朝日新聞2月17日(日)朝刊社会面に「被害少女は悪くない」と題した記事が掲載された。 これは先だって沖縄で起きた米兵による女子中学生暴行事件に反応した“ついてゆく方も悪い”との被害少女への社会からの一部の批判に対し、被害少女を“一応弁護したように見せかける”朝日新聞記者の反論記事である。
まずは、この朝日新聞の反論記事の一部を以下に要約しよう。
今回、被害にあったのは14歳の女子中学生であるが、彼女はアイスクリーム店を出てきたところを米兵に声をかけられた。街に出れば米兵と行き会うのは日常のこと。同世代の子たちは「繁華街に出かけると、米兵にプリクラや携帯電話の番号を交換しようと話しかけられることも多い」と言う。「米兵の友達を作ることが悪いんじゃなくて、悪いのは性犯罪をする人でしょ?」(繁華街でたむろする女の子達の言い分である。)
以上が朝日新聞記者、山田菜の花氏の反論記事からの、被害少女の当日の行動に関連する部分の要約である。
申し訳ないが朝日新聞記者の山田菜の花さん、あなたの記事は少しも被害少女を弁護できていませんよ。これじゃ、この被害少女の墓穴を掘っただけじゃないですか。 もしかしたら、どうせ新聞の読者なんて記事の見出しだけ見て詳細は読まないと見込んだ上で手抜き記事を書いているんじゃないですか? それはとんでもない話ですよ。 この種の反論記事で読者に訴えたいならば、被害少女周辺をもっと念入りに取材した上で理路整然と弁護しなきゃ!
さて、私論に入ろう。
結局この少女が米兵について行ってしまったことについては間違いないようだ。その事実は残念ではあるが認めざるを得ない。事実は事実として認めた上で、まだ未成年しかも義務教育過程のこの14歳の少女を責めることなく救うためには如何なる理論武装をするべきか。
米兵について行った被害少女に落ち度があったとして安易に片付けてしまうのではなく、周囲の大人が冷静にこの問題を議論しないと、残念ではあるが今後同様の事件は続く恐れがあり、道は開けないのではなかろうか。
性犯罪をする側が悪いのは自明の理であり、この米兵は当然ながら法的に然るべき処罰を受けることになろう。
そこで、今回議論の対象とするべきはやはり被害少女の行動及びその心理的背景であると私は考える。
そもそも米兵と出会う確率が高い繁華街を女子中学生がたむろすることについても、社会では賛否両論あることと察する。
これに関しては、私は容認派である。異性(特に米兵という特殊な異性)の存在は思春期に入ったばかりで好奇心旺盛な少女たちにとっては魅力的な対象なのであろう。そんな異性に誘われたい“下心”で繁華街をうろつくことに関しては、ある意味自然な欲求なのではなかろうか。 この私にだっていい年をして未だに下心はある。“下心”というのは一種の文化の土台となる重要なエネルギー源であるとも考える。加えて、法的にも内心の自由は尊重されるべきである。(話がずれたが…)
少女達のそんな“下心”は認めた上で、忘れてはならないことがあるのだ。この“下心”を生かすも殺すも自分次第なのである。
結論から言うと、キーワードは“自己管理力”である。これを大人は子供達に早いうちから身に付けさせなければいけない。“自己管理力”と言ってしまうと範囲が広くて大袈裟であるならば、この事件の場合、“危機予知力”でもいい。とにかく、知らない異性に誘われたいという“下心”を行動に移す場合“下心”だけではダメなのだ。頭の片隅に必ず“危機予知力”のアンテナを張り巡らせておくべきなのである。それなくしてこのような行動に出る資格はない。それははっきりと子どもに伝えよう。
それでは、その“危機予知力”ひいては“自己管理力”を子どもに身につけさせるためには大人、特に親は何をすればよいのか? 頭ごなしに「こういうことをしてはいけない!」と言っても子ども(特に思春期を過ぎた子ども)が聞く訳はない。反発をくらうだけだ。
