こんなバックナンバーを、原左都子としては少しも再掲載したくはないのだが…
何故か、公開後十数年の年月が流れているにもかかわらず、未だに時折上位にランクインするバックナンバーであるため。
本日、再掲載させていただこう。
私は住宅ローンの早返しが得意技のひとつであることは、当ブログのバックナンバーで既に述べた。(“お金”カテゴリーの「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)
上記のバックナンバー記事「住宅ローンの早返し」において、現在までに居住用住宅物件を4件購入し(うち、2件は買い替え)すべて住宅ローンは短期間で完済していることを既述した。
早期にローン返済するための第一条件は言わずと知れているが、返済できる資金が手元にあることである。
資金を手元に保有するためにはどうすればよいか。その答えは簡単、お金を貯めればよいのである。
近頃、主婦向けのマネー関連の雑誌が数多く刊行されているようだ。私はその種の雑誌を購入したことも、しようと思ったこともないのだが、新聞の下の方の広告欄で垣間見るとその内容には涙ぐましいものがある。一日の食費を1000円で抑えるだとか、年収300万円でも月10万円は貯蓄しようだとか…。 そんなに血眼にならないとお金って貯められないものかなあ、私に相談してくれたら普通に生活しながらお金が貯まる方法を伝授するのに…、といつも不思議に思ってしまうのである。
私は物心がついた頃からお金を貯めていた。昔、学校の長期休暇前に「肝油ドロップ」を購入する慣習があったのだが、そのドロップの缶に小遣いの残りの小銭を貯め込んでいた。 決して親からそうするように教育された訳ではなく、自主的に貯めていた。小さい頃の小遣の使い道といえば駄菓子屋で駄菓子を買ったり、夏はかき氷を冬はお好み焼きを食べに行ったりすることなのだが、周囲の友人や姉といっしょに普通にそういうことも楽しんでいた。それでも、ドロップ缶の中の小銭は増える一方だった。そのドロップ缶貯金が増えることがうれしかった感覚の記憶は今でも私の脳裏にある。
中学生になると月額で小遣をもらえるので、ドロップ缶の中身は小銭に加えて札も目立つようになっていた。
そして高校生になると私の貯金は万札に形が変わり、それが何枚にもなった頃、私は自主的に近くの郵便局へ行って郵便貯金通帳を作った。今度はこの通帳が私の貯金箱となった。やはり、この残高が増えていくのが面白かった記憶がある。高校卒業時点でその残高は私の記憶によると10万円を超えていた。受験生であったためアルバイトをしていた訳ではない。あくまでも小遣をちまちま貯めた結果である。
大人になって一人暮らしを始めてからは几帳面に家計簿をつけるようになった。もちろん自主的に。そして金融商品の金利に興味を持ち、郵便貯金一本からだんだん通帳を増やしていった。その残高がどんどん増えるのが快感なのである。
私は外見的に派手好みであるし、特に独身の頃は行動も派手だったため一見ちゃらんぽらんな浪費家人間に見えたようだ。私がお金を貯め込んでいることは知る人ぞ知るのだが、周囲のほとんどの人たちはまさか私が預金通帳の残高を見ながらほくそ笑んでいるとは想像だにしなかったであろう。
当時は高金利時代であった。預貯金の年利が8%という時期もあり、郵便局の定額預金など10年間で元利合計が元金の2倍以上になる美味しい時代もあった程だ。私は新聞の経済面の金融商品欄はいつも欠かさず注視していた。私はお金を貯める事に関しては石橋をたたいて渡るタイプで、ハイリスクハイリターン商品には決して手出ししなかった。20歳代後半で預金が1000万円を超えたとき、その大部分を信託銀行のビッグ(貸付信託複利5年もの)に入れ替えた。当時の安全商品の中では金利が最高だったためだ。あの時、お金をビッグに入れるために信託銀行に行った時の係員の無礼な対応は今でも忘れない。一見ちゃらちゃらした派手な小娘が信託銀行に何の用かと係員が思うのは無理もない話だ。
結婚後はずっと低金利状態が続いているため、お金を貯めることよりも住宅ローン返済に集中してきた訳である。
上記のバックナンバー記事「住宅ローンの早返し」において、現在までに居住用住宅物件を4件購入し(うち、2件は買い替え)すべて住宅ローンは短期間で完済していることを既述した。
早期にローン返済するための第一条件は言わずと知れているが、返済できる資金が手元にあることである。
資金を手元に保有するためにはどうすればよいか。その答えは簡単、お金を貯めればよいのである。
近頃、主婦向けのマネー関連の雑誌が数多く刊行されているようだ。私はその種の雑誌を購入したことも、しようと思ったこともないのだが、新聞の下の方の広告欄で垣間見るとその内容には涙ぐましいものがある。一日の食費を1000円で抑えるだとか、年収300万円でも月10万円は貯蓄しようだとか…。 そんなに血眼にならないとお金って貯められないものかなあ、私に相談してくれたら普通に生活しながらお金が貯まる方法を伝授するのに…、といつも不思議に思ってしまうのである。
