原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昭和ノスタルジックな居酒屋で“かんぱ~~い!”

2018年02月12日 | 
 (写真は、昨日訪れた我が家に程近い居酒屋の店内風景。)


 昨日、高齢者有料介護施設に暮らす義母の年に2回の介護計画立案・見直しのため、施設を訪れた。

 義母に会うのは正月の新年会以降だが、何分義母がしょっちゅう電話にて“訳の分からん”無理難題を訴えてくるため、久々感はまったくない。

 今回の一番の課題は介護計画見直しより何より、義母からの“勘違い”苦情提示「遺言状」の件だ。
 義理姉(膵臓癌にて63歳にて死去)の死後直後に、義母のたっての希望で公証役場にて「遺言状」を書き換えている。 猛暑の頃だったが私が付き添い2度も公証役場へ足を運び、その遺言状に義母が印鑑を押している。
 その記憶がすっかり消え去っているのに加えて、元々法的相続関係を弁えていない義母が「遺言状」を書き換えたい! どうのこうのと、以前より我々夫婦にデタラメ電話を寄越し続けるのだ。

 義母の理解能力の現状を度外視しても、とにかく今一度その「遺言状」のコピーを持参して義母に再提示せねば我々へのデタラメ電話がいつまでも続くと考えた私は、昨日それを実行に移した。

 結果としては予想通り、虚しくも義母にはその「遺言状」を読む能力は既にまったく無い。 こちら(亭主を中心に)から遺言状の内容を口頭で伝えてもそれを聞く耳すら持たず、相変わらず不信感を抱き続ける始末…
 堂々巡り状態で、義母の疑惑は拭い去れないままだ。 義母の要求としては、施設入居の現在一番長く世話になっている我々夫婦にこそ自分の財産を残したいとの意向だ。 それは嬉しいものの… 
 義理姉の死後、義理姉系の(現在何らの世話にもなっていない)親族に義母の財産が既に相続されている事実がどうしても受け入れられないとの訴えだが。 それならば、義理姉死去直後の「遺言状書き換え」時にそれを明言して欲しかったものだが、要するに当時より義母にはその能力がなかったとの事実でもある。

 参考だが、そもそも我々夫婦は“公的年金独立採算制”を貫き、お互いの相続もそれに準じているのだが。 
 私(原左都子)としてはその立場にして義母の相続には無関係であるし、今後の残りの人生を渡っていく財力は自身の力で蓄えているつもりだ。(何分、庶民を貫いている立場故に微々たる金額で十分足りるのだが。) 
 とにもかくにも、義母に余生を静かに暮らして欲しいのが私の一番の願いだが……。 さて、今後どうなることやら…。
 

 話題が表題から大幅にズレて恐縮だが。

 義母の財産を引き継ぐ立場の亭主としても頭が痛い問題であるはずだが、義母の“デタラメ訴え”をさほど気にしていない気質が私にとっても救いでもある。

 そんな我々は、とにかく義母訪問から解放された。

 
 さて、どこで夕餉を楽しもうかとの話題に移り… (実は亭主との夕餉は久々のことだ。)
 とりあえず自宅近くの駅へ戻り、行きつけの中華創作料理店へ行き老酒でも楽しもうか話し合いつつ。
 「あれ、こんなところに居酒屋があるよ。」 と私が声をかけると、亭主が「もつ煮が美味しそうだ!」と反応する。 「じゃあ、入ろう!」と入店したのが上記写真の居酒屋だ。

 まさに “昭和ノスタルジックな居酒屋” だ。
 「そういえば、このお店、ずっと前からあったよ。」と私が言いつつ入店すると、良き席にご案内して頂いた。
 その後まさに昭和時代の居酒屋風景を堪能しつつ、美味しいお酒とおつまみ料理を頂いた。
 
 私が上京直後期は未だ居酒屋チェーン店が蔓延っていない時代背景であり、昭和時代の個人経営居酒屋やスナック等々のお世話になったものだ。
 ある時、女性(と言うよりも女の子二人)で居酒屋に入店して「熱燗」のお替りを7合した時に、女将から「娘達よ、飲み過ぎだ!」と叱咤された事件もあった。  まさに古き良き時代のノスタルジーだ。

 昨夜は(私一人で)熱燗4合の後、緑茶サワーを注文したのだが、それが何とも美味しかった事!!

 その後、一人でショッピングして自宅に戻った。

 また自宅近くの居酒屋さんへ今度は私一人で行かせていただきますので、よろしくお願いしま~~す!

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