教育の基本は“共感力”なのだ。子どもと同じ目線で共感する力が子どもを育てると、私は日々実感している。例えば今回のような事件を報道で見聞きして、親である私が「つらいな、悲しいな、何でついて行っちゃったのかな。」と心を痛めていると、傍らにいる我が子も必ず感じるものはあるようだ。子どもが小さい頃からこれの繰り返し、積み重ねなのである。“危機予知力”などと言うものは一朝一夕に育つものではない。
私事で恐縮であるが、私の娘もちょうど14歳である。そろそろ少しは色気でも出してみたらどうなの、と端で見ていてまどろっこしいくらい、このような事件とは無縁の世界に生きている中学生である。ただ、恋愛小説を読んだりしている様子を垣間見ると異性にまったく興味がない訳でもなさそうである。 こういう子が何かの拍子にたがが外れると危険だとも世間ではよく言う。それはそれで、親として見守り受け入れていきたいと考えている。
とにかく、子どもの安全はやはり大人、特に親が見守りませんか。
追記: 当事件の発生時刻は夜間であったとのことだ。中学生の夜間の繁華街たむ
ろは、やはり許すべきではない。(2月22日記)
まずは、この朝日新聞の反論記事の一部を以下に要約しよう。
今回、被害にあったのは14歳の女子中学生であるが、彼女はアイスクリーム店を出てきたところを米兵に声をかけられた。街に出れば米兵と行き会うのは日常のこと。同世代の子たちは「繁華街に出かけると、米兵にプリクラや携帯電話の番号を交換しようと話しかけられることも多い」と言う。「米兵の友達を作ることが悪いんじゃなくて、悪いのは性犯罪をする人でしょ?」(繁華街でたむろする女の子達の言い分である。)
以上が朝日新聞記者、山田菜の花氏の反論記事からの、被害少女の当日の行動に関連する部分の要約である。
申し訳ないが朝日新聞記者の山田菜の花さん、あなたの記事は少しも被害少女を弁護できていませんよ。これじゃ、この被害少女の墓穴を掘っただけじゃないですか。 もしかしたら、どうせ新聞の読者なんて記事の見出しだけ見て詳細は読まないと見込んだ上で手抜き記事を書いているんじゃないですか? それはとんでもない話ですよ。 この種の反論記事で読者に訴えたいならば、被害少女周辺をもっと念入りに取材した上で理路整然と弁護しなきゃ!
さて、私論に入ろう。
結局この少女が米兵について行ってしまったことについては間違いないようだ。その事実は残念ではあるが認めざるを得ない。事実は事実として認めた上で、まだ未成年しかも義務教育過程のこの14歳の少女を責めることなく救うためには如何なる理論武装をするべきか。
米兵について行った被害少女に落ち度があったとして安易に片付けてしまうのではなく、周囲の大人が冷静にこの問題を議論しないと、残念ではあるが今後同様の事件は続く恐れがあり、道は開けないのではなかろうか。
性犯罪をする側が悪いのは自明の理であり、この米兵は当然ながら法的に然るべき処罰を受けることになろう。
そこで、今回議論の対象とするべきはやはり被害少女の行動及びその心理的背景であると私は考える。
そもそも米兵と出会う確率が高い繁華街を女子中学生がたむろすることについても、社会では賛否両論あることと察する。
これに関しては、私は容認派である。異性(特に米兵という特殊な異性)の存在は思春期に入ったばかりで好奇心旺盛な少女たちにとっては魅力的な対象なのであろう。そんな異性に誘われたい“下心”で繁華街をうろつくことに関しては、ある意味自然な欲求なのではなかろうか。 この私にだっていい年をして未だに下心はある。“下心”というのは一種の文化の土台となる重要なエネルギー源であるとも考える。加えて、法的にも内心の自由は尊重されるべきである。(話がずれたが…)
少女達のそんな“下心”は認めた上で、忘れてはならないことがあるのだ。この“下心”を生かすも殺すも自分次第なのである。
