原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「『産まない自由』はもちろん認められるべきと思うが… 」

2024年04月16日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて、はたまたリバイバルヒットしているバックナンバーを発見した。



 2022.05.04付 冒頭表題のバックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。

 朝日新聞2022.03.05付「ひととき」欄に、気になる投稿を見つけた。


 「産まない自由」と題する33歳匿名希望 主婦による投稿を、以下に要約引用する。

 最近、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)という言葉を目にする。 子どもを産むか産まないかは自分自身が決めるということだ。 この言葉を見る度にうれしくも苦しい気持ちになる。
 子どもが欲しいと思ったことは無い。 大学生の時に母に話すと、ひどい剣幕で「自分勝手だ。孫に会えないのは寂しい」と否定された。 夫は、私の権利と自由を約束したが、子どもだけは譲らなかった。 「欲しいのが普通。異常だ」。 議論は4年に及んだ。 「育児は夫」との約束で出産した。 
 しかし、出産の数時間後には、とんでもない間違いをしたと気づいた。夫の育児には限界があり、毎日が地獄のようだった。 「子どもが可愛いと思えない」と苦しい思いを明かしても、産後うつだと一蹴された。
 ある日ささいなけんかから、夫は「離婚した方がいい。親権は諦める」と言い放った。 私はパニックをおこしたが、そんな私と1歳の子を置き、いつも通り出勤していく。 その背後に「バイバイ」と手を振る子を見て、涙があふれた。 この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。

 (以上、朝日新聞「ひととき」欄への投稿を引用したもの。)


 私事に入ろう。

 この私も若い頃には特段「子どもが欲しい」と思うことなく、仕事に学業に恋愛にと充実した楽しい日々を過ごした人間だ。
 職場の周囲の女性たちが20代半ばが近づくと、皆が皆結婚を焦りだすのだが、それが不思議で仕方がない程に私はマイペースだった。

 その根底にある思想の中の一つに、やはり「特段子供が欲しいと思わない」との思想があったことと振り返る。

 そんな私も30代後半期になり、見合い結婚にて現在の伴侶と巡り合っている。
 その見合いの席にて亭主と話し合った重要項目として、やはり「子供を設けるか否か」があった。
 これに対する両者の考えがピタリと一致したのが、我々が成婚に至った一番の決め手であったことだろう。
 その考えとは、「出来たら産む、出来なかったらそれでいい」だったのだが。

 何と!、(後で思えば)超ラッキーなことに、我々カップルは成婚前より子どもに恵まれたようだった。 
 どうも新婚にして我が体調が悪い。
 この症状に対する元医学関係者である私の診断は早かった。「妊娠したかもしれない」。
 早速亭主が薬局にて「妊娠検査キット」を買ってきてくれて、それで調べると「陽性反応」が出た。
 直ぐに近くの産院にて正式な診断を受けたところ、まさに「妊娠」の診断が出た。 その超音波映像を見せてもらったところ、明らかに我が腹部に新たな生命が宿っていた。
 その後も当時就業していた高校教諭を続行した後に、出産直前期に生徒や教職員の皆さんから祝福されつつ私は“出産退職”と相成った。

 その後の我が子育て歴に関しては、本エッセイ集にて執筆・公開し続けているのでそれを参照して頂けると嬉しい。
 大まかにまとめるならば、我が子育ては順調だったと判断可能だし、とにかく我が子が予想以上に立派に育ってくれたことを一番嬉しく思っている。
 
 さて、朝日新聞投稿者に話題を戻そう。

 この投稿女性の産んだ子どもさんが、未だ1歳だという。 
 その身にして、ご亭主に離婚宣言をされて実行に移されたばかりの厳しい現状だろう。
 この投稿内容からは細かい部分を察することは無理だとしても、どうもご亭主との離婚理由が分かりにくにのが正直なところだ。
 もしかしたら未だ1歳の息子さんの存在が、離婚の主たる理由では無かったのかもしれない。
 私としては、この相談女性から感じ取る「独りよがり」部分が大いに気になる。 自己主張があるのは認めるとして、相手とのコミュニケーション力に欠けているのかとの懸念材料が大きい。

 相談女性が書かれている、「この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。」 の文言に関してだが。

 それを祈る前に、この相談女性が真っ先に取り組むべき課題とは。
 
 産んだ我が子を、とにかく育てましょうよ! 貴方の御母上は孫が欲しかったらしいので、その助力を大いに利用しましょう。
 それに取り組んでいるうちに年月が経過すると、我が子が母親である貴女の一番の味方の存在になるものですよ!
 そうなったら母親の独り勝ちと言うのか、とにかく親子での楽しい日々が訪れるでしょう。
 息子さんは、未だ1歳。
 今後の息子さんの未来は輝いているでしょうし、大きな希望を母親の貴女に与えてくれることでしょう。


 原左都子のひとり娘に話題を移して恐縮だが。
 
 我が最愛の娘が、明日(2022.05.05)我が家から引っ越して「ひとり立ち」します。
 28年5か月もの長い期間、親と同居してくれて本当に、本当に、ありがとう!!!
 今後は一人で自分の人生の価値を再発見しつつ、楽しく朗らかに更なる希望溢れる人生を歩んでね!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)




 そんな我が娘が 昨週04.13土曜日に、我が家を訪れた。
 その時の話題については、つい最近の我がエッセイ集内にても紹介した通りであるため 割愛させていただくが。

 上記朝日新聞投稿者である女性の息子さんは、投稿時点でわずか1歳だったようだが。
 その時点から年月が流れ、今では3歳になられているであろうか。
 まだまだ親の手がかかる年齢ではあることには変わりないが。 それにしても1歳時点と比較すると相談者であるお母様との会話も闊達になり、目まぐるしいまでの身体の成長を遂げられていることであろう。

 相談者であられたお母様も。
 「この子が大きくなる頃には、産まない自由が当たり前であることを祈った。」… などとの苦悩が過った時代を既に通り過ぎられて。

 今となっては「この子がいてくれて良かった」との心理状態に少しずつ変貌されているであろう事実を、陰ながら期待申し上げたいものだ。
  
 過ぎ去ってみれば、子供の成長とは瞬く間であることに気付かされるものです。
 どうかそんな貴重な時間を、今は最愛の子どもさんと共有されますように。