ところで、我々は秩父鉄道と平行している道路を徒歩で移動しつつ観光を楽しんだのであるが、どういう訳か歩行者といえば地元のお年寄りと我々のみである。他にほとんど通行人がいないのが不思議だ。
今年の夏は全国的に天候不順で例年のようには猛暑が押し寄せていないとは言え、盛夏の中、徒歩で移動は避けているのだろうか?
いや、そうではなさそうだ。 どこの観光地にいつ訪ねても、ほとんど人が歩いていない。 日本全国至る所、車社会にどっぷりと浸かっていることを実感させられるのが我々の旅行でもある。
さて、秩父祭りの大本山である「秩父神社」を訪ねてみた。ここも真夏のせいか人がまばらである。
そんな中、神社仏閣に施された彫刻が色鮮やかで興味深く、写真に撮ってみた。
今年の夏は全国的に天候不順で例年のようには猛暑が押し寄せていないとは言え、盛夏の中、徒歩で移動は避けているのだろうか?
いや、そうではなさそうだ。 どこの観光地にいつ訪ねても、ほとんど人が歩いていない。 日本全国至る所、車社会にどっぷりと浸かっていることを実感させられるのが我々の旅行でもある。
さて、秩父祭りの大本山である「秩父神社」を訪ねてみた。ここも真夏のせいか人がまばらである。
そんな中、神社仏閣に施された彫刻が色鮮やかで興味深く、写真に撮ってみた。
左甚五郎の作と云われる「繋の竜」とかいうワケの解らない彫物がありますね
この左甚五郎の作というのは日本全国にあり、
江戸時代(三百年間)ずっと存在しています。
彫工名が解らないが、出来の良い彫物に多くの伝説が付きますね。
左甚五郎は落語で有名になりましたがモデルになったと想われる人はおります。
大阪泉州の人で「初代岸上甚五郎左義信(きしのうえじんごろうひだりよしのぶ)永正元年(1504)三月五日生誕」。
室町末期の人で彫工の祖と云われております。
「眠り猫」で有名な
日光東照宮の造替は寛永十一年(1634)十一月から寛永十三年(1636)四月ですから
あり得ませんよね、岸上家の後継の作と想われます。
この岸上家は代々江戸幕府作事方大棟梁の家で「和泉家」という名門でした。
さすがのご解説、ありがとうございます。
私もこの彫刻を一見して、日光東照宮を思い浮かべました。
この秩父神社に彫り込まれている動物は何だろう?と分からないままお土産店に入ると、「猫」にまつわるお土産を多く見かけたので、あれは猫だったのだろうか??? などと考えたのですが、どうもそうではなさそうですね。