原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

3月の雨で思い起こした我が29歳通勤時代の “黒歴史光景”…

2021年03月02日 | 自己実現
 (冒頭写真は、我が29歳時に撮影したもの。) 


 本日は、朝からずっと雨模様だ。


 朝方少し太陽光線がさした時間もあったが。
 それも束の間、その後は“春の嵐”の様相になり今現在も風雨が強まったままだ。

 室内に広げた洗濯物を、乾いた順に畳みつつ。

 我が脳裏には、私の人生の“大転換期”だったと表現出来る1984年の3月、29歳時の光景が浮かぶ。

 結婚など一番後回しにして、2度目の学問成就を目指し受験した大学にその年に合格した。
 医学専門職員として多忙な日々を送りつつ、職場には完全極秘で受験勉強に励み勝ち取った合格だった。

 4月に2度目の大学入学の段取りだが、是非共6月のボーナスを受取ってから退社をしようと企てた。(と言うのも、私が勤めていた医学関連企業は職員に年間9ヶ月のボーナスを出せるほどに活況だった。) 
 今後貧乏学生になる身にしてあれを是非共受取って後に退職しようと志し、未だ勤務先には退社を申し出ていなかった。 4,5月は残っている有給休暇をフルに利用しつつ会社勤務と大学生活を両立させた。

 そんな多忙な身にして、3月は心身不調が続く日々だった。
 さらに私に追い打ちをかけるがごとく、1984年3月の東京は来る日も来る日も“雨”だった。

 当時は新宿本社勤務だったが、新宿行の山手線はいつもゲロ混みだ。 体調不良の私にそのゲロ混み通勤が追い打ちをかける…

 当時の新宿駅構内など歩く隙間も無い程に大混雑状態だが、ある時、階段を上ろうとして靴を踏まれ脱げてしまった。 それを拾いたいのだが、誰しも通勤を急ぎ苛ついている。 どうしてもその靴を拾わねば私は歩けやしない。 誰も助けてくれないのは当たり前だが、靴を拾おうとしている私が邪魔と言わんばかりに蹴られそうになる…  
 何とか靴を拾って履き直し外に出ると、容赦なく降る(まるで本日のごとくの)大雨が疲れた私をいたぶってくれる…

 1984年の3月は、晴れた日が1日足りとて無かったと記憶しているが。

 西新宿超高層ビルの一つが我が勤務先だったのだが。
 道路も通勤者で混雑している。 この中を日々雨の中傘をさしてビル風に耐えつつ職場へ急いだ記憶がある。

 超高層ビルへ辿り着いても、エレベーターがこれまた大混雑だ。
 順番待ちをしてやっと乗ると、これまた大混雑…
 私の場合、遅刻をしたことはなかったのだが。
 昼食をとった後に20何階かの我が職場に戻る際、転勤後間もない頃に午後1時に間に合わなかったことがあった。 その際上司にこっ酷く叱咤されたのは辛かった…  (そんなことを露知らずの失態なのだからそんなに責めないでよ!)と思ったら、やっと上司から超高層ビルの午後1時前はエレベーターが大混雑する、との指導があった。)

 いやはや、超高層ビル勤務の弱点を思い知ったものだ。
 そうだとして、我が社の場合オフィス内での食事を禁止されていたため、自ずと昼休みにはエレベーターに乗らざるを得なかった。


 その後、6月の退社までは職場勤務と大学通学との掛け持ちで多忙な日々だった。 (とは言えども、私の場合有給休暇を大量に残していたため、5月の連休以降はそれを有効活用して、無事大学に通えた記憶がある。)



 などと語りつつ…

 我が29歳当時の写真を、最後に披露させていただこう。

         


         


         

 いずれも、29歳時に新宿・渋谷近辺にて。


 十分に(特に夜の)余暇を(写真撮影が上手い当時の彼氏と共に)エンジョイしておりましたので、ご心配なきように。