(冒頭写真は、朝日新聞2021.11.13 付「サザエさんをさがして」記事の写真を転載したもの。)
表題に関してだが。
原左都子の場合、それは一切あり得ないなあ。
何故ならば現在絶縁中の米国暮らしの実姉が、高2の頃より「ミスコン荒らし」常習犯だった故だ。😵
高校時代は姉も過疎地の地元にいたため、出場するのはどうしてもその過疎地で開催される小規模ミスコン大会に限定されていた。
例えば、全国各地で開催されているミスコンと同類の、「ミス菊まつり」 ナンタラカンタラの大会が県内で開催されるのに自ら応募して、出場していたようだ。 (参考だが、あの手の大会とは元々地元有力者の娘がミスに選出されると相場が決まっていたようだが。 それでも姉を含めてそれに出場したい女子は大勢いたものだ。)
当時中高生だった私も母に連れられて、それを見物に行ったものだが。
何と申しますか、美しいの言葉には程遠い女子たちが舞台に次々登場しては、司会者の質問に応えていた風景を子供心に記憶している。
私と母の隣に座っていたおばさんが、「こんなの見てないで、お嬢ちゃん(私のこと)もせっかくここまで来たなら舞台に出たらいいのに」と声をかけてくれたものだ。
そんな姉が、初めてミスのタイトルをゲットしたのは、やはり過疎地にて開催された「ミスインターナショナル県代表選考大会」だった。
こちらは、既に世界で名が売れているミスコンのため、県内の大会場にて観客を満杯にして実施された。 予選を通過していた姉を含む10名程が舞台に立ったが、そもそも代表は県内の有力者の娘と既に決定しているとの噂もあった。
にもかかわらず、その年に限って選抜方式を「会場投票」としたため、どういう訳か姉が県代表に選抜されてしまったのだ。
これぞ、姉のその後一生に渡る“歪み切った勘違い人生”のスタートだった。😱
姉に言わせると、東京で開催された全国大会の準備や本番が実に大変だったようだが。
とにかくこれにより“歪んだ自信”を得てしまった姉は、その後の人生に於いて、まさに歪み切った人生を歩むはめとなった。
米国に渡った後も、何を成すにも(例えば求職などに於いても)「ミスインターナショナル県代表」をトップに位置付ける姉の人生のようだ。
高齢域に至っている現在に及んで尚、それをやっているらしき姉が哀れですらあるが。 20数年前に絶縁している私としては姉が異国で何をやらかそうが、既に知ったことではない。
ここで、冒頭写真の朝日新聞「さざえさんを探して」の記事本文の一部を、以下に要約引用しよう。
ミスコン逆風の中で異彩を放つのが「国民的美魔女コンテスト」だ。 「35歳以上」の応募条件に2千数百人が殺到した。 その後も毎年千人以上が応募し、既婚、独身、シングルマザー、癌サバイバーなど顔ぶれも多彩だ。
この現象に対し、歴史科学者の女性は、「40,50代で外見を維持するにはアスリート並みの努力が必要。 批判や中傷を覚悟して名乗りを上げる女性に潔さを感じる。」
(以上、朝日新聞記事「サザエさんを探して」より一部を引用したもの。)
ここで、原左都子の写真を披露するのも厭味ったらしいかもしれないが。



「原左都子エッセイ集」ファンの皆様は、既に見慣れていらっしゃることでしょう。
十分に高齢域に達した今、このような写真(原左都子60代前後期の写真の一部を編集画面内で見つけたままに)公開しましたが。
自らが立ち上げて既に十数年の年月が経過した時事論評中心辛口エッセイ集内に公開させていただけ、ファンの皆様がご覧下さるだけでも。
私は、十分に幸せであり。
そのようなコンテストに出場する必要性が一切無い事実こそに、満足の人生です。