結論から言うと、キーワードは“自己管理力”である。これを大人は子供達に早いうちから身に付けさせなければいけない。“自己管理力”と言ってしまうと範囲が広くて大袈裟であるならば、この事件の場合、“危機予知力”でもいい。とにかく、知らない異性に誘われたいという“下心”を行動に移す場合“下心”だけではダメなのだ。頭の片隅に必ず“危機予知力”のアンテナを張り巡らせておくべきなのである。それなくしてこのような行動に出る資格はない。それははっきりと子どもに伝えよう。
それでは、その“危機予知力”ひいては“自己管理力”を子どもに身につけさせるためには大人、特に親は何をすればよいのか? 頭ごなしに「こういうことをしてはいけない!」と言っても子ども(特に思春期を過ぎた子ども)が聞く訳はない。反発をくらうだけだ。
教育の基本は“共感力”なのだ。子どもと同じ目線で共感する力が子どもを育てると、私は日々実感している。例えば今回のような事件を報道で見聞きして、親である私が「つらいな、悲しいな、何でついて行っちゃったのかな。」と心を痛めていると、傍らにいる我が子も必ず感じるものはあるようだ。子どもが小さい頃からこれの繰り返し、積み重ねなのである。“危機予知力”などと言うものは一朝一夕に育つものではない。
私事で恐縮であるが、私の娘もちょうど14歳である。そろそろ少しは色気でも出してみたらどうなの、と端で見ていてまどろっこしいくらい、このような事件とは無縁の世界に生きている中学生である。ただ、恋愛小説を読んだりしている様子を垣間見ると異性にまったく興味がない訳でもなさそうである。 こういう子が何かの拍子にたがが外れると危険だとも世間ではよく言う。それはそれで、親として見守り受け入れていきたいと考えている。
とにかく、子どもの安全はやはり大人、特に親が見守りませんか。
追記: 当事件の発生時刻は夜間であったとのことだ。中学生の夜間の繁華街たむ
ろは、やはり許すべきではない。(2月22日記)
危機予知力同感です。すべての行動に対してブレーキをかけるもう一人の自分が必要だと思います。企業などでも安全教育に危険予知の教育が取り入れられています。最悪の状態を考えながら行動する事です。
但し記事にあるように子供達に一朝一夕で教えようとしても無理だと思います。教育の現場、家庭内で話し合い、教育していかなければならないと思います。
記事を読ませていただいて、私の頭の中のモヤモヤがすっきりしたような気がします。
それ以来、この事件は子どもの教育の観点からもっと掘り下げて考えるべきと思っていた矢先、朝日新聞の少女弁護(?)記事に行き当たりました。
14歳と言えばまだまだ子ども、そんな子どもを守るのはやはり大人(特に親)の責任であるという思いから、危機予知の教育論を展開しました。
kanさん、ありがとうございました。また是非お立ち寄り下さい。
お久しぶりです。今回のテーマもなかなか興味深いですね。
今回の事件の場合、事実が証明されれば、犯罪者が悪いのであり、当然、日本の法律でもって厳しく罰せられるべきであることは、当然として、私は、彼女の親がしっかりしてあげないといかんと思います。
はっきり言ってしまえば、今回の事件は、親(正確には彼女の保護者)の責任だと思います。
原様は、繁華街を14歳の少女が徘徊することについては、容認されるようですが、私は、反対に容認しませんね。反発されようが何しようが、あかんもんはあかん。14歳には、14歳のやるべきことがある。勉強なり、クラブなり、生徒会の活動なり、親との会話なり。
私は今回の事件の概要は知りませんが、繁華街に行きたいなら、親(保護者)といくべきなのです。
中学、高校生というのは、人格形成のうえでとても大切な時期だと思います。
それだけに、友達同士、繁華街で遊ぶ時間はないのです。今しかできないことに時間(命)を使って欲しいと切に願うのです。
