またまたしつこくも、朝日新聞「書評」ページよりの引用です。
それでは早速、朝日新聞2021.11.20付 濱口桂一朗氏著「ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機」に対する、慶応大学経済学教授 坂井豊貴氏による書評「職場の椅子ごとに『値札』が付く」を、以下に要約引用させていただこう。
日本では通常、雇用契約が職務に記載されない。 その組織で働くことが書かれているだけで、どんな職務に就くか分からない。 それは使用者の命令によって定まる。 こうした契約を「メンバーシップ型」という。 これと対照的なのは職務が記載されている「ジョブ型」だ。
ジョブ型の募集とは、基本的にすべて欠員募集である。そしてジョブ型の契約に書かれた職務が、組織で不要となったときには解雇が起こる。 そもそも契約上、組織は労働者に記載された職務以外を命じることができないからだ。 一方、メンバーシップ型だと、他の職務への異動可能性がある限り、解雇は正当となりにくい。 このことは日本の長期雇用制度慣行を導いてきた。
ではメンバーシップ型の方が労働者にやさしいのかというと、そういうわけでもない。 残業や配置転換の拒否を、懲戒解雇の理由として認めてきた。これはジョブ型が通常の社会では信じられないくら厳格な判断だ。 なお日本以外の国はジョブ型の雇用が通常だが、そのうちアメリカを除くと、相応の解雇規制がある。
メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。
(以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)
今回の「書評」内の議論に関しては、原左都子としては実にとっつきやすい。
というのも私め原左都子は、現役時代には一貫して“ジョブ型”雇用しか経験していない故だ。 要するに、雇用契約書に「職務」が明確に記載されている職種のみにしか就業経験が無い。
まず最初は、医学部卒業後「臨床検査技師」国家資格取得を条件に民間医学関連企業に採用され、即戦力で細胞性免疫分野の研究開発・実務を経験した。 その後、本社に人事異動して、教育課にて社員に医学教育を実施したり、医学専門書を執筆した後、自らの意思で退社した。
2度目の大学・大学院修士課程にて「経営法学修士」取得後、今度は公立高校へ高校教諭として就業したのだが、これも教職「社会」「商業」免許を取得していることが必須の採用だった。
あるいは、番外編として。
私には2度目の大学時代の夜間に「コンパニオン」の職務経験があるが。
これなども、厳しい面接試験にて“それに耐えうる外見や所作力”を備えていることを条件として採用されたため、“ジョブ型”採用だったと言えよう。
という訳で、原左都子には残念ながら“メンバーシップ型”にての雇用経験が無い。
我が亭主に関しても“然り”であるし、はたまた我が娘も同様に専門職にて企業に採用されている。
もっと言うならば、既に他界している我が父も専門資格を取得して就職していた。
あっ、そうそう。 我が実母がもしかしたら“メンバーシップ型”での採用だったのかな。 そうだとしても公務員として就業していたため定年まで職務をまっとうし、何らの不都合もなく老後を過ごしている。
という訳で、我が親族周囲を見渡しても“メンバーシップ型”就業の弱点を語る材料が何も無いなあ。
(そういうのって遺伝かもしれない、などとも思えてきた。 親が資格を取得してそれを就業に活かしていたら、子供もそれを真似るのかな??)
上記書評内に、以下の記述があるのを繰り返そう。
メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。
特に、「誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる」。
メンバーシップ型雇用体系における、この記述が一番気がかりだ。
そんな時代は既に退廃しているのに。
専門力に欠ける学生が未だその“メンバーシップ型”の“蜜”に引っかかってしまっている現状を。
私は憂える…