原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者の認知症と難聴を天秤にかけりゃ…

2021年11月05日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、義母がどうしても装着不能なオーダーメイドの耳栓。)
 

 (表題の続きだが)、「難聴」よりもやはり「認知症」こそ致命的かといつも思い知らされる…

 というのも、我が母方の祖父も難聴だった。
 ただ認知症状が皆無だった故に、90代前半期まで生きた祖父だったが補聴器に依存しつつも特段周囲に迷惑をかけることなく長寿を全うしている。


 昨日、私は表題の両症状を併せ持つ、義母の耳鼻科受診に付き添った。

 義母にとっては、この日こそが一番の楽しみの様子だ。
 それもそのはず、義母が現在一番信頼し依存してくれている嫁の私が、半日ずっと同行し付き添いをする故だ。
 実際おんぶにだっこの半日なのだが、いつも私が施設に到着するなり義母は満面の笑みで玄関で出迎えてくれる。
 
 付き添いの私側とすれば、緊張の連続である。 
 歩行は叶っているが足元がおぼつかない義母は、日頃よく転んで怪我をしている。 特に骨折をされると2か月は通院を余儀なくされるため、それを阻止するために私も安全確認に必死だ。

 表題の通り障害者レベルの難聴を抱えていて、補聴器をつけてもほぼ聞き取れていないと考えてよいほどに会話も困難だ。
 にもかかわらず元々話好きな義母にとっては、私に会う時とはまたと無い“おしゃべりタイム”であり、いろいろと嬉しそうに話し始める。
 タクシーの中で、その義母の話に相槌を打ちつつ相手をしながら耳鼻科へ向かうこととなる。(参考だが、施設から耳鼻科まで徒歩5分程度なのだが、その歩行が既に叶わない義母のためのタクシー手配等の余分な仕事も発生する。)


 さて、義母の昨日の耳鼻科受診の主たる目的は、冒頭写真の義母特注の耳栓装着練習にあった。
 2年程前から、義母を担当して下さっている補聴器先生(義母がそう呼んでいる)は、若きイケメン青年なのだが、実に的確に義母の指導をされる人材である。
 その方を捕まえて、いつも開口一番義母が言い始めるのは。
 「先生が付け方を教えて下さらないから、私はいつまでたってもこの耳栓が付けられないのよ!!」 との、喧嘩口調だ。

 義母の認知症状はもちろん承知、かつ既にこの義母の発言に慣れておられる補聴器先生であり、いつもその義母の発言に適切に対応して下さるのだが。
 そうだとして、その義母の反抗発言の下に補聴器指導を施すのが容易でないことは私も十分に理解可能だ。
 (いやいや教員経験のある私としても、こんな難義な生徒はいなかったなあ)、などと補聴器先生をいつも気の毒に思いつつも、一応義母の指導は補聴器先生にお任せしている。)

 にもかかわらず、義母の反発がとどめを知らない。
 「先生が教えて下さらないから、私はいつまでたってもその耳栓が付けられない!」
 それに応えて補聴器先生は、「高齢者の皆さんはご自身で主体的に練習されています。 原さんも、施設へお帰りになってから自身で練習されてはどういですか?」
 ここで私が間を入れて、「義母は認知症状があるために、おそらく施設へ戻った段階で本日の先生のご指導自体をすべて忘れ去っていることと想像します。 大変申し訳ないのですが、義母の場合施設での自主練習は不能と心得ますので、次回の補聴器指導時に今一度、原点に戻ってご指導願えますか?」

 当然ながら、そんな事を百もご承知の補聴器先生のご返答とは。
 次回の耳鼻科受診日にも、“演技で“その指導を繰り返して下さる事の同意を下さり、私は安堵した。

 タクシーでの帰り道で、義母が言うには。
 「耳栓を施設へ持ち帰って、練習しようかな。」

 これに関しては、私が説得した。 
 (義母単独での装着練習が全く不能と判断したのと、義母はものをすぐに無くすとの症状もあるが故だが)、「耳栓は、私が持ち帰ります。今度の耳鼻科予約日に持参しますので、その際に今一度補聴器先生のご指導の下に練習しましょう!」


 それから丸一日が経過したが。

 おそらく義母は、特注耳栓のことなど完璧に忘れ去っていることだろう。