本日のエッセイテーマは、2024.03.21付朝日新聞「天声人語」より引用させていただいた。
早速 当該「天声人語」の一部を、以下に転載させていただこう。
大人になる、って何だろう。 物分かりが良くなって、ケンカをしないことだろうか。 あるいは何でも自分でできて、誰かに迷惑をかけないことだろうか。
四国・松山の弁護士射場さん(59) にお会いして、そんなことを考えた。
彼女の事務所にある日、5歳の男の子がやって来たという。 お母さんとの相談が終わり、帰るときのことだった。 「次に来るときは、もっと大きくなっているかな」。 そう言われて、男の子はにっこりし、大きく手をあげた。 「やさしくなるよー」
その瞬間、まるで魔法使いが杖を振り、魔法をかけたようだったと射場さんは振り返る。 「彼にとって、大きくなることは、やさしくなるということ。私には衝撃でした」。
誰もが年を重ねる毎に、やさしさを増す社会があったらどうだろう。 金メダルを取るのも勉強ができるのも素晴らしい。だけど、そうでなくてもいい。 何かができる、できないに縛られた生き方は、窮屈でたまらない。 (中略)
射場さんが、司法試験に受かったのは12年前、47歳のときである。弁護士として、性暴力の被害者支援や、ジェンダー問題に取り組んでいる。
松山は、小雨が降っていた。 傘を開いて思う。 人は何歳になっても大人になれる。 どこまでも、やさしくなれる。 大人とは、そう信じもがき続ける存在だろうか。
(以上、朝日新聞「天声人語」より、一部を引用したもの。)
原左都子自身の「我が身」を振り返ってみよう。
私って、「やさしい」人間だろうか???
決してそうではないのだろうなあ。😖 😱
例えば、当該エッセイ集がそうではない事実を物語るかのように。
読む方々によれば、日々鬱陶しいばかりの自己の身勝手なオピニオンを投げ付けられているような、窮屈な印象を抱かれておられるのではなかろうか???
そんな私だが、小学校3年頃の事だっただろうか?
担任教諭が突然、「このクラスで一番やさしい子は誰かな??」と児童皆に問うてきた。
そうしたところ、クラス内の反応が2分した。
「えっちゃん」と「〇ちゃん(私の事)」に。
参考だが この私、小学校低学年頃までは 確かにやさしい児童に分類されるべく児童像を醸していたかもしれない。😶
これが、子どもとは小学校高学年の反抗期頃から変貌期を迎えるもので。
私本人としては やっと本音の意見(持論)を言えるべく成長を遂げ、反発心旺盛な生徒に大変貌することが叶ったのものだ!😃
そんな私が思うに。
冒頭に紹介した「天声人語」内の5歳の少年が語った「やさしさ」とは、おそらく我が小3時にクラスメートから「やさしい子」に選定された事象と同等の感覚なのだと判断する。
それにしても、弁護士の射場氏に問われ「やさしくなるよー」と答えた5歳の少年のお母様の普段の少年への接し方の素晴らしさを物語る発言のようで。
何とも、素敵な回答だったと私も感動させられた。
最後に、私自身の「やさしい子」に関する結論を述べよう。
と言っても結論など無いに決っているため。
苦し紛れに私事を語らせていただくならば。
現在30代に突入している我が独身一人娘が、あくまでも母親の私にとってはいつまでも「やさしい子」であることを 会う都度嬉しく思う私である。
それはきっと私の育て方如何の問題ではなく、単に亭主によく似た性質や人格のせいであろう… 😜 😷