話題を、またもやNHK連ドラ「らんまん」に戻そう。
以下は、ネット情報より引用する。
竹雄と綾は短い滞在中に万太郎の植物学への情熱と、万太郎とともに歩むことを決めた寿恵子の思いを知った。そして初めて高知を出た綾は、長屋で暮らす人々の生活ぶりに触れ、自由というものを感じた。
竹雄と綾が帰る日、万太郎も寿恵子と千歳に見送られて植物採集の旅に出た。
そんなある日、質屋に立ち寄った寿恵子は、新聞に掲載された小説を知る。それは、大学教授で東京貴婦人学校の校長も務める田口という男が、里江という女生徒に手を出すといういかがわしい内容。田邊夫妻を連想させる物語に驚いた寿恵子は、急いで田邊邸へ向かった。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
原左都子が懸念していた万太郎の“土佐植物関連資料”に関しては。
万太郎が(今でいうところの)それらの“コピー”を取っていたとのことで。 この私も、現在の科学分野研究における“常識”とも言えるその作業を、その時代に既にしていた(する方策が取れたのか)!?!、と心より安堵した。
しかも本日の場面では、万太郎は次なる植物採集(観察)の旅に出たようだ。
これぞ、現役科学者としての常識的行動であろうし。
その行動を快く送り届ける奥方のすえちゃんも大した人材と、私は安堵した。
その傍らで、どうやら田邊教授が国立女子大学にての行動に関して、当時のマスメディアである新聞紙上で吊るし上げられている様子だ。
原左都子の私見だが。
これに関しては、私は大して興味が無いのが正直なところだなあ。
中途半端は承知の上ですが、本日のエッセイは無責任にもこれにて終了させていただきます。