私は物心がついた頃からお金を貯めていた。昔、学校の長期休暇前に「肝油ドロップ」を購入する慣習があったのだが、そのドロップの缶に小遣いの残りの小銭を貯め込んでいた。 決して親からそうするように教育された訳ではなく、自主的に貯めていた。小さい頃の小遣の使い道といえば駄菓子屋で駄菓子を買ったり、夏はかき氷を冬はお好み焼きを食べに行ったりすることなのだが、周囲の友人や姉といっしょに普通にそういうことも楽しんでいた。それでも、ドロップ缶の中の小銭は増える一方だった。そのドロップ缶貯金が増えることがうれしかった感覚の記憶は今でも私の脳裏にある。
中学生になると月額で小遣をもらえるので、ドロップ缶の中身は小銭に加えて札も目立つようになっていた。
そして高校生になると私の貯金は万札に形が変わり、それが何枚にもなった頃、私は自主的に近くの郵便局へ行って郵便貯金通帳を作った。今度はこの通帳が私の貯金箱となった。やはり、この残高が増えていくのが面白かった記憶がある。高校卒業時点でその残高は私の記憶によると10万円を超えていた。受験生であったためアルバイトをしていた訳ではない。あくまでも小遣をちまちま貯めた結果である。
大人になって一人暮らしを始めてからは几帳面に家計簿をつけるようになった。もちろん自主的に。そして金融商品の金利に興味を持ち、郵便貯金一本からだんだん通帳を増やしていった。その残高がどんどん増えるのが快感なのである。
私は外見的に派手好みであるし、特に独身の頃は行動も派手だったため一見ちゃらんぽらんな浪費家人間に見えたようだ。私がお金を貯め込んでいることは知る人ぞ知るのだが、周囲のほとんどの人たちはまさか私が預金通帳の残高を見ながらほくそ笑んでいるとは想像だにしなかったであろう。
当時は高金利時代であった。預貯金の年利が8%という時期もあり、郵便局の定額預金など10年間で元利合計が元金の2倍以上になる美味しい時代もあった程だ。私は新聞の経済面の金融商品欄はいつも欠かさず注視していた。私はお金を貯める事に関しては石橋をたたいて渡るタイプで、ハイリスクハイリターン商品には決して手出ししなかった。20歳代後半で預金が1000万円を超えたとき、その大部分を信託銀行のビッグ(貸付信託複利5年もの)に入れ替えた。当時の安全商品の中では金利が最高だったためだ。あの時、お金をビッグに入れるために信託銀行に行った時の係員の無礼な対応は今でも忘れない。一見ちゃらちゃらした派手な小娘が信託銀行に何の用かと係員が思うのは無理もない話だ。
結婚後はずっと低金利状態が続いているため、お金を貯めることよりも住宅ローン返済に集中してきた訳である。
という訳で結論として、私のような庶民にとっての正しいお金の貯め方とは何か。“正しい”かどうかについては確信はないが、その秘訣はお金が貯まることがうれしいと思う気持ち、そしてお金を貯めることに対する興味ではなかろうか。まさに“好きこそ物の上手なれ”である。私の周りを見渡しても、浪費家というのはそもそもお金を貯めようという発想自体がさらさらないように見受けられる。
そして、何よりもライフスタイルである。私は派手好みではあるけれど、ブランド物で身を固めたいなどという欲望がほとんどないことについてはバックナンバーでも既に述べている。私は小さい頃から物欲があまりない方であると思う。人の持ち物が欲しいと思う気持ちは昔からほとんどなく、マイペースで自分の人生を貫いてきている人間である。
加えて、お金を貯めるために要求されるのは情報収集力であり、計画力であり管理力である。これらは最低限の必須条件であろう。
このように考えてくると、やはりお金とは付け焼刃では貯まらないものなのかもしれない。持って生まれた適性や能力もお金を貯めるひとつの重要な要素となろう。
お金を貯めたい皆さん、少しは参考になりましたでしょうか?
(以上、原左都子エッセ集初期頃のバックナンバーより再掲載させていただいたもの。)
2024年の現在、私自身の「カネのため方」も大きく移ろいでいるかもしれないが。
それでも 高齢期に達している今尚。
原左都子は カネに困る事が一切無い暮らしを営みつつ、今後我が命が滅びるまで自力でこの世を生き残れる自信がある身にして。
いま現在 当該バックナンバーを再公開して許されるだろうと、考察している。
(ドジャースに移籍した大谷選手の通訳を務めていた人物が「違法賭博」事件を起こしたニュースを見て、このエッセイを綴りたくなりました… どうして違法行為をしてまで自己資金を増やしたかったのか、原左都子には一生理解できない事件です… )