“寝たきり姉”の介護をするしか方策がとれずに暮してきたのであろう。

 私見だが、公的施設に相談する等の方策がとれなかったものか?
 私は基本的に、親族とは言えども“兄弟”の面倒を兄弟同士でみる義務は無いと捉えている。


 それ故に、米国の実姉ともこちらから“縁を切っている”。
 この事態に対して、実母が今尚しつこく「米国の姉の面倒(相談相手の意味だが)を母である自分亡き後は妹である貴方がみてやって欲しい。」と再三再四私に訴えてくる。
 これに対し私は、「兄弟姉妹間でその義務は一切無い! そもそも姉が渡米して何年経っているか分かっているか? 既に30数年だよ。 姉側とて20年以上前に私側から縁を切られた後、あちらからも音信不通状態だ。 何故今になって母の貴方が死んだとて、その縁をぶりかえさねばならないのか!?? しかも姉は私よりもずっと裕福だ。 自助努力で自分が好きな米国で生き抜き、かの地で骨を埋めれば済む話だ!!」

 それに対して実母が言うには、「あの子は、(人格的欠落があり)何処で生きても人間関係が築けない子だ。 どうしても妹の貴方と仲良くしたいと本人も切に言っている。少しは耳を傾けてやってくれないものか?」

 それに対し私は毅然と、「過去にあの姉に妹の私が“言われ無き”虐待を受け続けたことを、母の貴方は妹の私が我慢強いのを良きこととして、それを見て見ぬふりをし通したではないか! 何度嘆願されても、私側は米国の姉と金輪際付き合う意思は無い!」

 この会話を繰り返している我が実母と私の関係だ…



 冒頭の事件に話題を戻そう。

 寝たきりの84歳姉の面倒を自宅にて看続けたという82歳の妹が、不憫でならない…

 どうか事件の背景を勘案して、妹氏の罪の処置を軽減して欲しい。