当エッセイは、午前中に公開した「老老介護殺人事件、身につまされるなあ… 」の続編の形となるが。
あくまでも今回の表題は、義母と実母に限定しての我が思いだが…
まず、義母の事例から言わせて貰おう。
義母の介護保証人を亭主と共に義理姉から引き継いだのは、義理姉が膵臓癌で急死した2012.12月の事だった。
当時義母が私を捕まえて曰く、「やっぱり介護って“女の仕事”だと思うのよ。 息子(我が亭主)には当然保証人を引き継いで貰うが、実際の世話は〇子さん(私のこと)に全面的にお任せしたく考えているので、よろしくお願いします。」
私としては大いに異議があったし、義母も随分と男尊女卑思想の下に年老いたものだ、と正直感じた。
ただ、実際義母は年老いている。 その年寄り相手にその場で議論を持ち出すほどの非常識者でも無い私としては、それに反論するでもなく快諾した。
と言うのも、義母の施設は「介護環境」が充実している。 現場のスタッフのみですべての介護を全う可能なシステムとなっていて、保証人の役割とは重要案件に同意の書面を提出するのみと言って過言で無い。
それにしても義母が身勝手だと感じたのは、亡くなった長女(大学卒業までずっと名門私立のお世話になった女性だが)に関してはそもそも“お嬢さん扱い”で、何らの我が儘も言わなかったことだ。
どうやら内面に、私との階級差が存在するとの感覚を抱いている事実を見合い結婚直後から嗅ぎ取っていた。
要するに、(あの娘は“お嬢さん育ち”だから、私の介護などさせられないのよ。)とのごとくの雰囲気が常に存在した。
ただ一方で私を邪険にする人でもなく、大学院を修了している私に、「うちの〇〇(義理姉のこと)は大学院へ行ってくれなくてね…、それだけが心残りだったのよ。」と何度か告げたことがある。
私と亭主との見合い結婚を義母が一番に喜んでくれたものだが、それを嫁となる私が達成していた故である一面も大きいのであろう。
そんなこんなで、義理姉が急死して後既に9年の年月が流れている。
義母が年老いたのは確かだが、我が介護業務もまあ何とかなるとの範疇であり、実際それで済んでいる。
実母に話題を移すと。
こっちは、かなり“たちが悪い”。
表題に掲げた通り、この実母に関してはまさに次女である私に対しては幼少の頃より“言いたい放題・使いたい放題”だ。
まさに、実母にとって一番“ものが言い易い”のは次女のこの私なのだろう。
父親も“難しい気質”の人間だった。 姉も母自身が“人格的欠落がある”と少し認めている通りの人間だ。
そうなると、実母にとって“言いたい放題・使いたい放題”可能なのはこの次女の私のみとなるのは必然だ。
実際、我が幼少の頃より次女の私はよく実母に“こき使われ”た。
例えば実母には編み物の趣味があったのだが、毛糸の玉を巻き取る際には必ず次女の私を呼んで、「これ手伝って!」だった。 扱いにくい長女である姉は決して呼ばない。
それを見かねた祖母が機会ある毎に、「〇子(私のこと)ばかりを利用するな。」と実母を叱咤してくれたものだ。
にもかかわらず、実母は高齢域に達しても次女の私には言いたい放題状態が続いてしまっている…。
最後に、結論になりそうも無い結論に入ろう。
私自身は我が義母・実母以外の人間関係に於いては、何処のどなたからも “ものが言い易い”、“使い易い”人間として扱われた事は皆無だ。
むしろ、一見“気難しそうに見える”私に対面する人物によっては、真逆の印象を与えたことであろうとも想像する。
だとすると、やはり親族とは独特の存在であるとの印象を抱かされる。
特に母(実母・義母両者を指すが)との存在とは、時代が流れようととにかく最後に頼るのは親族の「女」であるのか?との結論に至りそうにも思う。
いえ、私自身は決して最愛の娘に死を看取って欲しいとの感覚はさらさら無い!
などと言いつつも、結局その結末にならざるを得ないのかとも想像出来てしてしまうのが悲しい……