原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

身体2カ所(左鎖骨・右手首)同時骨折してから8年…

2021年03月20日 | 医学・医療・介護
 (写真は、当時の私の右腕。 右手橈骨手首に近い箇所骨折、全治1か月の診断が下りギブス固定している。 左鎖骨骨折の方は全治2か月診断で鎖骨保護コルセット装着状態。)


 当該身体2カ所同時骨折後一週間目の状況を、2014.04公開「ミイラになった気分のワタシ…」に綴り公開しているため、以下に振り返ってみよう。

 4月12日に自宅バルコニーにて転び負傷後、ちょうど1週間が経過した。
 未だにバルコニーに出る事に関して恐怖心があるのだが、そうも言っておられず、洗濯回数を減らしつつ恐る恐るベランダで洗濯物を干す日々だ。
 私が一番嫌いな料理こそ、整形外科受診の帰り道に出来合いの食材を買ってきたり(両腕負傷のため持てる重量に限界があり小量しか買い求められないが)、娘に作ってもらったりして手抜きをしている。
 その他の家事に関しては今まで通り私が担当するしか手立てが打てず、ギブスにコルセットの“ミイラスタイル”で、日々ゆっくりながらもルーチンワークをこなしている。
 もちろん、ドクターストップはかかっている。
 何のためのギブス及びコルセット装備なのか。 それは全治までの期間、骨を固定して完治するまで安静に過ごすための医療措置である。 にもかかわらず、ギブスの手やコルセットを背負った上半身を日々動かし続けたのでは回復が遅れるし、下手をすると歪んで骨がくっついたり突出してしまう危険性もあるとの事だ。
 ただ私の外科主治医先生がキャパシティある方で救われる思いだ。
 杓子定規に「絶対安静!」と言い放ったまま“後は我関せず”ではなく、家庭内協力体制の程を確認して下さるのだ。 「コルセットやギブスを取り換えてくれる人はいるか?」「家事を手伝う事に積極的な家庭か否か?」等々… 
 これらの質問に対し、冗談半分で「役に立たない家族ばかりです」とマイナーな回答を返したところ、医師先生曰く「犬でも飼っているのですか?」…   応えて私曰く「一応、主人と娘がおりますが…」  ここで診察室内にいた看護師氏も含め皆が大爆笑である。 
 しかも私からの「パソコンを打ってもいいですか?」との質問に対し、「何かを発信されているのですか?」と問うて下さる医師先生である。  「はい。プロではないのですが真剣に文章を発信し続けています。」 との私の返答に対し、「文字数は多いですか。早打ちですか。」と確認して下さる事も忘れない。 「その通りです!」との我が回答に対し、「少し文字数を控えめにして、ゆっくりと打って下さい」とのアドバイスである。
 次に受診した際には、必ずや「パソコン発信はどうしていますか?」と尋ねて下さる。 例えば、「はい。昨日は我が読者の方々から多くのお見舞いメッセージを頂きました。」と応えると、「それは良かったですね。」と返して下さる先生である。
 などと外科医先生との診察室内でのやり取りを記述している間に、全治2か月の身にして字数が過ぎたようだ。 
 来週早々にはまた外科医を受診し、レントゲン撮影により“回復具合”を確認する段取りとなっている。 「ミイラ」の身にして、少しでも前進出来ているとよいのだが… 

 (以上、2014.04バックナンバーを再掲載したもの。)




 以下は、2021.03.20現在の記述だが。

 実はその後1週間で、我が判断で整形外科受診を取りやめた。
 何故ならば、自己診断で回復の兆しが見えたからだ。
 良き主治医ではあるものの、受診すると必ずや何枚もの「X線撮影」があるのが気になっていた。 このまま週2ペースで2ヶ月間もそれを続行する弊害こそを恐れた。 
 加えて「リハビリ」が始まったのだが…
 これも “気休めにすぎない”と自己判断した。 要するに“信じる者は救われる”の世界観だ。
 しかも、このリハビリ室が高齢者ばかりなのだ。 皆さん、お暇に任せてお隣の高齢者と「私は何処が悪いのよ」「私は何処を痛めている」等々… 互いに“病気自慢”をしつつ気持ち良さそうにそれに身体を委ねているのだが…。 未だ若くして現役世代の私がこんな集団にかかわっている訳にはいかない。
 
 その後は日々自己診断の下に、幹部をかばいつつ日常生活を送る日々だった。
 4月下旬にランニング大会出場エントリーをしていたのだが。
 これに“出よう!”との思いが一瞬過ぎった。 鎖骨保護のコルセットはしたままで、右手のギブスは外しての出場を目指したものの…
 骨折後ランニング練習をずっと自粛していたことと、やはり両手が未だ振れない事実を受け入れ、出場は断念した…

 全治2ヶ月の鎖骨の方は、コルセットのお陰で比較的安静が保たれたが。
 右手首骨折にはその後もずっと難儀させられた。 とにかく日常生活に於いて右手を使わないと何事も成せない。
 骨折直後の頃は娘の援助も多少あったが、当時大学生だった娘に依存し続ける訳にはいかない。 亭主に関しては我が骨折の心配はしてくれるものの、元々役に立たないキャラだ…😖 

 と言うわけで上記医師先生のお言葉、「コルセットやギブスを取り換えてくれる人はいるか?」「家事を手伝う事に積極的な家庭か否か?」に関しては。
 早期にそれを諦め、すべてを自分で成す訓練に励んだ。 
 やってみれば出来るもので、冒頭写真のギブスも我が左手のみでこなせたし、コルセットは元々背負えばよいため簡単だった。
 食事の準備はギブス無しで実施する日々だった。 掃除も洗濯もいつも通りきちんとこなした。 一番辛かったのは“布団干し”かな? これが一番ハードだったが、週1くらいは痛みに耐えつつ家族皆の布団を干した。


 それにしても、私の場合今から8年前という比較的若い時期に2カ所同時骨折を経験したことが今に至って教訓となっている。
 この厳しかった骨折経験後は、現在の私に「怪我をするべきでない!」との訓示を確かに与えてくれた。
 その後駅の階段昇降をする際には、必ずや手すりにつかまる習慣が身についたし。 お洒落にこだわる私だが、靴のヒールを低めに移行した。

 幸い、その後大きな怪我をしていない。