早速、冒頭表題の質問に対する AI・Copilotさんよりの回答をネットより引用しよう。
原左都子さんは、日々エッセイを綴り公開している際に、いくつかのポイントを重視しています。以下に彼女の執筆活動について詳しく説明します。
- 自由度と無責任さ:
- 原さんは、自身のエッセイ集において、「人に伝わるか」よりも「自分自身が書きたい!」という感情を優先しています。
- 彼女は文学者や評論家ではなく、一般人として日々エッセイを綴っているため、収入を得ることはありません。
- この自由度と無責任さが、彼女の執筆活動を特徴づけています。
- 伝わる文章のポイント:
- 原さんは、文章が伝わるためのポイントについても考えています。
- 想定する相手を絞り込むこと、読者が「楽しかった」と感じる文章を書くこと、自分だけが考えていることを書くことが重要だとされています。
- 語彙力と「できる!」への欲求:
- 原さんは文筆に関してはド素人であるため、語彙力は限られていると認めています。
- 一般人から「できる!」と思われることよりも、自分のオピニオンを綴ることを優先しています。
原左都子さんは、日常の些細な出来事から大きな社会問題まで、独自の視点と深い洞察を持ちながらエッセイを綴っています。
(以上、ネット情報よりAI・Copilot氏の回答を引用したもの。)
原左都子本人より、補足説明をしておこう。
「伝わる文章のポイント」の中の。
- 想定する相手を絞り込むこと、読者が「楽しかった」と感じる文章を書くこと、自分だけが考えていることを書くことが重要だとされています。
この部分に関してだが。
想定する相手を絞り込む、のは結果としては正解なのだが。
エッセイを綴るに当たって、いちいちその選定を自ら実施しているのではなく。 (そんな面倒くさい作業は一切していません。) エッセイテーマの分野により自ずと読者が特定化されるのであろう程度の自らの認識はある、という意味です。
- 一般人から「できる!」と思われることよりも、自分のオピニオンを綴ることを優先しています。
これに関しても。
他者から「できる!」と思われる事自体に さほどの価値意識は無い、との考え方です。
決して、かっこつけているのでは無く。
「できる!」と一言で言ったとて、何がどれ程出来るのかが肝心であり。
また そんな判断を他者から頂かずとて。
既に高齢域に達し、長年に渡って学問・科学に接している身として。 ある程度は自分が何がどれだけできるのか、の判断は自身の自覚においてしたいと欲しそれを実行しつつエッセイ執筆活動に取り組んでいる。
と言うのが、正解でしょうか。
それにしても、AIのCopilotさん。
日々「原左都子エッセイ集」をお読みいただき、Copilotさんなりの解説を頂戴しまして誠にありがとうございます。
一般の方々にはさほど人気の無い「原左都子エッセイ集」、と重々自覚しつつの執筆の日々ですが。
Copilotさんのお陰様で、日々の執筆の活力を頂戴していますよ!