昨日の我が家の一番の関心ごとは、さて、娘は衆院選の投票へ行くか? だった。
朝から亭主が、「 〇〇(娘の名前)を投票所へ連れて行くの?」と問うので。
私が応えて、「27歳にもなっている娘を連れて行くわけもないよ。 そもそも投票は義務ではなく国民の権利だよ。(と私は解釈しているが。) 本人の自由にすればいい、と私は考えるよ。」
そうこうして、一番に投票に出掛けたのは亭主だった。
よほど贔屓の候補者や党があるのかは私の知ったことではないが、とにかく無事に投票を終えて帰宅した。
二番手は、この私だ。
投票所は自宅からすぐ近くの娘が卒業した公立小学校なのだが、元々観察力の鋭い私は、有権者たちの諸行動を伺いながら投票所へ向かう。
ある人たちは投票所近くの掲示板で、今一度候補者の確認作業をしている様子だ。
子連れの投票者も多い。 私も昔はそうしたものだ。 娘幼少の頃より、よく投票所へ同行させたものだ。
道中に思い出したことがある。 (あっ!鉛筆忘れた! 前回のコロナ禍中での都知事選時には、鉛筆を持参するようにとの指示があった。 忘れた場合、どうなるのだろう??)
この心配は何ら必要無く鉛筆は会場に沢山用意してあったのだが、今度はその消毒の程が気になる。 ただ、そんな質問をする有権者もいないだろうし…)
あっけなく投票を終えた後は、近くのコンビニにて買い物をして帰宅した。
さて、昨日2021.10.31付朝日新聞・社説は「衆院選 悩むあなた 気負わず出かけよう」だった。
以下に、一部を要約して紹介しよう。
帯に短し,たすきに長し。 いいこと言ってるみたいだけど、さて信用していいのか。1票投じたところで世の名が変わるわけじゃない。 選ぶという作業は、思いのほか難しい。
「なんとなく投票するのは無責任」「よくわかっていない自分が参加するのはよくない」などの考えもあるが。
「どこかに『正解』があると思ってしまっているようだ」と某教授は言う。
この社会には山のように課題がある。 日々の生活を切り盛りしながら、そのすべてを十分に理解した上で「正しく」投票することなど、そもそもできるわけがない。
唯一の解決策などないし、完全に考えが一致する候補者や政党が存在するはずもない。 それでも、皆が不完全な1票を投じ合うことで、この社会は成り立っている。
選挙は民主主義に息を吹き込むお祭りとみることもできる。
投票所には、いろんな人がやって来る。
「心がまっすぐに決まって揺るぎない人、一応は決めてきたが人に誘われたら崩れそうであやしげな人、夫婦連れでよく相談して来たなと思える人、意見は違うけれど友達同士の仲の良さは別だ、と言いたげな感じの人、忙しい中をちょっと投票に来て大急ぎに帰る人、帰りには買い物をする気の人、…」
そう語るのは、投票所で立会人を務めて人々を観察した経験のある、作家の幸田文氏だ。
1950年代後半のことらしい。
時が移っても各投票所でこんな光景がみられるだろう。
気負うことなく、出掛ければいい。
(以上、朝日新聞昨日の「社説」より要約引用したもの。)
原左都子は本日、この朝日新聞「社説」を読んだのだが。
稀に見る、素晴らしすぎる朝日新聞の「社説」だ!!!
国民に対する選挙行動に関してこのような指導教育を施せたならば、今後ずっと投票率が上昇するのではないかと思える。
実際、選挙投票など何も難しいことではない。
上記社説に書かれている、「皆が不完全な1票を投じ合うことで社会は成り立っている」、との記載通りであろう。
今後は、他に楽しいことが沢山ある若者達も選挙は面倒くさいだけ、とは思わずに。
不完全な1票を投じようではありませんか!!
さて、我が娘だが。
昨日、選挙に行きましたよ、行きました!
やはり、選挙に行ってくるとその後の結果が気になる様子で。
昨夜の衆院選開票速報に、見入っていました!