自己管理能力とは、まさに、この「時間(命)を有効に使う能力」に他ならないと思っています。
繁華街で身に付くものではなく、今、やるべきことに全力で取り組むことで、初めて身に付くと思っています。
絶滅寸前の頑固雷オヤジでした。
でもまだ、幾ら沖縄といえども八時は暗いでしょうね。
残念ながら今の時代は八時ってまだまだ中学生が出歩いている時間ですよね。塾に行っている子なら。
塾ってたいてい繁華街の妙な場所にありますし。
私も自分の小学生の娘たちを極めていかがわしい場所にある進学塾に八時まで行かせているのでこの話は他人事ではありません。幸い私は送迎ができる身分ですが、たとえばフルタイムで働いていたり介護をしているとそうはいきません。一人で帰っているお子さんは沢山います。女児のばあい男装してる子も多いです。髪は切るか帽子で隠し、服も靴もカバンも男児用のものにすれば小学生であれば結構男に見えるのです。私も送迎ができなくなれば娘の髪を切り、ピンクの眼鏡を止めさせると思います。
でも、中学生だとその手は使えませんね。
その子が塾のために繁華街にいたかどうかはわかりません。
ただ、小中学生がそんな時間に繁華街にいるということについて、不自然だと思う感覚を私が消失していたことに気づいたのです。自分の周りもそれが当たり前だからです。
私自身塾をやってますが、父兄にこう言われます。
十時くらいまでやってくれなければ、中学になったら通えないって。
八時なんてまだまだ甘い。父兄の希望は十時です。内申点のため、部活と両立させなければならないからです。
自分の子どもの送迎のために私は6時半で閉めているのですが、こんな時間で止めているようでは親のニーズにこたえられないのです。
結局彼らは繁華街の塾に移っていきます。悪循環です。
ひょっとして社会全体が健全な感覚を失っているのかもしれません。私がそうであるように。
これでは塾に行ってるわけでもない子が繁華街をうろついていても、
「うちの子もあそこの子も今頃塾だ。だからきっとこの子も塾帰りなのだろう。」
と思い、不自然さを感じないかもしれません。少なくとも私は感じません。
狂ってますね。
公教育さえしっかりしてくれていれば、少なくとも私はこうはならなかったんですが・・・・
今回の事件に対する私論を述べるにあたり、事件の起きた時間帯の考察をすっかり忘れていた点をお詫びします。
中学生の夜間の繁華街のたむろはやはり大人は許すべきではありません。
量さんのおっしゃる通り、今時は塾通いのために夜間の子どもの外出が普通のこととなってしまっていることに関しても、私は首をかしげます。少なくとも、送り迎え等で子どもの安全は保護者が守るべきです。
その上で、やはり教育の基本は禁止ではなく容認であると私は考えます。
OTTOさんのおっしゃる通り、中高生の年代は人格形成上大変重要な期間です。様々な経験を重ねながら自己を創り上げていく時期です。
勉強、部活、人とのかかわり、すべて大事なのですが、加えて私は“遊び心”をとても大切に生きている人間です。“遊び心”はなくても生きていけるのですが、私にとっては生活のエッセンスとして大変重要な要素です。この“遊び心”が育ち始めるのがちょうど中学生位からです。そして、この“遊び心”は人から学ぶものではなく、自分の心に自然と芽生えてくるものです。これを大事に育ててやりたいのです。
もちろん、“遊び心”が暴走してしまっては今回の事件のような結末となってしまうので、危機予知力ひいては自己管理力を身につけさせる必要があります。これは大人(特に保護者)の責任です。
ただ、量さんのコメントを読ませていただくと、今の親(私も今の親のひとりではあるのですが)は夜の10時まで子どもを預かることを塾に要求するのですね。いったい何を考えているのやら…。子どもに自己管理力を身につけさせることなどとは程遠い発想で、嘆かわしいものがあります。
常連のお二人、また是非お越し下さい!